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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「道士郎でござる」バカの正義、小心者の正義


http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20051117/p2
今、はてなアンテナで更新を知ったので、この前のやり方に味をしめ、当方はTBの質はともかく早さで勝負することに決めた(笑)。


同じ作者の先行作品はあまり好みではなかったのだが「道士郎でござる」は連載開始から、実に面白く読んでいた。
「昔気質のサムライ・ニンジャが、本当に今の日本社会に存在していたら迷惑だよね」というアイデアは、いまちょっとパッとは思い出せないんだけどいくつかタイムスリップものも含めて存在していたと思う。
あ、パーマンパーマンパーマンに無理やり果し合いを望んで押しかけた忍者がいたんだよな。ちょっと違うが、昔の発想が続く存在によって迷惑する、という話は似ている。
業田良家にも「武士の魂」という4コマがあった。


映画や本で日本の美学に外から純粋に心酔したがために、かえってアナクロになった外国人が、現実の日本社会とのギャップで珍騒動を起こす・・・というネタもどっかで見たな。



しかしながら、そんな先行作品の有無などこの漫画の価値を左右することは皆無。
アメリカから帰国した「武士」である主人公・道士郎が、自分の筋を何の迷いも無く(=周囲の迷惑にまったく頓着せず)貫くとき、リンク先にあるように、「失われた少年漫画の中の倫理」が立ち上がる。


もうちょっと正確に書くと、この漫画はもうひとつのキモとして「迷惑をかけられる側からの視点が中心」だという構造がある。だからある意味で本作の主人公はいわゆる「メガネ君」、ワトソン役の平凡な高校生(しかし、何かの勘違いでサムライ道士郎は彼を「殿」と仰いで服従しているので、すべての責任と災いがそこに降りかかってくるとの設定)なおだ。


しかし彼は本来の小心さゆえにビビリまくりながらも、いろんな知恵も発揮して、その道士郎の暴走(と本人は思っていない)行為を必死でフォローする。と同時に、その中で自分の正義感が持ち上がってきたときは、決して道士郎の超人的な力にも頼ることなく、自分なりの美学と戦略で、悪戦苦闘しながらも自分なりの「サムライ」をつらぬく。

よく長期漫画のイベントではネズミ男スネ夫、ポップといった、正義感ある主人公(のび太は違うか(笑))を引き立たせるような半分小悪党、自分大事のキャラクターが、ここぞというときに命がけの勇気を発揮する−−−という話があり、読者にも強烈な印象を与えるのだが、ある部分、それを中心にすえているから面白いのかもしれない。


そして、道士郎もそういう場面では、絶対的な主従ではなく、極言すれば同じサムライの同志として彼を見守る。努力、友情、勝利。


ここで「今の漫画では、正義は体現者がバカでないと成立しない」という岡田斗司夫の至言がふたたび蘇る。この作品の、連中の「バカ」ぶりは、最近ではないほど突出していて、すがすがしい。
だからこそ、ブレイクスルーになりうるかもしれないし、「大いなる復古」で終わるのかもしれないが。


道士郎でござる 3 (少年サンデーコミックス)

道士郎でござる 3 (少年サンデーコミックス)