INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

三崎vsマヌーフ遂に決定!受けないと思ってましたすいません。菊田とは違うわ(笑)

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091222#p1
これを書いた時は、まあ三崎はこの期(22日だったよ!)に及んでこの試合は受けまい、と決めうちしていたことを告白せにゃならん。


「どうしたんだい三崎和雄、ヘヘイヘイ。」
と書いた、あそこからつなげると
「こんな夜に、お前に乗れる!!」というわけだ。いやここでオファーを受けた三崎には十分乗れる。二年前の秋山成勲戦のように。


http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/headlines/20091225-00000007-spnavi-fight.html

・・・当初、対戦相手候補に挙がっていた桜庭和志のコンディション不良による欠場を受け、「ずっと想定して練習していましたから、モチベーションが切れました。一度は見送ることを考えた」と明かしたが、自分は格闘家であり、目の前に戦う相手がいる。そう考えた時、「求められているのであれば戦うべき」と再び闘志の炎を点火させたのだった。

しかしまぁ、マヌーフだって同条件とはいえ、戦う相手のタイプは違い過ぎますね(笑)。マヌーフは当初、サイボーグとの再戦なんて話があったっけ。

試合としては圧倒的に三崎が不利だと思います。
自分は個人的に、マヌーフはこの階級、日本人と日本に今来てる常連外国人選手を合わせて最強に近いと思っている。ゲガール・ムサシに負けたとはいえ、ムサシはちょっと抜きん出ているしさ。何が怖いってマヌーフはスタンド打撃がものすごいだけじゃなく、何度か失神KOを奪ったパウンド・・・そして何より1、2回はテイクダウンで倒されても、デタラメな身体能力でデタラメに立ち上がることができるのが怖い。秋山戦でも1回ひょいと立ったし、道着なしで秋山も仕留められたか。
そういう点では最大の難敵だが、果たして。今回はどうあっても勝ってほしい。

なぜ勝ってほしいかというと勿論

試合後に「vs菊田早苗」をアピールしてもらいたいからだ(笑)
あ、もしメルビン・マヌーフが勝ったなら、メルヴィンがアピールしてもいい。
そこを鮮やかな保身術で切り抜ける菊田早苗の妙技をみよっ(予測)。ちなみに両者、田村潔司戦のアピールでもいいぞ(笑)

山宮恵一郎ブログより

http://blog.livedoor.jp/yamamiya_k16/archives/52401704.html

先日試合を終えたばかりのエロ川エロ司がいなかったので、EROBAKAの若手サコに、
「あれ?クソヤロウは今日休み?」
と、一応聞いてみると、
「ハイ!石川さんはお休みです!」
と、即答が。
クソヤロウって言っただけでエロ川エロ司とは一言も言っていないのに…。

相変わらず、山宮のブログはすべらない。以前書いた「格闘家すべらない話」には、彼を欠かしちゃいけないな。

岡田斗司夫「NHKの方針変更で『BSマンガ夜話』は最低1年お休み。『マンガノゲンバ』も存続危機」(※岡田氏の推論です)

http://okada.otaden.jp/e76947.html
にて、youtubeを使った一人がたりの形で報告している。「オフィシャルな報告ではなくあくまでも岡田がNHKの内部からいろいろ聞いた推論です」とのこと。だが当然、ある程度スタッフから話は聞いたうえでだし「しばらくお休みします」とは放送でも言われている。
詳細はブログの動画参照だが
・そもそもNHKは、現在3局のBS局を1局減らし、2局になる。
・単純に三分の二、枠が減るだけじゃなく、絶対にはずせないニュースとかを考えると娯楽番組が大幅に減る。
NHKの偉い人が方針を変えて「公共放送のウチが、娯楽とかサブカルとかやってるのはよろしくない。そういうのは民法に任せて・・・」となんか正論に目覚めた。
民法なら人気、視聴率があれば存続するが、NHKは人気に左右されない。だから良質な番組も残るが、逆に言うと人気があっても上層部が判断すれば終了する。
・というわけで番組は終わるというか、長期のお休みというか。


この後、ではどうやって存続させるか?とか別の形はありえるか?とかマンガ夜話の裏話をいろいろ語っていて、そっちを展開させるとさらに面白い。
そっち方面でこのエントリ続けるかもしれんが、とりあえず報告だ。

サイキック・ウォーズ再論(笑)。靖国反対運動で宗教の衝突と、自由と慣習について

http://www.sankei-kansai.com/2009/12/23/20091223-018568.php

台湾女性議員を告訴へ 靖国神社で過激デモ


 靖国神社(東京都千代田区)で今夏、デモ隊を組織して過激な抗議活動を繰り広げた台湾の高金素梅・立法委員(国会議員)に対し、旧日本軍人や元衆院議員ら4人が、礼拝所不敬や説教等妨害、威力業務妨害、傷害などの罪で28日に東京地検に告訴・告発する。代理人弁護士は「国のために尊い命をささげた戦没者に崇敬の念を抱く日本人の宗教的感情を侵害した不敬行為だ」としている。

 告訴・告発するのは、旧日本軍人で特務機関員を務めた門脇朝秀氏(95)のほか、元衆院議員、西村真悟氏▽元大阪府八尾市議、三宅博氏▽東京都議、古賀俊昭氏。

 告訴・告発状によると、高金委員は8月11日朝、靖国神社境内で台湾先住民ら約50人のデモ隊を引率し、「靖国ノー」「先祖の霊を返せ」と拡声器で連呼しながら行進。デモ隊メンバーは拝殿に上がり、さくを押し倒して土足で奥の間に入り込んだ。これを制止しようとした神社職員らともみ合いになり、押し倒すなどして数人に打撲などの軽傷を負わせたとしている。

この時の映像があればいいんだが。

【追記】ありました


D

流れるコメントはひどいものが多い。


告訴されたからって検察が起訴するかどうかは分からないし、怪我の詳細などもわからん。そちらはあとで資料が無いか調べてみるが告発対象に、懐かしい「高金素梅」という名前が出てきた。
耶律阿保機 」とか「完顔阿骨打」という名前を教科書で見たときのインパクト(まあ「卑弥呼」だって同様の当て字だが)のように、なんか覚えてしまうのと、なんか「素梅」っておいしそうな名前だったという印象もあるのだが、それより何より、彼女(女性です)はかつて、彼女にとっては”邪神の神殿”であろうヤスクニにおいて、サイキックウォーズを展開したということで、このブログで紹介している。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050813#p3
靖国参拝−−平和を呼ぶ「サイキック・ウォーズ」?
いや面白いなあ。ブログの考察も面白いが(自画自賛)、彼女がかつて行ったことが面白い(笑)

高金素梅氏は地裁で提訴する時、靖国神社へきた。抗議にきたのは分っていたが、せっかくきたので丁重に迎え、お話を伺った。「自分の縁者の祭神を下ろしてほしい。持ち帰りたい」というので断った。
「自分の民族の方法で(魂を)持って帰っていいか」と聞くので、「それで気が済むなら結構」と答えた。そこで高金素梅氏は5分間祈った。
宗教の違いは認める。高金素梅氏は持って帰ったつもりだ。
しかし神社の信仰では「持ち帰れない」。

いや、平和でいいなあと(笑)。だから、これで終われば良かったのにね。
すべての宗教の原則として。


平和のために、宗教の大原則を再確認。「宗教上,私達はAを●●と見なす」は”証明不可能・相互無視”で!!!

さてもう少し、論点の最重要部分を抜き出して展開しよう。高金素梅さんは「自分の縁者の祭神を靖国神社はおろせ」と言ったが、神社が断った。で、自分の宗教の儀式によって「魂を持ち帰った」・・・

持ち帰った・持ち帰ってないはどっちでもいいんだが、「わたしの縁者を○○教の形式で祭るのを、○○教(神社)はやめよ」という議論はどう考えるべきか。
実はこれ、また別の形でこういう裁判があった。(これは自衛隊護国神社

裁判では原告の敗訴が確定している。


宗教というのは、「定義集」みたいな部分があるので、世の中のもろもろに対して「あれはAぞよ」「これはBぞよ」と勝手に認定する。
それで豚が不浄だったり牛が神聖だったり狐はかってに正一位を賜ったりまァいろいろだが、当人にとってみれば「俺が不浄?異議ありだブー」「おいら神聖なのかモー」「私はノーベル賞ならもらうが宮中の位は辞退するコン」てな感じだろう。だいたい、そうするとたこの位置づけはどうなのか。デビルフィッシュという位置づけはどうなのか。


「勝手に定義軍団」といえば幸福の科学です。
探してみると以外にネットにも情報が無いが、あのへんてこなピラミッドランキングがありますですね。
いま、有名サイトにて発見したので、ちょっと画像を転載・・・いや、大きすぎるから無理か。
http://tiyu.to/news/09_12_25.html
画像は
http://tiyu.to/image/news/21_12_25_02.jpg

七次元の梵天界に、手塚治虫がいることは有名だ(笑)。
ちなみに教祖の頭が悪い(笑)のと世代の壁で、毛沢東レーニンを最下層ながら「善人」扱いにしてます。わたし、これで直接教団関係者に突っ込んだことあるよ(笑)


まあ、あまりにバッタもんくさいと思ったら、こっちはどうでしょう。ベトナムカオダイ教
http://www.tkago.net/tguide/viet_kaodai.html

カオダイ教最大の特徴は宗教の混合です。ゴ・ミン・チェンは五教(キリスト、仏教、儒教ヒンズー教道教)の教えを土台としたことから「カオダイ(高台)」の名がつきました。総本山はホーチミン市から約 100kmのタイニン省にあり、タイニンの 7割の人間がカオダイ教の信者だそうです。孔子老子、釈迦、キリスト、ムハンマドソクラテス李白トルストイヴィクトル・ユーゴーなどを聖人や使徒として、崇拝の対象にしています。

ユーゴーを聖人だというなら、大デュマはどうなんだっ!!
李白使徒なら、杜甫の立場はっ!!
墨子は選考にもれたのかっ!!
みんな「ああ無情」と思っているよ!!!!

ついでにいうが菊野克紀は大晦日に出場する資格があったと思うよっ。


インドネシアでは、「ムハンマド?ああ、われらが教祖が出てくる一つ前の預言者ですね」と定義した宗派が絶賛迫害中。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090703#p7


ま、それはともかく。
上のカオダイ教はなかなかチャレンジャーで「わが主以外に、他の何者をも神とするな」つーセム系の救世主や預言者も加えているぐらいだが、要は「私の宗教では、AをXXXであるとみなしています」というのは相互に干渉できないし、(相互に批判は自由ながら、直接的・強制的な干渉をしてはいけない)というのが原則だということだす。


それは「手塚治虫は今、七次元の梵天界にいる指導霊」も
トルストイはわが教の聖人」でもそうだし、
もっとさかのぼれば
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.sankei-kansai.com/2009/12/23/20091223-018568.php
にも書いたように

別宗教が「救い主」と崇めるイエスを勝手に「預言者の一人。ムハンマドに劣るけど」と認定しちゃったのがイスラム

なのであります。そのひとつとして
昭和戦争に台湾から出征し、戦死した人は『英霊』です」
というのもあるのですな。別の宗教なり思想がある人が「そんなアホな」「私の縁者が英霊になるわけない」と思っていても、それが宗教なので、「やつらはあんなアホなこと言ってる」「まことの神はただひとつ」「真の霊は儀式により持ち帰ったんだよ!」「人は死ねばゴミになる」と、主張していただくこと(=「主張」にとどめる事!!)が肝要かと。

想像してみよう、天国なんて無いってさ
やってみれば簡単さ
僕達の下に地獄なんて無いよ
僕たちの上には、空があるだけさ

ささげもの

1942年12月8日、ファティマの予言の一部実現を記念して、ローマ教皇ピオ12世は全人類を聖母マリアの聖心に奉献した。私も人類の一員だが、まさか自分がマリア様にささげられていたとは知らなかった。だからといって、私は教皇に抗議するつもりはない。

またキリスト教では、イエスは全人類の罪をあがなうために十字架にかかって死んだと説いている。私はキリストに身代わりをたのんだ覚えはないが、キリストを訴えようとは思わない。それがキリスト教の教義だということを知っているからである。宗教のドグマに他の宗教は介入できない。

佐伯真光談)

もひとつの原則

「わたしはAをやる」と「あなたにBをやらせる・あなたがAをやることを禁じる」では、当然前者より、後者のほうがハードルが高くなるのである。



繰り返しますよ。「証明不可能・相互無視」。これでいきましょう。地上の平和のために。
なに、どれが正しいかは本人が死んだときにあっちで自動的に分かりますわ(笑)
そう、賢者ナータンが語る三つの指輪の寓話のように。

ナータンは、ある一つの事件をきっかけに、ユダヤ教イスラム教、キリスト教のうち真の宗教はどれかという難問を突きつけられる。
ナータンは、3つの指輪の寓話を語ることになる。

「ある国の王家にひとつの指輪が受け継がれている。持ち主は、指輪の不思議な力によって神にも人にも愛されるようになるという。3人の息子をもつ王は、誰に指輪をゆずるべきか悩んだ。密かに精巧な模造指輪を2つ作らせた。王は、本物と模造物あわせて3つの指輪を、3人の息子に分け与えた。息子たちはどれが本物なのかをめぐり争うが、模造の指輪があまりにも精巧に作られていたので、父親自身にもどれが本物なのかわからない。裁判官は争う3人の息子に対し、判決を言い渡す。判決内容は、父親が3人を分け隔てなく愛して与えた指輪の中に真偽の区別はもはやなく、それぞれが本物であること、そして指輪が本物であるかどうかは、いずれ持ち主が神にも人間にも愛されるかどうかを見ればわかるのだ、というものであった。」

みんな「心の魔王 平口君」に学べ!!

学ぶ前にわからんわっ(笑)!!!

神聖モテモテ王国」作者のながいけんがかつて某マイナー誌に数編を載せた短編である。主人公は心の中で「全世界を支配する魔王」であり「絶対解除不可能の呪い」を黒ミサによって掛けることが可能な平口君。彼が、実際に気に食わないやつを呪ったり、「ふふふ・・・愚民め・・・」と道行く人々を「自分の下僕」扱いするのだが、勝手にそう「定義」し、「見なし」ているだけなので世の中は何も変化がなく平和であるという(笑)。



参考エントリ
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20051112#p2
■ 「靖国問題の原点」

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20060209#p2
ムハンマド風刺漫画問題。あるフィクション

「礼拝所不敬」とは。

ふたつに分けたほうが読みやすいな。

礼拝所不敬罪(第188条第1項)、説教等妨害罪(第188条第2項)

神祠、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処せられる。また、説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処せられる。

だ、そうよ。
わたし、宗教施設へのこういうのは各自治体の条例関係で制定されていると聞いた記憶があったが、ちゃんと法律にあるんだね。
今年1月、こんな事件もあったそうな。
http://sachihiro.com/wordpress/?p=572

棺を落とし遺品散乱…「葬式妨害」で会社役員を逮捕
2009.1.19 18:54
 知人男性の母親の葬儀で、棺を床に落として遺品を散乱させたとして、警視庁世田谷署は葬式妨害の疑いで、世田谷区内に住む会社役員、新保修洋容疑者(42)を逮捕した。「足元がふらついただけ」と容疑を否認している。

 調べでは、新保容疑者は昨年10月中旬、東京都品川区内の斎場で行われた知人男性の母親の葬儀の最中、突然大声で叫びながら祭壇に近づき、棺を台から落として花などを散乱させ、葬儀を妨害した疑い。(略)

 刑法188条は、葬式妨害について、1年以下の懲役または10万円以下の罰金などと罰則を定めている。葬式妨害容疑での立件は極めて異例で、同署幹部は「棺を落とすなど聞いたことがない。亡くなった人を冒涜(ぼうとく)する考えられない事件だ」と怒り心頭だった。


まあこうやって実際の例を見ると、この法律がなくても別の法律が適用できるような気がするし、また「公然と不敬な行為」とはそも何ぞや、というのも気になる。ただ、これによって神社もモスクも教会も、平和祈念碑のたぐいも「不敬な行為」からは免れる効力があることは間違いない。

ただ、
これは以前からの興味に引き付けるが「大声」だとか「本殿に無理に上がろうとした」とか「職員ともみ合った」とか「花などを散乱させた」というのは他者への危害でいいんだろうが、プラカードとかポーズとかだとどうなんだろうね。
境内だと敷地や施設の管理権があるということなのかな。


個人的には高氏が「靖国神社軍国主義の象徴!」と書かれたTシャツを着て境内を練り歩くのは、かまわないんじゃないかと思う。中指を突っ立てるとか「ちんぴょろすぽーん」のポーズを境内でとって神社を侮辱・批判してやるぜ!というのもOKかな。(とうぜん批判は周囲から受けるだろうが)
もちろんそれは教会において「キリスト教は排他的 BY小沢一郎」と書かれたTシャツを着て練り歩くのを認めるのも、渋谷のモスクで「ムハンマドは9歳の(以下テロの恐怖から自粛)」というTシャツを着て練り歩く自由でもある。もし認めるならね。
施設の中、外という区分けもあるし。


とゆーか、そもそも「礼拝所」を特別にそうやって扱うのがおかしい、って議論のほうが筋がいいような気がする。
だから今回、批判するなら「そもそも礼拝所不敬表現の自由に反した憲法違反だ。他者に迷惑にならない範囲で不敬したっていいではないか
ってう論法はどうだろう。
結局、礼拝所では特別に「不敬」を取り締まられるというのは、自由の原則が「伝統」に屈した一例なのではないかと思うのですがどうですかね。

外国国章損壊罪」と類似していると思った。

外国国章損壊罪」とは?

http://www.houko.com/00/01/M40/045.HTM

第4章 国交に関する罪
(外国国章損壊等)
第92条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない

以前、下のブログに書いたのだけれど、
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080421#p4

これって素朴に読むと、表現の自由を侵害しているような気がするんだけど、まあずっと存在しているんだからいろいろ理屈があるんだろう。また無いと色々実際的には困る部分もありそう。「礼拝所不敬」もそうなんだろうね。慣習と伝統が、自由の原則の上に立つ。