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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「七帝柔道記」増田俊也がパリ五輪「永山判定(悪魔の6秒間)」を語る/本日は阿部兄妹

関連記事も一つ書いてるけども
m-dojo.hatenadiary.com


https://x.com/MasudaToshinari
より


増田俊也(作家)
@MasudaToshinari

もうひとつはやはり、試合場が日本ではなく外国だということです。野瀬vsサイゼンバッハのときも篠原vsドゥイエのときも抗議がうまくできずに向こうの思うがままにされてしまった。だから本来なら日本チーム内に英語とフランス語ができる柔道経験者の弁護士を入れて、そのときのために抗議の訓練をするべきかもしれない。背負い投げや十字固めの研究も必要ですが、海外でのこういった審判への抗議スタイルを対策していかないと。

増田俊也(作家)
@MasudaToshinari

僕は永山選手を責めてはいませんよ。あんなかたちで負けるのは勿体なかったなと思っています。精神論も言っていません。「気を抜いた」というのは他のスポーツであっても、海外での試合は相当に繊細に選手たちは進めていると思うんです。それが何か審判が何やってるんだかわからないうちに負けにされてしまった。



増田俊也(作家)
@MasudaToshinari

【永山竜樹選手vsガルリゴスの誤審問題】
僕がいちばん「変だな」と思ったのは審判の所作や表情です。あまりに自然で無表情だった。

例えば七帝柔道の大会(七帝戦)だと選手が絞めに入ると主審は屈み込んで両選手の技の動きだけではなく、顔をずっと観察しています。落ちた瞬間を的確にとらえ、さらに「完全に落ちた」と誰からもクレームがこないところまで待ちます。それくらい繊細な場面です。

でも永山竜樹vsガルリゴスの絞めの攻防では主審に「緊張」が見られなかった。「待て」を言うときも無表情、「勝ち」を宣するときも無表情。永山選手もすぐに立ち上がったので深く落ちていたわけではないように見えました。なぜあそこで一本を宣したのか。普通の感覚なら審判はまわりの目を気にしてうろたえてもおかしくない。

あの主審はよほど審判技量が高く自分の能力に自信を持っているのか、逆にレベルが低くて選手の攻防を見ることができず、観客の目も怖くなかったのか。最終的な論点はそこになるんじゃないかな。

どちらにしても五輪後にこの試合をあらためて見てもらい、佐藤宣践先生くらいの世代の一流指導者たちに細かく柔道の技術とルールの変遷をを分析してほしいです。「ゴング格闘技」で20頁くらい(400枚詰原稿用紙150枚位になります)。

おっと、まだ続いてたか(ただ、氏の書き込みはほんの少し長文で、埋め込みだとパッと見て全文読めないので注意)

増田俊也(作家)
@MasudaToshinari

ポストラインに「七帝柔道だったらこんなことはありえない」とか流れてくるけど、七帝柔道で絞め落としたり関節で腕を折ったりするのは、まさにこのように試合後に「落ちてなかった」とか「参ったしていない」という揉めごとを防ぐため。「柔道は武道なのに」というポストも的外れ。そもそも武道とスポーツの違いって何だろう。中井祐樹が十年以上も前に「武道にあってスポーツにないものはない」と断言していますよね。






一応本日、阿部兄妹出陣

なぜ「一応」なのかといえば、彼らの柔道はいわゆる正統派で、本道すぎてMMA寄りのここで扱うより、普通に真っ当に語られ、報じられるだろうから(笑)


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