http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/07/post_86f5.html
・・・同世代では極めつきの才女であっただけに、気にはなっていた。この人の『吉良供養』(『ゑひもせす』所収)は大傑作だ。マンガ家としての才能と、時代考証家としての知識が、ここまで高度な融合を遂げた例を、俺は知らない。読めば「忠臣蔵」に対する見方が180度変わる。シミュレーション漫画とでもいうのか、あるいはルポルタージュ漫画とでもいうべきなのか、吉良邸討ち入りの様子を可能な限りの史料を駆使して完全再現していて、その律儀さにも驚いたが、同時にマンガとしての面白さにも驚いた。ここでは正確無比な「考証作業」が、そのままエンターティンメントになっているのだ。いかに赤穂浪士が極悪非道で卑怯な・・・・
杉浦さんの作品は「百日紅」などを買っていたのだが、俺が読み終える前に親父に奪われて(笑)、最後まで読んでいないんだよね。この「吉良供養」も読みたい
赤穂浪士、忠臣蔵はなにしろ日本人の心に組み込まれた有名エンターテインメントだから主客や正義をひっくり返した「裏忠臣蔵」もそれなりに多い。
吉良の言い分
忠臣蔵 元禄十五年の反逆
裏表忠臣蔵
いや、まだまだあったな。
私が一番最初に読んだのは、たった2ページだか3ページの「町人たち」(だったかな?)という星新一のSS。(「さまざまな迷路」収録)
「江戸が待ち望んだ、擬似イベントとしての赤穂浪士」という視点で、「四十七人の刺客」にもちょっとそういう視点は受け継がれている。
これは忠君愛国が戦後に反動来たってこともあるんだけど、そもそもこの事件を正邪ではかって厳密に議論すると、ほころびちゃうんだよね。
「直接の主君に義理を立てるためなら、天下の公儀のお裁きに従わなくてもいいのか」
「あだ討ちの対象は別なのではないか」など。
実は江戸時代にも、儒学者たちが大論争して「過激派」「ポチ」などなど論争相手をけなしあい、激論を展開していたのだった。
例によっての展開で申し訳ないが山本七平「現人神の創作者たち」は「応用問題としての赤穂浪士」という一章をさき、当時の儒学者たちの論を紹介している。
しかし、その中で逆に「正統性」の議論というのが、やはり日本にあまりなじまないということが逆説的にわかる。