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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

チャンピオンが「刃牙30周年」企画特集号なんだよオオオッ

●企画満載!永久保存必至!『刃牙』シリーズ連載30周年記念号!●表紙&巻頭カラー!『バキ道』。電子特典・デジタル版ポスター収録!●『刃牙』シリーズ連載30周年記企画!/トリビュート描き下ろしマンガ『ケンガンオメガ』×『刃牙』by原作:サンドロビッチ・ヤバ子 作画:だろめおん/伝説対談『高橋留美子』×『板垣恵介』/各界有名人、祝福イラスト&メッセージ/『刃牙異種創作技戦ッッ!!』審査結果発表●3大人気センターカラー!『SANDA』『あっぱれ!浦安鉄筋家族』『吸血鬼すぐ死ぬ』●『弱虫ペダル』『魔入りました!入間くん』『魔界の主役は我々だ!』も絶賛連載中!●『桃源暗鬼』『八月のシンデレラナインS』は休載です。●電子版につきましては本誌内のプレゼント、応募者全員サービス等への応募は出来ません。ご注意ください。

本題は、このあと書く。(つづく)
企画では、同じ劇画村塾の先輩である高橋留美子氏との対談が面白かった(両者が語る「ちばてつやのすごさ」とか)。
あと、また例によってギャグ漫画が、刃牙そのものをリスペクトが過ぎて怒られるレベルでネタにしたこととか。

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バキ30周年特集号での「吸血鬼すぐ死ぬ」

この前「烈海王」がすぐ死ぬの世界に行ったが、こんどはドラルクのほうが刃牙の世界に行く。
作者、明日が要らないのかよ…


そして、
まさかの、出版社を超えた「ケンガン」とのコラボとか(この話は別の記事で書きます)……



だが、それはそれとして「刃牙30周年」で思ったのは、「そうか、刃牙は1991年開始…まだUFC、バーリ・トゥードやK-1という『正解』が出る前に問題を解き始めた世代なんだな」と……
いわでもの話で、
もう、これはくっきりと痕跡が残ってる。

刃牙シリーズ。
修羅の門シリーズ。
餓狼伝
拳児
梶原一騎作品・・・・・・・・
梶原一騎氏などはそもそも、生きて総合格闘技を見ることもかなわなかった。


どの作品も、当初はまずタックルで倒して、マウントポジション(馬乗り)でボコボコにしてから、グラウンドでシンプルなチョークを極めればいい、とかそのタックルを切りまくって、ボクシング状態で仕留めればいい、とか、組んだ状態でのクリンチパンチが有効だ……とか、そういうUFCの実態を見て……まあいろいろ対応したよね。
突然、そういう戦い方をする戦士が現れたり、第二部、第三部といった別の章でラスボスとしてグレイシー的なキャラが現れたり。


そのへんで不自然となった作品も、まあ有ったことはあったし、逆にそれで素晴らしい内容になった作品もある。(これも今度かく別の記事に関わってくるかもだが、一番BJJを作品に取り入れて自然だったのは「コータローまかりとおる!」かもな)

今からはどんな天才でも「UFCなどのMMAの、実際の戦い方を知らないまま格闘技漫画を描く」ことは不可能だろう。
上の一連の作品こそが、貴重な『歴史資料』なのです。



ただ、「バキ」は、連載して空手の強さとか語ってたら、UFCK-1がほんとに実力測定しちゃったよ!!そしたら、実戦カラテも伝統空手もしょぼーんだったよ・・・・・!!(K-1アンディ・フグの優勝やフィリョの活躍で一度は空手、極真幻想が復活した。そして総合でもリョート、堀口恭司らの活躍で、のちに復権するが)という現実を、マンガという別の次元で…「現実がなんだってんだ!現実は俺の漫画にかなうわけねえだろオがアアア!!てなレベルで、まんまと現実を打ち壊して、格闘技漫画の頂点に君臨した。それはあっぱれというほかない。
幻想だったら、とことん幻想を極めりゃいいじゃねえか、という形で「合気道」をああいうふうに描いた、渋川剛気の登場で、自分としてはこの作品に確固たる評価を与えた。
作者本人が、塩田剛三の技を何度も見たり体験し、話もいろいろ聞けた、という話を後から聞いたのだが…

プロレスを、プロレスとしての価値観と、「では強いの?」を、斗羽と猪狩によってこれまた力技で語り尽くしたのもすげえ。「闘龍伝」なんて作品もあったけど「卑怯で汚くて、それがたまらねえ魅力の勝負師・アントニオ猪木」像にも大きく影響を与えた(「キラー猪木」を独自解釈で象徴化したターザン山本の功績もあるが)。


また、大いに盛り上がって終わったトーナメント。並みの作者だったらここでバキは、最終回を迎えるしかない、というか続けても「次の敵」がしょぼくなりすぎて、しりすぼみで打ち切りになったろう。

しかしここで「真の強さは試合場で、はじめっ と声がかかってから戦ったんじゃわからない。路上でいきなりの不意打ち、だまし討ち、凶器も武器も何でもありで生き残れるかだ!」と、いわゆる大槻ケンヂのいう「強さの基準をずらす」をやったのは「無理がある―!」と思いつつも唯一無二の解で。これは本当に格闘技について考える、語ることが大好きな作者だったからこそ、形にできたと思う。ふつうに格闘技漫画を描いてるひとなら、賛否分かれるこの展開を描く前に、この解にたどり着かなかっただろう。



そしてひとつひとつの描写を、これでもかと誇張し続けることで、ギャグマンガ以上にツッコミどころのある作品となったわけだが…


「バキ道」もそろそろ終わる…ンだよね?
これからは、藤子・F・不二雄の長編ドラえもんシリーズが、まずテーマ(舞台)をどこにするかで頭を抱えるように、もうほんとに「敵をだれにするんだ?消費しつくしたぞ!」から始めなきゃいけなくなるだろうと思う。
それは「修羅の刻」もそうかしらね。これも、あとどれぐらい日本史で、陸奥圓明流の相手となるような武勇のものが残っているだろうか。



ここから先、ほんとにどうなるかはわからない。
もう「キレイな最終回」を描こうなんて気持ちも作者にはないだろうし……。

それでも、それをひっくるめて、スゲエよアンタッ!!

と思うのです。

一言感想を付け加えるだけのつもりだったのに、膨大になってしまった…(了)