自分は、かろうじて、デストロイヤーとかブッチャーとバタバタ大乱闘していたときの記憶がある・・・・ような気がするけど、自分がプロレスを見始めた年齢から考えると「?」がつく。
あとからの混入された記憶だろうか。
そして「プロレススーパースター列伝」マニアとしてはアブドーラ・ザ・ブッチャー編で「よしっ、おれとオーキの石頭世界一決定戦をやってやる!!」というくだりが懐かしいでしょう。
今思えば「大木と互角の石頭!」という、そういうアングルだかギミックだかを、実際の頭の固さはともかく、認めさせたというのは、ブッチャーの上昇志向というか、アグレッシブなアピール力も凄かっただろうし、「ここは日本だ、頭突き合戦はいいけど、俺が最後は勝ちで頼むな」とならなかった大木の人の良さ、なんてのも感じなくもない(妄想)。
こういうヒネた裏の見方からでもう一つ有名な話がある。
大木金太郎は「ものすごく細かく打ち合わせをしてくるくせに、本番ではすっかり忘れてひたすらガンガン来る」というファイターとして有名で、そのせいでルー・テーズは「・・・ん? 打ち合わせと違うじゃねーか、ア痛、マジかこいつ?ガチか?仕掛けてきてんのか?・・・・上等だよこの野郎!!」と、生涯いくつも出さなかった、左のマジストレートパンチでKOしたというから、表も裏も綾なすプロレス界で、どちらでも色鮮やかな色彩を放った人だった。
かれは戦後の密航者の一人だった。
「ひとたび覚悟して玄界灘を渡ったんだから、どんな辛いことでも覚悟しろ」と鍛えに鍛えて、言葉でも、韓国語の使用を絶対に許さなかった力道山が、「キキョウ」という単語をしらなかった大木に、「トラジだよ、トラジ(註:韓国ではことに親しまれ誰でも知っている「トラジ」という歌もある)」と、一言だけ韓国語で説明してあげた・・・・・というエピソードは、既に皆知っている話かな。
なんにせよ、波乱万丈の人生でした。お疲れ様