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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

学問は学ぶな、創れ。「マンガ学」と「顔面学」〜※90年代半ばに書いた文章です

1994年か、1995年に書いた文章だったはず。

現在、高校や大学ではたくさんの学問のジャンルがあり、そこで学び優秀な成績を挙げた人はそれぞれの分野で教授や助教授になり研究にいそしんでいる。では、学問のジャンルを、自分で創っちゃった人、というのはどうなるのだろう。
既成の学問では自分の好奇心を満足させられず、徒手空拳で一人知の荒野へ踏み出し、そこに新しい村を開拓した人たちがいる。



【日本マンガ学事始】
ニッポンのマンガが世界に類を見ない発展と進化を遂げている事は今更言うまでもないが、そのマンガを「論じる」ことにかけても最近は大きな学問的進歩が見られる。

いしかわじゅん呉智英、村上和彦、唐沢俊一をはじめとする優れた批評家は多く、「BSマンガ夜話」に見られるような個々の作品論も非常に重要ではあるが、ここでは主に「マンガ」の構造それ自体を研究する人を紹介しよう。もっとも今,
日本で(=世界で)優れた業績をあげているのは、マンガコラムニスト夏目房之介氏である。


氏はマンガの実作者であり、それと同時に週刊朝日で10年以上擬似論文、学会発表的形式の「夏目房之介の学問」という連載を持っていた。ここで「普通学問的には扱われない事を、学会的な言い回しで言葉にする」という芸を磨き上げ、それをマンガの紹介に応用しはじめた…ところが、その分析と問題意識はたちまちのうちに本格的なものとなり、どこに出しても恥ずかしくない精緻な論理構成と着眼をはらむものとなった。と同時に、ギャグとユーモアを失うことなく(というか、それをこそ武器にして)、楽しい読み物としても成り立つものにしている。


彼のマンガ評論はちくま文庫「漫画学」がごく初期のものである。この頃は「漫画学」という言葉自体が一種の冗談であった…と彼自身が回想しているがそのためか、のちの手塚評論の様な本格的な評論ではなく、ごく軽いエッセイ、冗談文章の形で自らの論を展開しているのだが、それでもそのひらめきは見逃せない。例えば「少女漫画風にドラえもんを描いたら」という一編は、単なるパロディではなく「コマ」とストーリー・画の相互作用、モノローグとセリフの使い分けによる人物の内面表現、といった深い問題を間違いなく見据えていた。


ここでも分かるように、夏目のマンガ評論の特長は、それまでの評論がどうしても「ストーリー」に偏った形で行われていたものを、実作者としての立場から前述の「画とコマ」に着目したかたちで論じたことである。特に「コマ」によって物語を進行させていくという表現法式は当然マンガだけのものであるから、極端にいって彼の研究はそのまま世界に類をみない、オリジナルの研究になっていくのである。「手塚治虫はどこにいる」「手塚治虫の冒険」の二部作によって、戦後ストーリーマンガの創始者であった手塚作品の表現技法を緻密に分析した後、彼は「マンガの読み方」を他の研究グループと共に上辞して一応の区切りをつけた。


そして96年、夏目はそれを教育TVで、ある程度一般の人に分かりやすいように解説した。この時のテキスト「マンガは何故面白いのか」(NHKライブラリー)を、この雑誌(←註;単なる仲間内のコピー誌です)の読者には一番薦めたい。
これを読むと、「マンガ評論」という一つの小さな興味がどれだけ他の学問に大きく広がっていくかがわかるだろう。


「顔」を識別する人間のパターン認識と脳の問題(立花隆の「脳を極める」が役に立つ)、日本語はなぜ擬態語・擬音語が多くまた普通の言葉との境界が曖昧なのか、マンガの枠組みをマンガ自体が壊す、フィクションの二重性という問題など、まさに彼の問題意識が、さらなる巨大な知の平原へどこまでも膨らんでいくのが分かるはずだ。


最新作「笑う長嶋」では“長嶋茂雄”という実在の人物がマンガに描かれるとき、カッコイイヒーロー像から大ボケの愛すべきキャラクターにいかに変遷していったか、そしてそこに戦後の社会と国民意識の変化を見て取っている。

まあこれは半分エッセイ的なものなので、学問的な厳密さという点から見ると首を傾げたくなるところもあるがそれはそれ、夏目氏があらかじめ答えている。


「『ホントかよー』と言ってるそこのアナタ、間違ってても
だれも損はしないのだから気にしないように」だそうだ(笑)。


ああそうそう、言うまでもないがマンガを「研究」したいなら
相原コージ竹熊健太郎の傑作批評マンガ「サルでも描ける
漫画教室」(小学館)を当然読んでおくように。この作品では、
マンガのストーリー展開(の、御都合主義)をも視野に入れ、
それにどのようなパターンがあるか、どのような構造がある
かについて展開しているし、最近「オタキング岡田斗司夫
少しずつ体系化を進めている。

うーん、今となっては凡庸だなあ(笑)。いや当時は、それなりに古典から最新情報までの漫画論をもうらして、分かりやすく解説したもんだったんよ、いやホント。その後数年で「漫画を活字で語る」ことがさらに一般的になってしまったんだ。


で、氏がNHK教育で連続講義をやる前の年、某地方都市の講演会で「終わったあと、まだ語り足りない質問したいという人は控え室に来なさい」というんで、行きましたよ。今振り返ると、こういうときは「人との出会いに照れない」というブッカー百瀬の人生訓は真実だなあと思う。
かなり遠慮なく質問したし、その生意気な論を氏もそれなりに受けてくれたんじゃないかと勝手に思っている。



そしてその数年後。
夏目氏は、なんと2ちゃんねるを訪れた。
2ちゃんねるが「メジャー」になったのはいつか、議論の余地はあるけどちょうどその端境ぐらいじゃないだろうか。
その知識や芸もさりながら、2ちゃんねる特有の煽りをきれいに受け流し、ひるむところの無かった点が極めて特徴的で、やはり「オトナ」は違うものだと感銘を受けたものだ。


俺は当時、賢明にも(笑)2ちゃんねるというのはたいへんコワイところだと思っていたので、ROMにとどめようと誓っていたのだが・・・このときばかりは講演会控え室以来の対話を求めて、書き込んだものであります。

最初はふつうに名無し、その後は「前座」という名前だったな。そうだ、なんか格闘技とか武道のことをレスしていたので、「昔は興味ないと言ってた(註:「消えた魔球」リングにかけろの回参照)のに、好みが変わったんですか?」と聞いたのは俺だ。
やっぱりその後、自分の太極拳実践などで興味が出てきて、いまや岡田斗志夫が「マンガ夜話の楽屋は、いしかわさんと夏目さんとゲストの大槻ケンヂ夢枕獏の格闘技談義でうるさい」と嘆くほどの格ヲタになられたそうだ(笑)

マンガ学入門

マンガ学入門

手塚治虫はどこにいる (ちくま文庫)

手塚治虫はどこにいる (ちくま文庫)




書いていて懐かしくなって、今検索してみたらやっぱり貴重なログだから、だれか別に保存して公開していたよ。

http://log-chan.hp.infoseek.co.jp/
漫画・書籍
夏目房之介さんについてver.1  ver.2  ver.3  ver.4
 夏目漱石の孫にしてコラム二ストでもある夏目房之介氏が2chにやってきた。


夏目先生、遅ればせながらネットの世界に再びようこそ。
双方、blogが続けばいつかどこかでふたたび接点があるやもしれません。