ロードウォリアーズのアニマルウォリアーが六十歳の若さで亡くなったという報道が出された。実を言うとあの当時第一線で活躍したレスラーで六十歳は「比較的長命」でありパートナーのホークウォリアーも含めて40代で亡くなる人も珍しくない、という事実が一方であるのだが…
最近、そういう人たちを追悼しようと思いつつ、放置してしまった例がいくつかあるのでこの機会に思い出を書いておきたい。
最初に書いておきたいのがジャイアントキマラ。後に「カマラ」と称したことや、ジャイアントキマラ2号を名乗る別のレスラーが日本を戦場の一つとして定着、「2号」をとってジャイアント・キマラと名乗ったことでややこしくなっている(スポーツ新聞も写真を取り違えたりしていた)のだが、自分が強く強く印象に残っていて大好きなのは初代のほうだ(2号も非常に職人的なグッドレスラーであったし、好きだったが)。
今でも鮮明に覚えているのだが最初の最初は、月刊ゴングに文字だけの情報で「アメリカにアフリカからやってきたジャイアントキマラという巨漢でペイントを施した野蛮人レスラーが大暴れしており、アンドレザジャイアントとも『どちらが本当のジャイアントか?』と銘打ったシングルマッチを行い引き分けたりもしている」というものだった。
その後、プロレスの裏舞台を知って痛感したのだがプロレスラーは「トップとして扱われることでトップの風格と実力を備える」ということが往々にしてある。キマラがどのようにしてトップレスラーになっていったのか、その辺のことはよくは分からないのだが(英語では自伝やドキュメンタリー番組などがあり、それを見れば分かるのかもしれないが…)、少なくとも アフリカからやってきた獰猛な野蛮人、というギミックを始めるまではトップレスラーではなかったであろう。
ちなみに、あまり絵もうまくない読み切り全1巻だのまんが「前田日明物語」で、悪役として登場。イギリスで修行中の前田に絡んだものの試合で足か何かを折られる巨漢の黒人レスラーが出てきており、ひとこま「この男が後のジャイアントキマラである」と書かれた。
前田がイギリス時代に確かにこの選手に怪我を負わせたことは事実らしいのだが、前田の行状を考えると、悪いのは例によってスパークリングフラッシュのほうである可能性もそれなりに高い(笑)
そしてビジュアルとしてのジャイアントキマラが月刊誌に公開される。
もう素晴らしいの一言だったね。アフリカのプリミティブアート(という言葉も当時は知らなかったが)で作ったであろう素朴で巨大な木製のお面をかぶり、ペイントと言ってもグレート・カブキやロードウォリアーズとは異なる、いかにもアフリカの部族がその精霊信仰に基づいて施したかのような、宗教性のあるペイント(お腹や胸に黄色い月や星のペイントなんて、あまりに、らしすぎる)。しかもどくろの首飾り。いまだになぞなのだが、あのへんの小道具ってどこでそろえたんだろうね。ゲイリー・ハートは「レスラーはそのへんで買えるコスチュームをつけてはならない」が持論で、だからカブキも入場衣装にこだわったり手作りしたとか。キマラも…?あちらにはかっぱ橋とか無いしな。
日本ではジャイアント・キマラ。
— DJ.KUWABARA (@DJ_KUWABARA) 2020年8月10日
WWEではカマラ。
自分にとってカマラは世界で一番大好きな怪奇派レスラーだった。
今までありがとう。
これからもWWEネットワークであなたの勇姿を見続ける。#WWE#thankyoukamala pic.twitter.com/5A60SccKCJ
そしてまあ、2m級だから確かに巨体といえば巨体だけど、プロレス界では、まれに見るような大巨人というわけではなかった。しかし動けるんです。リープフロッグを軽々とこなし、巨漢レスラーのお約束必殺技 ボディプレス もふわりと浮かぶようにかましてみせる。
これはアメリカでそりゃ大人気になるだろうと思いました。
おそらく、受け身(積極的にとる姿勢)も含め、トータルとしてのレスリングのうまさ、サイコロジーでも相当だったのだろうね。
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両方ともチョップやキック、そしてクローという「不気味な非西欧人ムーブ」がかぶりながらも、うまく会場をコントロールしている。
これは所説あるような、映像でみたような気もするような…なのだが、例の「どちらが本当のジャイアントか?」抗争において、キマラはアンドレをボディスラムで投げた、とも言われる…いや、投げてるよ間違いなく!!!。
"大巨神"アンドレは
— amuza (@amuza_dinotank) 2020年8月10日
実力を認めたレスラーのみ
ボディスラムを許した伝説。
信じるか信じないかは貴方次第
昭和の怪奇派巨漢レスラー
カマラよ永遠に⭐ ⭐
🌙 🙏😢 pic.twitter.com/dLH5e0PQ0Q
世界で何人かのカウントはまあ、またややこしくなるんで置いといて(笑)、むかしならそれは「力持ち」「実力者」ということで済むのだが、大人の今は「アンドレが認めるほどの性格の良さ、うまさ、業界内でのステータス」とかそういう意味を持つ。そちらのほうが重要なのかもしれない。そういえばアンドレは「黒人嫌い」とも言われ、バッドニュースアレンとも揉めたはずだが・・・・・いろいろと複雑な問題をはらむなぁ。
その映像が当時の海外映像をそのまま放送する番組「世界のプロレス」で流れるのだから、それはちびっ子も釘付けになろうというもの。
そして同時期に、少ない資料から想像膨らませレスラーを勝手に描く(笑)「プロレススターウォーズ」でも、ジャイアント馬場とシングルマッチを金網で行う強大な敵として登場しました。「野生の本能のまま、ルールもテクニックも教えずに戦わせる。それが一番強いから」というのは説得力があるのだがその結果「噛みつき攻撃をする。それもただ噛むのではなく、肉を食いちぎってしまう」という、なんとも 何かの一線を越えたような描写がなされたものでした。
最近昼休みに毎日プロレススターウォーズ読んでるんだけど、馬場さんが金網最上段からの一回転カカト落としを16文チョップと言い張ってておれの中のチョップの概念が激しく崩れてます。チョップとは。 pic.twitter.com/EKrWf268Ur
— マキシマムザ翔君 (@9nine_xing_chu) 2020年7月3日
しかしその人気絶頂の時に日本でどう活躍したかと言うと…これがよく分からないんだけど「ジャイアント馬場の全日本プロレスと提携しているジャパンプロレス(長州力の団体)の自主興行に参戦した」だけだったんです。
まあ理由は単純に「日本にわざわざ行くまでもなく、米国で稼げる超売れっ子だったから」なんだろうけどね。でもそれでも他の一流はそれなりに日本に来ていたので、詳しいことはわかんない。あと、WWF(現WWE)が本格的に囲い込みを開始し、「WWFのレスラーは来日しにくい」ようになる、端境期だったという記憶がある。WWFではハルク・ホーガンのライバルとしてシングルも相当やったはずで、やはりトップ戦線にいたといっていいはずだ。
昨日亡くなったカマラさんがマガジンの表紙を飾るとこんな加工される。ホーガンには許可取ったんか?いくらなんでもww#ジャイアント・キマラ https://t.co/geTlKrzhlG
— 全日本プロレステーマ研究室 (@ThemeOfAjpw) 2020年8月11日
たとえばジャンボ鶴田や天龍、スタン・ハンセンとシングルでやらせてみたかったし、それができるぐらいの期待感や知名度はあったはずですよ、当時は。
ただ、それが無かったことで、結果的に日本では「幻の強豪」的なポジションにいまでもいることになっている。
その後、再びブッチャー、そしてキマラ2号とのユニットで全日本に来たが、再度WWE入りし、日本との縁はやはり浅いままだった。そこで「カマラ」となったが「へびが大嫌いで、へび使いのジェイク・ロバーツがやってくるとパニックになりスタコラ逃げていく」という変なギミックをやっていた。
それを見て、敵の人肉を食いちぎるようなダイナミックな大悪党ファイトを期待していたわたしは大いに失望したのだが、考えてみれば当時はもう年齢も高めだったろうし、ジャイアント馬場のファミリー軍団vs悪役商会的な位置づけだったのかもしれないな。
そういうのを含めて、「キマラ」は鮮烈な印象を持って、いまなお心の中に生きています。
(了)

WWE Elite Collection - Legends Kamala Figure by Mattel
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