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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

猪木が晩年に最大評価したレスラーが「ケンドー・カシン」であった、という話で微妙に違和感も…

アントニオ猪木追悼で、今年のNumberでの目玉企画だった高田延彦武藤敬司の「東京ドームメイン対談」が公開されてる。

これ、雑誌が発売された時も注目されたところで、その時書こうと思ったが書きそびれていた箇所だ。

猪木は試合後の武藤に「しょっぱい試合をしやがって!」

武藤 あの試合は俺も皆さんにお褒めの言葉をいただいてるんだけど、試合後、猪木さんにすげえ怒られたんですよ。「しょっぱい試合をしやがって!」って。

高田 あっ、そう? 嫉妬じゃないの。

武藤 第1試合(石澤常光永田裕志vs.桜庭和志金原弘光)のガチガチの試合を憶えてます? ああいうのが猪木さんの言う「いい試合」なんですよ。俺が入場する時に、花道で大見得切って大歓声を受けたのが気に入らなかったみたいなんです。「決闘」ムードが削がれるって。

高田 でもファンは武藤敬司を支持したわけよ。そして自分の時代を作っていったんだから、それは大きな功績だよ。


number.bunshun.jp

もうひとつ、猪木追悼では別の記事がある。


猪木さんが絶大な信頼置いたケンドー・カシン 最後に会いたがった意外な人物と〝遺品〟を告白

最初の言葉は意外なものだった。1日にこの世を去った師匠の猪木さんについて、カシンは「やっと楽になれたんじゃないですかね。相当、苦しそうでしたから」と静かな口調で語った。

 カシンは1992年に新日本プロレスに入団。猪木さんの付け人を務めるなどして師事し、旧IGF時代には猪木さんが若手選手に「俺のことを一番わかっているのはあいつだから。あいつの言うことは、俺が言っていることだと思って信じていい」と話すほどの信頼を寄せられていた。
www.tokyo-sports.co.jp

いや、猪木が好きなのは武藤より石澤の試合であり、「石澤の言う事は俺が言ってること」というぐらい信頼していた、と聞かされても、6割5分ぐらいはそうだろうな、と思うのよ。


新日道場に入ってプロレスをやりながらも、セメント技術、特に関節技・寝技の研究に余念がない。ごつごつして、派手ではないが殺気があり、真剣勝負、決闘のにおいがする試合をする・・・・・・・
結果を残せたかどうかはともかく、自分から積極的にMMAの場に乗り込んでいく。


※こちらはリベンジマッチ



だけれども。3割5分ほどは「えー、なんで?」とも思うのよ。
実際、そういう試合で一部に評価されつつも玄人好みのレッテルを張られた石澤が、ケンドー・カシンのマスクをかぶったあと、とある拍子に「俺はプロレス界に要らない人間」とか開き直ったあとは……ぶっちゃけ、別の意味で「マニアがニヤリとする」小ネタ…それも相当にメタというか楽屋落ち的なネタを自分のプロレスに織り込み、極めて特異な感じで自分の存在価値というか居場所を作り上げた、とっても奇妙で変わり種のプロレスラーだったんじゃないかね?

金本浩二の「オレは剛竜馬小林邦昭にはならない」という発言を受けて「オレは剛竜馬中西学にはならない」と発言。金本は自分はジュニアの脇役にはならないという旨の発言であったが、カシンの価値観から暗に自分はバカにならないという旨のパロディー発言であった。同月のIWGPジュニアタッグ王座防衛戦で選手権試合認定状を破り捨てる前代未聞のパフォーマンスを行うもグラン浜田&エル・サムライ組を破り、王座防衛。試合後、認定状を破った件を実況レポーターの真鍋由アナウンサーに問われ、「オレの勝手だろ。お前にとやかく言われる筋合いはない」と発言。さらにグラン浜田に対しては「パートナーに娘(浜田文子)連れてきた方がよかったんじゃないか?」と発言。

同年4月、東京ドーム大会で獣神サンダーライガーザ・グレート・サスケ組に敗れて2度の防衛を果たしたIWGPジュニアタッグ王座から転落。

同年5月、BEST OF THE SUPER Jr.に出場。田中稔戦で中西の得意技であるアルゼンチン・バックブリーカーを披露し試合後、「今日はバカな……いや、バカの技使ちゃったよ」と発言し、敗因はそれで腰を痛めたからと述べる。さらに「優勝したら、(当時紛争状態にあった)コソボの人達に給付金をやる」と宣言。折原昌夫戦では試合後、「今日の勝利は、二瓶組長に捧げるよ」と発言し、個人間のトラブルを引き合いに出してコメント(トラブルの詳細は折原昌夫の項を参照)…
ケンドー・カシン - Wikipedia

少なくとも猪木のプロレスとは、そういうところではだいぶ路線が違うように思えるのだけど。


これも人口に膾炙している、武藤敬司の猪木論なんだけど「アントニオ猪木のプロレスこそが、典型的なアメリカンプロレス」という言葉もあった。これは、上のような話への反論の意味もあるんだろうな。



まあ人間の親しさ疎遠さなんて、実際に付き人をやってもらってのトータルな部分とかもあり、理屈を超えた親しみとか、疎ましさとかもある。


最晩年の猪木が、石澤常光ことケンドーカシンをプロレスラーの中では最も信頼していた、というのも、ひとつの謎としておいておこう。


このふたつのエピソードとともに。

「携帯の画面(に猪木さんの名前)を見て『面倒だなあ』と思って、無視してポケットに戻したんですけど、間違えて『通話』を押してしまった。それでしょうがないから出たら『パチンコは最近何してるんだ?』って。パチンコ? 安田忠夫のことです。それで『安田に会いたいんですか?』って聞いたら『うん』って。だから『じゃあ連れていきます』って。それが最後の会話でしたね。最後の会話は安田忠夫。安田の連絡先? 俺が知ってるわけないだろ」



「猪木さんがやりたかったことは、やっぱりプラズマなんです。最近は、プラズマの話が一番多かったから。ホントに」