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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

70-63kg各階級で、DREAM選手のランキングを作るなら?再編成の時期来る

http://gbring.com/sokuho/news/2009_07/0730_dream_03.htm
http://www.kakutoh.com/pc/news/shosai.php?id=4084
http://gbring.com/sokuho/news/2009_07/0730_dream_04.htm
http://www.kakutoh.com/pc/news/shosai.php?id=4085

なんて話をつらつら読んでいくと「宮田和幸調子に乗ってんなぁ」みたいな話とか「山本KID徳郁,あんだけハデにKOされて10月にも出たら・・・さすがにダメージが累積するんと違うか?」「石田光洋、DREAMでは菊野克紀に横入りされたからなあ・・・もう一回メレンデスに勝てば変わってくるかな。ストライクフォース定着って道もあるし」
など、つらつら考えているのだが、要は、何度も書いてたようにDREAMのライト級・フェザー級はGPメンバーと、予備に控えるDEEPの同階級上位陣が非常に粒ぞろいなので、王者や一番上の層のみならず、一回戦で負けたような選手も十分対決に興味があるのだす。
ミドル級とウェルター級はそうじゃない。

個人的な意見では、たとえば出ていたことをそろそろ忘れられつつある、ブラックマンバとウマハノフが闘ったらどうなるのだろう?とかを考えている。・・・まぁ、あんまりいないだろうな(笑)。
あと、石田に敗れて3歩ぐらい後退した中村大介は、この上の2人に勝てるんでしょうか。レスリングで勝負する石田と、永田克彦はどっちが強いんでしょうか。

こういうのを手っ取り早く、ランキングを(公式でも非公式でも)つくってくような感じにしてほしいなぁと思ったのでした。

最近のDREAM選手の実績をどう評価するのか。早指し将棋みたいに反射神経で並べると

王者 ヨアキム・ハンセン
1位 青木真也
2位 川尻達也
3位 エディ・アルバレス
4位 JZカルバン
5位 ヴィトー”シャオリン”ヒベイロ
6位 石田光洋
7位 アンドレ・ジダ
8位 中村大介
9位 永田克彦
10位 ブラックマンバ
11位 ウマハノフ
12位 チョン・ブギョン

イメージっす。フェザー級は果たしてどうなるかな。ちょっとすぐには思いつかないのでほっておく。
このへんの相互の試合を、適当に前座としてでも組んでいってほしいというのが僕の願い。

ジョシュ・小川vsサップ・高山。「誰が寝るのか、それが課題だ」そうな

http://www.kamipro.com/news/?id=1248861007

・・・今回、まず発表されたのは「プロレス界の枠を超えた男たちのドリームマッチ」と題してメインで行なわれる、小川直也&ジョシュ・バーネットvs高山善廣&ボブサップの一戦。

渦中の人物を集めて、火中の栗を拾うIGF。(うまいこと言うなぁ俺)
それはともかく、このカードは
http://kakutolog.cocolog-nifty.com/kakuto/2009/07/vs--8--9-7a87.html
にも書かれているように、井上譲二氏『週刊マット界舞台裏』7月30日号でスクープされている。

http://miruhon.net/news/2009/07/post_587.html
ただ、ここではカード決定後の「問題」もクローズアップ。カクトウログさんはぼかしているが、数日経ったことでもあるし端的に書いちゃうと、「じゃあ誰が『寝る』(負け役を務める)んだ」と。
ジョシュはU-STYLEだと嬉々として負け役を勤めたけど、果たしてIGFではどうか。
ボブ・サップなんかMMAであんなに手ひどい負け方してんだからいいじゃん、と外野は思うのだが、だからこそプロレスでは強い姿を見せたい、という思いもあるかもしれない。

さてどうなるんだろう。

ナチスドイツのパリ入場に参加した日本人記者の話(「記者風伝」)

記者風伝

記者風伝

という本を読んだ。作者の河谷史夫朝日新聞の元「素粒子」筆者、”死神騒動”の当事者といったほうがピンと来るかもしれない。
しかし私はそれ以上に書評委員としての彼のファンで、書評集「読んだふり」も面白かった。

今回の本は、「名記者」と言われる人たちを短く紹介したものだ。
いろいろと面白い部分は多数あるのだが、守山義雄という人を紹介したい。

河谷氏は
「新聞紙(しんぶんし) 一日経てば 新聞紙(しんぶんがみ)」
という言葉を紹介し、新聞記事というものが日を置き、時を経れば意味の無くなるものだとする。
その例外が、守山の記事だった。
かれは、第二次世界大戦においてドイツ軍が電撃戦によってフランスをまたたく間に撃破、パリに進撃する。
守山はそこに従軍し、こういう文章を書いた


北仏の平原を横切り丘陵を越えてドイツ兵站部隊の長い隊列が南へ南へと前進していた。
(略)
八十パーセント迄機械化したドイツの軍隊には珍しくも之は馬に牽かせた輜重の一隊だった。『パリ迄二十六キロ』道端の標識にははつきりそう読まれたが、御者台の兵士達は何の感興も湧かぬ面持で連日の強行軍の疲れから馬の手綱を握った儘うつらうつらと揺られてゐた。道はサン・ドニのだらだら坂を上り切って小高い丘の上に出た。その時突然一人の兵士がアツと叫んで前方を指さした儘声を呑んで了(しま)つた。
あのエツフエル塔が指呼の間に悠然と聳えてゐるではないか・・・・(後略)


守山は「兵の涙に『欧州の宿命』」「規律の中のドイツ軍に『強者の美しさ』」を見たりして、壮麗な戦争文学だと呼ばれた。徳富蘇峰を記念する蘇峰賞が送られた。


そして、すごいことには戦後、「ヒットラ来り去る」という記事を連載。

「伯林と東京と敗れたる二つの都市の目撃者となった自分にいま『自由なペン』が与えられた。ああ自由なペン!新聞記者になっていく年そのことを夢にみたことか」


ただ、この文章は反発も呼んだ。
「ドイツが負けたからおまえはそういうことをいうのだろう」「それをなぜベルリンから堂々と通信しなかったのか」「ナチスドイツの完璧な組織を謳歌し、ドイツ必勝をわれわれに説いたのはつい昨日までのことだったではないか」「新聞記者は筆先の技巧ひとつで白を黒と言いくるめる」「えんぴつ女郎」・・・


「そんな批判はやっかみ半分だ」「筆は筆で埋め合わせすればいい」という弁護論もあったらしいが、当人はかなり気にやんでいたとか。


だがなんにせよ、その後も彼はサンフランシスコ講和会議や横井庄一元軍曹の発見などを記事にしていく。
戦時中にパリ入場を、
終戦直後に「ヒットラー去る」を、
独立回復時にサンフランシスコ講和条約締結を
すべて名文で描いた記者。 そんな記者に、歴史はどのような判決を下すのか。

現在の天皇陛下に勝利した新聞記者と、その新聞記者への一言(同上)

つづいて斎藤信也という記者の話。
この人は、当時の皇太子−−現在の天皇陛下−−が、英国のエリザベス二世戴冠式に出席するための船旅へ赴いたとき、同行記者となった。出発初日の原稿の「予定稿」を横浜支局で受け取ったのが若き日の深代惇郎で「皇太子はデッキに佇み、満月の光を浴びながら父母陛下と母国に思いを馳せる『予定となっていた』」と回想している。まあ、当時は技術的な制約もあったしね・・・。


で、斎藤記者は畏れおおくもかしこくも、皇太子殿下(当時)と将棋を指す光栄に浴し、しかもなんと三番勝負を2勝1敗で制してしまった。アマテラスの子孫が直接指揮したもう軍隊を、臣民が弓ひいて撃破したのは後鳥羽上皇後醍醐天皇の時代にさかのぼるのではないか。

んで、当時の週刊朝日扇谷正造編集長(伝説の編集長である)は「その棋譜送れいっ、スクープだ!」と色めきたつ。
斎藤記者はうんうん言いつつ、棋譜を40時間かけて思い出すのだが、その際に皇太子が記者に言った一言。


「どうせ、作っちまうんでしょう」。


その数日前、各社の紙面に並んだであろう「予定稿」のラッシュ、それを書かれる側の皇太子が、花形記者にこういった。

単に彼がその時苦しんでいた、棋譜再現のことのみを言っていたのだろうか。
それはわからない。


しかし、無意識的か意識的か、結果的に恐ろしい批評になっている。
いまの千代田区一丁目一番地の主、どうにもその器量おそるべしの「出来星」なのではないか。

記者風伝

記者風伝

(※コメント欄のご指摘で誤字を修正しました)