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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

GONKAKU読んで気になったこと。五味大晦日、修斗判定、韓国格闘技

五味隆典

「…たとえばKIDさん(山本KID徳郁)のような見ていてワクワクするような選手とならすごい試合ができると思うんです。」


「武士道GPをやっているときとHERO'SのGPをやっている時に『どっちが強いの?』って。KIDさんとだったら、互いに日本人選手のすごさを見せられる試合になるでしょうね」


「何kgでやれるか…KID選手にとって体重差は大きいですよね。どこまで落せるかな。(略)。もしファンやプロモーターが望むなら」


「JZ・カルバンのハングリー精神は見習うところがありますね。ただ俺とは世代が違います。彼の戦いには何と言うか…”色気”を感じない。もし彼との試合をファンが求めていて、そういう流れになるのなら、それはそれで面白いでしょうけどね・・・」


うーーーん、どう?
「一般のファンが望むのは、日本人対決。中でもvs山本KID徳郁
これは事実といえば、事実なんだろうけど…

山本KIDが最近言い始めた「俺は本来63kg-65kgの選手。これまでは中量級を盛り上げるために無理してやっていた。このジャンルは育ったし、本来の階級を育てたい」ってのはピカピカでガチガチの正論。

今まで、「五味と、間を取って67kgぐらいの契約体重ならやっていい」とか言ってたのも事実で、そのへんの整理がつかないから今はごたごたしているけど、どーもなあ。

これは俺が一般ファンに入ってないってことなんだろうけどJZ.カルバンとの試合のほうがよっぽど見たいよ。
「色気を感じない」?
何それって感じだが、まあ主観だからどうすることもできんかな。


プロレスススーパースター列伝ではバディ・ロジャースカール・ゴッチの挑戦について、
「あんなやつちっともおそれはせんが、おれはもっとファンにウケる相手とやりたいってことさ!」と言ってたな(笑)
(画像があれば張っておくのに…)


格闘家精神性評論家の( ´∀`)さんだって
黙っていないだろうし。


それはともかく、いま、手持ちのカードで考えよう。大晦日。五味がHERO'S参戦(日本の興行っていった以上)を前提とする。
そして「日本人対決」「一般ファンに受ける相手」・・・・

全部はクリアできないけれども、KID以外にもHERO'S日本人で五味に対峙できる人はいないことはない。
宇野薫は残念ながらあご骨折で治療中。
だが、そもそもKIDが「70kgならこいつに任せられるから」と言った朴光哲がいる。
ブラックマンバに何もさせず圧勝した宮田和幸がいる。
アマレス力とパワーでは無双の永田克彦さん(なぜかさん付け)がいる。


五味のイメージする、「夢のある試合」に一致するかは分からないが、まあまあ悪くないと思う。
いきなりKIDをやるよりは理屈にもあっていると思う。
ヤレ。

残り二つのエントリ(修斗判定、韓国格闘技)は、後日にします。

もーしわけない。

中島岳志の新刊予定。森達也氏のも

昔は、「ある作者がこういう本を製作途中だ」なんていう情報は業界内でしか漏れてこないで、書店の棚に並んで初めて知ることになるのだが、いい時代というやつだ。


http://www.hakusuisha.co.jp/topics/talk070906_5.php

森:現在進行している話を聞かせてください。


中島:書き下ろしで「平成ネオ・ナショナリズム」という本を書こうとしてます。僕たちロストジェネレーションと言われている世代の若者になぜ、スピリチュアリティナショナリズムを兼ね合わせたような世界観の中に没入していくヤツがいるのか。代表的なのは窪塚洋介ですね。僕は窪塚君のインタビュー記事をかき集めて、赤線を引きながら読んでいるんですね。このテーマは「終わりのない自分探し」という問題と絡んできます。90年代半ばぐらいの宮台真司さんは、自分探しというのはもう終わりなんだ、そういうものはもうケリがついた、人生は意味じゃなくて強度で生きるんだという議論だった。しかし、90年代末から出てきた現実は、「終わらない自分探し」だったわけなんです。

 もう一人、僕自身はどうしても気になるのが堂本剛という人なんですよ。彼の書いたものはほとんど全部熟読しています。僕たちの世代のキーワードは「ゆるくて熱い」ということだと思っているんです。「堂本剛の正直しんどい」という番組があるんですけれども、一見すると彼は非常にユルイ感じで出てきて、ダラダラしている。しかし一方で、書くものは非常に熱いんですよね。自分に負けちゃいけない、とかいろんな言葉が出て来る。さらに2004年から05年ぐらいに、その中に「神」という概念が非常にたくさん入ってきたんですね。非常に超越的になっている。その「終わりなき自分探し」という問題をどう考えるか。

 同時にアニメなどに出てきている「セカイ系」といわれる流れ、その辺を噛み合わせた時に、今の「ロスジェネのナショナリズム」が、実はこれまで考えられていたものとかなり違うものだということが出て来るんじゃないかと。それが僕にとっては今、考えている非常に大きなテーマなんです。もう全くインド研究からはみ出てしまっていますね。



森:面白そう。いつ頃本になりますか。



中島:それは聞かないでください。まだ一行も書いていないんですけれども。編集者との約束は今年中に書いてね、と。ちくま新書なんですけれども。サボリ癖があるものですから。



森:同時並行で今いくつか進んでますよね。



中島:実は2冊対談の本を作っておりまして、左/右両陣営の方と対談をやっています。一人は姜尚中さんと、パトリや郷土、そこからネイションなどの問題を巡って議論している対談本を一生懸命つくっています。もうひとつは、西部邁さんと保守というものについての論争をやっています。「日本には今、保守というものは存在しません」というメッセージを込めた本をつくっています。保守とは根源的にどういう思想なのかという議論をしっかりしなければ。(略)
僕は近代日本にしっかりとした保守主義者というのは2人しかいないと思っているのですが、一人は西部さんで、もう一人は福田恒存福田恆存。この二人は非常に重要な保守思想家だと思います。

 もうひとつ、『父・ボース』という本も作っています。ボースの娘さんから聞き取りをしまして、お父さんの思い出などを色々話を聞いて、それをまとめています。なかなか泣ける本です。生粋の江戸っ子のような方なんですよ。インド人と日本人のハーフなんですけれど、すごく気っ風のいい方でしてね、僕はいつもお会いするのを楽しみにしているんですけれども、非常に面白くて、切なくて、いい本なんですよ。(略)ご遺族がもっていらっしゃった写真などもたくさん付けながら出します。ぜひそちらの方も楽しみにお待ちいただければと思っています。

森さんはどのようなご予定ですか。


森:まず遅れに遅れているのが死刑をテーマにした本で、これは今月中には脱稿しなければならないという感じです。光市母子殺人事件の加害者少年に会いに、多分来週行くことになると思うんです。それをエピローグ的に加えて、なんとか10月刊行を目指しています。……2年ぐらい前からずっと目指しているんですけれど。


本当は途中も(略)はしたくなかったのだが、さすがに膨大なのでちょっとだけおためごかしに削った。直接見ていただいたほうがいいな。ふつう、新書ってどれぐらい制作時間がかかるのか。福田和也香山リカの対談本は二回だか一回、あって話しただけで基本的には完成したという。


中島氏の対談本というと、毎日新聞の「アジア的!」がまとまるのかと思ったけど違っているようで残念。
姜尚中との対談本はあまり期待せず。西部邁との対談もどうなるか気になるところ。上の「しっかりした保守主義者は西部と福田の二人のみ」という話が面白く、かつ「?」な気がするのは、二人は最福田の晩年に交流があったものの、もともと出自としては過激な新左翼活動を潜り抜け、そのパッションや過激さの方角を変えての保守主義者となったのが西部で、福田は本当に文学的感性からの保守主義を、生涯にわたってぶれずにやっていた人だから。
ただ、西部も福田も源流を辿れば「英国流」に行き着くという共通点もまたある。そのへんのことが中島氏によって分析されたらおもしろい。



こちらが、野次馬的に対談を見たいというなら、同じちくま新書で、先行してそのものずばりの

ナショナリズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)

ナショナリズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)

を書いた浅羽通明との対談。もちろん呉智英宮崎哲弥との対談も読みたい。

また、まっとうな保守主義者が上の二名なら、「まっとうじゃない保守主義者」との論争のほうがおもしろいじゃないか、とヤジウマ的にさらに思う。
とするなら、西部邁犬猿の仲で、しかし福田恆存との人的・心的交流は西部よりずっと深い(学生時代から交流あり)西尾幹二との論争。

各社の編集者はご一考ください。

しかし、ヒンドゥーナショナリズムのこと、ここで書きたいといってて、まだ書いてないな。予告編だけだ。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070706#p2

「日本のナショナリズムを分析するには、日本と似た国のそれを観察するか、あるいは日本とまったくかけ離れた正反対の国を観察してみるといい」
と書いたことがあり、「正反対の国」という点ではイスラエルなどを挙げた。

インドも、自分はあの複雑すぎるカースト制度ヒンズー教を考えると「正反対の国」のカテゴリーで、そこから日本を逆に浮き彫りにすればいい…と思ったのだが、意外やある一面では、日本との共通点が多いのだよ

これだけかよ。


あと、余談ながら、中島−森対談ということで、その紹介エントリにコメントを付けさせていただいている。
例の「シモヤマケース」問題が、ちょっと中島・小林よしのり論争と関わっている気がしたのでそれを紹介させてもらった。
http://www.indo.to/log/nakajima/?itemid=909

見よ、黙示録の第一の門が開いた…青空文庫の図書館配布もまた「岩波包囲網」だ。

昨日の、広辞苑にまつわる岩波書店のしんどさ、というのは時間の都合上、もう一度後回しにしますが、その代わりに
http://www.asahi.com/culture/update/1025/TKY200710250282.html
を紹介。これはきのうの夕刊で一面トップだったね。

6500作がDVD1枚に 青空文庫、図書館に無料配布
2007年10月26日07時29分



 夏目漱石コナン・ドイルなど国内外の作家ら407人の約6500作品が1枚のDVDに収められ、全国の図書館約8千館に無償で配られることになった。民間の電子図書館青空文庫」がインターネットで提供しているデータを元に制作した。同文庫の魅力をDVDを通じてネットの外にも広め、文学作品などの著作物を社会が共有する意義を強くアピールするのが狙いという。

 同文庫はノンフィクション作家の富田倫生(みちお)氏らが97年7月に始めた。

 DVDには、漱石芥川龍之介太宰治などサイトで人気を誇る作品のほか紫式部泉鏡花坂口安吾アンデルセンユーゴー魯迅なども収録予定で、(略)今月末から配布予定。

DVDは操作がネットより簡易なため、ネットになじみの薄い人も使いやすい。

 DVDを借りた人は様々な使い方ができる。例えば、教師が授業で作品のテキストをコピーして大量に配る▽定年後の趣味で作品をキーワード検索や切り張りして分析・研究する▽好きな作品を集めたアンソロジー(選集)を自費出版する▽視覚障害者はテキストを音声に変換するソフトを使って聞く――などだ。
(略)
 DVDや冊子の制作費には、同文庫が蓄えてきた広告収入を充てた。DVDの配布には、文化審議会で検討されている著作権の保護期間の延長の動きに、ストップをかける狙いもある。

 著作権法は、著作権の保護期間を「作品誕生から作者の死後50年まで」と規定しているが、米政府や著作権団体などは「死後70年まで」に延長するように求めている。


 青空文庫は死後50年が過ぎるのを待って、作家の顔ぶれを増やしてきた。保護期間が20年間延長されれば、20年間は新たな作家を加えることが難しくなるという。
(略)

青空文庫、ついに起つか!!
岩波(に代表される古典出版社)は「信玄上洛」を知った織田信長の心境かもしれん。


まあ、DVD一枚じゃあそう簡単には直接のインパクトはないだろう。
ただ、図書館に来たら実際、私は借りて速攻でHDDに丸ごと保存してから返すなあ。


で、何の統計的な裏づけも論証もなしで言いますけど、「こうやって青空文庫が普及すると、岩波書店(ちくま書店とかでもいいけど)の経営にはダメージになる」。
違いますかね。
てな感じで、断片的にだらりと続いていくかもしれません。


それから、補足いなきゃいかんけど、記事にもあるようにこれって、青空文庫著作権延長問題(50年→70年)で追い詰められて、局面の打開を計って今回こういう大胆な試みをしたって部分もあるよね。
あんがい、あっさり岩波に有利なようにそのフィールドでは進んでいくかもだ。