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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

祝福と栄光の武藤引退の陰に…「ペドロ・オタービオ」という敵役の物語にも、花束を



「路上の王」は骨法を破ったが、マーク・ケアー武藤敬司には敗れた、あの男について、こう語っていた……

──いまでもルタの選手たちと交流はありますか?

マルコ:もちろんだ。ペドロ・ヒーゾは数か月前にこのジムでセミナーしたし、常に連絡は取りあっているよ。

──個人的にペドロ・オタービオの消息が気になっているんですが、何か知ってることはありますか?

マルコ:あいつか…。ペドロは日本でフェイクファイトのオファーを受けて、その大金に目が眩んで自らの誇りと栄光を捨ててしまった。約束では2試合契約で最初に負けて次は勝って1勝1敗という話だったようだが、私はペドロに言ったんだよ、そんな約束は守られるはずがない、って。そしたら案の定、行われたのは最初の試合だけで2回目の試合の話はうやむやになってしまった。そしてペドロはインチキの試合をしたとしてルタリブレだけでなくブラジル中の格闘技業界から追放となってしまった。それで事実上の引退となってしまってそれっきりさ。

──そうだったんですね。ペドロ・オタービオがああいった試合をしてしまったのは残念でした。

マルコ:私だったら絶対にそんなオファーは受けない。ファイターとしての誇りは何よりも大事だからね。私が初めてバーリトゥードの試合をしたのは84年のことで、相手はカーウソン・グレイシーの黒帯であるフェルナンド・ピンドゥーカだった。他にはエジウニオ・タデウvsヘナン・ピタンギや、マルセロ・ベーリンギvsフラビオ・モリナなどがラインナップされた柔術vsルタリブレの果し合いともいうべき大会だった。当時のバーリトゥードは判定決着はなしで、どちらかがまいったをするまで決着がつかない過酷なルールで行われていて、まさに死を覚悟して戦いに挑んだものだよ。そのピンドゥーカとの試合は引き分けになったけど、ピンドゥーカは顔もボコボコで誰が見ても勝者は明らかだったはずさ。それがバーリトゥードなんだよ。そういった厳しい試合を勝ち抜いてきた私に、インチキ試合を行うなんてことは決してない。

btbrasil.livedoor.biz

ペドロ・オタービオは何しろ、弥生時代から日本に伝わり、電話帳越しに衝撃を貫く「徹し」や「浴びせ蹴り」「擦り蹴り」などのワザマエを持つ喧嘩芸骨法を打ち破った猛者。
更には天下無双、日の下開山たる横綱を弱弱しくタップさせた、そんなつわものでした。
www.youtube.com

それが武藤と対峙するのだから、自分が唯一週刊プロレスに電話をかけて試合結果を尋ねた試合です(笑)。


しかし、武藤はそもそもこんな「異種格闘技戦」を全くやりたくなかった。
というか、紆余曲折の末やるはめになったことで「俺にこんな試合をさせる新日本にはもう付き合いきれない」と思わせ、全日本移籍を生んだとも言われるのですから、ブラジル中の格闘技業界から追放されたというペドロと合わせて、誰も幸せにならなかった一戦でした。

武藤敬司とペドロ・オタービオの一戦

だれが企画したんだ…一説にはゴマシオのオヤジとも言われる!!


人は皆、誰かの物語では悪役、なのだ。東京ドームでヒーローとして、最後の役割を終えた男も、それは変わらない…

人は皆、誰かの物語では悪役