今のところ、日本の格闘技雑誌全体でもジョシュが表紙を単独で飾ったことは無く、今回が初となります。
「今回、2日で15回ぐらいのインタビューを受けた」そうで、そういう点ではPRIDEのプロモーションの規模もやはり衰えは見せない。
そこはさすがというべきだろう。
写真は表紙やグラビアなども気合の入ったものでした。
前から思っているのだが、kamiproふくめ格闘技雑誌は、ちょっと大きい画像で「表紙フォトギャラリー」をつくってほしい。
売り上げにもつながると思う。「ロングテール」ってやつ?
今回の画像はここに。
http://www.enterbrain.co.jp/jp/p_catalog/book/2006/4-7577-2924-3.html
ところで今回のケンシロウ仮装において何でもジョシュは、ちょっと下のコスチュームがきつかったので、自前のジーパンで通したそうなのだが
ケンシロウだって革パンのときもあれば、ときどきはGパンを履いてることもあるから。今はいているGパンでモンダイナイ!(日本語で)
それは知らなかったな。そうだったか?さらに指摘は続く。
・・・あのパンツはまだいいんだ。サイズがキツイのが難点ぐらいであって。
問題はこの革ジャン!だって肩にパッドが入ってないでしょ
−−−−−ああ、マンガだともっとゴツくて大きなパットが入ってますね。
あとキズもついてないし、微妙な汚れもない。たとえば、車に何度か轢かせて汚さないとダメなんだよ!!
ウェザリング(でいいのか?)すべきだったとは。これはメモしとかんとね。
それはそれとして、トレーニングは大丈夫だろうか、という部分も気にはなるが、まあ日本にも練習拠点はあるし、どっちみち何日かは回復のためのオフもあるだろうし、そこは何とかうまくやってくれないかな。
ジョシュの疑問
メカマミーは、どうやって試合するんだろう?とかさ、疑問は尽きない
ノゲイラは相変わらずジョシュを許してない
ヒョードルは、一緒にお酒を飲んで盛り上がりジョシュのパフォーマンスを「あれはお客さんのためなんですね、よく分かりました」と納得してくれたのだが、まだ飲む機会の無いアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラは許していないそうで。
同じ号に載っていた彼のインタビューでは
「彼は「プロとして盛り上げるためだ」なんていってるけど、あの瞬間はリングで闘った勝利者のためにあるものなんだ。第三者が自分をアピールする権利なんかない。そこに割って入ったジョシュのまったくリスペクトのない行動は許さないよ。」
確かにPRIDEの「次の挑戦者は俺だアピール史」を飾るのはクイントン・ランペイジ・ジャクソンやマウリシオ・ショーグン、桜庭和志、中村和裕といった役どころで、BTTは入っていなかったような気がする。
ジョシュの「アングル」、後述するキャッチレスリングについても
「ジョシュを含めた米国人ファイターの技術は、ブラジリアン柔術の影響。なぜそれを隠すんだ」
「バーネットは何か自分の頭の仲だけでストーリーを作りすぎるきらいがある。そこに付き合うつもりは無い」
といけずです。漫画版「餓狼伝」で、「プロレスを相手に無理矢理にでもさせるには」という話があったなあ。
ジョシュの「キャッチレスリング」への反応
発表されたときからひねリンブログのこれを紹介したかったんだけど、結果的にいいタイミングになった。
http://hinerin.blogspot.com/2006/07/ufc.html
Monday, July 10, 2006
最近プチブレイク気味?のキャッチレスリング(ついでにUFC雑感)
・・・・定番のグレイシーロジック(引用者註:「みんな柔術を学んだんだから、ホイスが破れようと柔術の勝ちなのだ」というアレ)に対抗して(?)一部で盛り上がった「ヒューズの使った技の全ては、ブラジリアン柔術が誕生する以前からすでに『キャッチレスリング』に存在していたものなのだあ!」理論のほうにノりたいな。この素晴らしいスレを見よ!
http://mma.tv/tuf/index.cfm?ac=ListMessages&PID=1&TID=821910&FID=0
これをさらに悪ノリさせると「ヒューズvsホイスは、伝統あるキャッチレスリング(レスリング+サブミッション)が柔術より優れた組み技格闘技であることを証明したのだ」「『ファーマーボーイ』ヒューズこそ、伝説のキャッチレスラー、ファーマー・バーンズの再来といえる。」という素敵なファンタジー/電波に発展する。いや実際、複数の掲示板でそういう議論が出てたんだよ。ま、少なくとも「ヒューズは、もともとキャッチレスリングの伝統を汲む米田舎のアマレスで鍛え込んだ」と「ヒューズは無類に強いアマレスラーだからこそ、あそこまでホイスをポジションで圧倒できた」というのは両方とも嘘じゃない。
この「キャッチレスリング」(「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」)という言葉は、もともと英国ランカシャーで行われてたレスリングのことも差すし、それがヨーロッパの各都市に広がってプロ興行として行われたもの(ハッケンシュミットや前田光世も参加してた)でもあるし、さらに前後して北米に入ってきて20世紀初頭に盛り上がる初期のプロレス(これがフランク・ゴッチとかストラングラー・ルイスとかルー・テーズとかの伝統に連なる)も意味する。ってことでこの言葉は、もともと英語圏(まあ北米中心なんだけど)のファンの間ではそれなりの(おそらく日本のファンが想像する以上の)ノスタルジーと幻想を背負っていて、同時に反発や嘲笑の対象にもなってきた。「サクラバは何故強いのか?」という問いに対して、「彼は(ライレージムで鍛えられたロビンソンやゴッチの系譜を受け継ぐ)キャッチレスラーだから」という説明をする人は実は英語圏には多い・・・・
少々驚いたのは、「キャッチレスリング」は梶原一騎のゴッチ神格化とUWF神話の残る日本だけの幻想じゃないか、とあたしゃ思っていたんですよ。
実際、藤原嘉明の技術本が広く読まれた、と同ブログにもあるから、日本からの逆輸入・再発見という部分もあるかとは思うがそれでも日本で流智美さんらがやっているのと同じように、米国で偽史をデッチあ・・・いやいや、知られざる歴史を発掘しようという心意気のファンがいるのはうれしい。
彼らもジョシュ・バーネットの「キャッチレスリングの伝統を受け継ぎ、ブラジリアン柔術と闘う!」との宣言を、サポートしてくれるだろう。
さてこういう文章を書けるひねリン氏、ゴン格の体制刷新以降は専門誌に登場していないが、再登場を強く望む。