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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

李登輝氏、逝去。〜「出エジプト」の成果を見届けて、旅立つ。

台湾の民主化に尽力 李登輝元総統が死去
2020年7月30日 21時24分

台湾で初めての直接投票による総統選挙を実現させるなど民主化に尽力し、親日家として知られる李登輝元総統が、日本時間の30日午後8時すぎ、入院先の台北市内の病院で亡くなりました。97歳でした。

李登輝元総統は1923年、日本の統治下にあった台湾で生まれました。今の京都大学農学部に入学し、太平洋戦争中に旧日本陸軍に入隊して、日本で終戦を迎えました。

台湾に戻り研究者として活動したあと政治家に転身し、1988年、当時の蒋経国総統の死去に伴って、台湾出身者として初めて総統に就任しました。

在任中は議会制度の改革など民主化を推し進めたほか、台湾の国際社会での存在感を高めようと積極的な外交を展開し、アメリカも非公式に初めて訪問しました。

そして1996年には住民の直接投票による初めての総統選挙を実現させ、当選しました。
(後略)

www3.nhk.or.jp

記事への当方のブクマ

台湾の民主化に尽力 李登輝元総統が死去 | おくやみ | NHKニュース

アジアの巨星逝く。/一寸批判するなら、李登輝氏が余りに見事に権威主義体制を民主化した為同じ事が中国本土、或いはシリアや北朝鮮でも可能かも、との甘い夢に繋がったかも。彼じゃなきゃ無理だったのだ

2020/07/31 01:33
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自分、理由があるではないが、ふと気になった時に、こんな記事を…2014年、2019年両方で書いた。
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二回にわたるこのリストの「筆頭」だったかたが、ついに…。
謹んで哀悼の意を表します。




街道をゆく 40 台湾紀行 (朝日文庫)

街道をゆく 40 台湾紀行 (朝日文庫)

……「夜,安心して眠れる国にしたい」というのが,はじめて本島人出身にして統治者になった李登輝博士の願いであり,願いはいまもつづいている。
戦後のある時期,ひとびとはゆえなく"国家"から襲われる危険におびえていた。
その時代が,おわった。蔣家の時代が終幕し,信じがたいことに,本島人の李登輝氏が総統になった。
この間,奇跡としか言いようがないが,一発の銃声もなく,権謀術数さえなく,あたかも百貨店の売り場から他の売り場に客が移るような自然さで,蔣経国の死により,さらには憲法の規定によって,副総統のこの人が,総統に昇格した。一九八八年一月のことで,わずか六年前のことである。クリオ(ギリシア神話で歴史をつかさどる女神)が,どの国にも一度だけ微笑むとすれば,台湾の場合はこのときであったにちがいない...」

司馬遼太郎「台湾紀行」


この話、陳舜臣氏の追悼の時に紹介した記憶があるが、再度。

 1993年1月、「街道をゆく台湾紀行」の旅も、陳さんのひと言から始まった。

「街道、台湾まだやな」

 神戸生まれの陳さんだが、ルーツは台湾にある。「第二の故郷」と考える台湾に、司馬さんを連れていきたかった。当時担当者だった筆者に司馬さんはいった。

「自分が案内するという意味だと思う。陳君のスケジュール、聞いておいて」

 こうして「台湾紀行」は順調に仕事が進んだ。当時の李登輝総統に会うことができたのも、陳さんのおかげだった。李総統と司馬さんの話が弾み、後に対談に発展したのを、陳さんは喜んでいたと思う。

 ただ、「台湾紀行」では、ひとつだけ問題があった。台北市でのホテルを編集部が決めたあと、司馬さんが笑いながらいった。

「陳君から連絡があってね、そのホテルには泊まりたくないようだな。刑務所があった所に建てられたらしく、気味が悪いらしい。陳君に怖くないから一緒のホテルにしようといってみて」

 さっそく陳さんに会うと、微笑を絶やさない。しかし、司馬さんの意向を伝えると、断固としていった。

「僕はいいけど女房がね」

 結局、ホテルは別々になり……(後略)
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※やっぱり、ここで紹介してたな。まあこの機会にだ
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この「台湾紀行」に一役も二役も買ったのが、李登輝氏だというわけ。

その対談でクリスチャンでもある李登輝氏が「出エジプト」に言及し、大きな反響を呼んだのだった。

李登輝のもとでの「台湾化、本省化、民主化」を大陸側は「事実上の台湾独立化」とみなし危惧してきた。その疑惑を決定的に深めたのは、李登輝司馬遼太郎対談であった(『週刊朝日』九四年五月六日号)。李登輝はこう語った。「いままで台湾の権力を握ってきたのは、全部外来政権でした。国民党にしても外来政権だよ。台湾人を治めにやってきただけの党だった。これを台湾人の国民党にしなければならない」。李登輝は外来政権のもとでの「台湾人に生まれた悲哀」を嘆き、旧約聖書の「出エジプト記」に言及し、こう結んだ。「多くの台湾の人々が犠牲になった二・二八事件〔一九四七年二月二八日の国民党による武力鎮圧事件〕を考えるとき、”出エジプト記”は一つの結論ですね。そう、出発した。モーゼも人民もこれからが大変です」。この発言は台湾海峡両岸に大きな波紋を巻き起こしたが、日本ではその波紋が逆流して話題になったものの、一部の関係者に限られていた。
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そして紆余曲折…なにしろ、そもそも李登輝氏は総統としては「国民党」のリーダーとして選挙に勝ち抜いた。
その後、直後の総統は民進党であり、そしてその後国民党が奪還、さらに民進党が再奪還して今に至っているのだ。


だが、今、コロナウルス防疫…これを各国比較するのはさまざまな条件が違い単純にはいかないが……において、アプリ活用なども含め、台湾が民主政府として称賛されている現状を見て、旅立っていかれた。
その旅路は、安らかなものとなるに違いない。
一方で、中国が香港を今のような形で支配強化するのを見て、でもあったが…