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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「江田島平八が消毒薬寄付」で過去記事再紹介。「小僧の神様」(志賀直哉)と合わせて考えると何となくわかるんだよ

江田島平八」名乗り消毒液寄付 漫画「魁!!男塾」キャラ、愛知

2020/5/8 18:35 (JST)5/8 18:39 (JST)updated

 愛知県豊田市は8日、人気漫画「魁!!男塾」の登場人物「江田島平八」を名乗る男性からアルコール消毒液の寄付があったと発表した。

 市によると、7日午後3時ごろ、30~40代にみえる男性が段ボール箱を持って市役所を訪れ、警備員に「消毒液を寄付する」と告げて去った。市職員が確認すると、手指用のアルコール消毒液(600ミリリットル)18本に「男塾塾長 江田島平八より」と書かれた紙が添えられていた。

 魁!!男塾」は、1980年代に人気を博した少年漫画。江田島平八は、男塾の難題を一挙に解決する塾長として登場する。
this.kiji.is

天下無双 江田島平八伝 第10巻

天下無双 江田島平八伝 第10巻

最後の「江田島平八」解説、まったく知らない記者が資料やウィキペディアを見て書いたのだろうか、よく知っている記者が、本当なら70行ぐらい書きたかった解説を涙を呑んで短縮したのだろうか(笑)


ちなみに、これを教えてくれた人は
「唖琉慌瑠(アルコール)」 という当て字をわざわざ考えたが、現世では1ミリの役にも立たない考察である。



そして、こういうニュースの時には、毎回参照されねばならない、漫画家・平野耕太先生の予言ツイート。というか、氏がこれを提唱したからこそ、『匿名(仮名)での寄付の際、受けた側がリアクションしにくいキャラの名前を名乗る』という宗教運動が誕生したと、自分は信じている(笑)

togetter.com




という話をした上で、自分の過去記事を再紹介します。

(前半は、上の平野耕太関連togetterの紹介なので略す)


…実際に「ムスカ」名義で施設に送った人もいるとかなんとか。
http://netallica.yahoo.co.jp/news/162516
連鎖して行く運動が、悪乗りやパロディ、過剰によって変わっていくさまは一寸楽しいものがある。

「匿名の善意」に関して、ネット上の「匿名」ともあわせて考える。

というか、考える前にこの作品をあらためて紹介したいと。

あれ・・・?
いやー、のっけから展望が狂ったんだけど、1920年大正9年)に発表されたこの作品、てっきり青空文庫にあるかと思ったら…、作者が無駄に長生きしててね、とうぶん著作権切れないんだわ(笑)。

まあ、あまりに有名だからネタばれとかは気にしないので、ここから後は未読の方はそれなりに注意して読んでください。
http://sakubun.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/07/post_09fe.html

…仙吉は神田のある秤(はかり)屋に奉公する小僧である。小僧だから金はない。仙吉はよく番頭たちが鮨(すし)の話をしているのを聞いて、1度思い切り鮨を食べたいと思うようになった。
 ある日、仙吉は…(略)思い切って屋台の鮨屋に入った。……意を決して目の前に並んでいる鮪(まぐろ)鮨の1つに手をつけた。すると主人に<それは 1つ6銭だよ>と言われてすぐ手を引っ込めた。そして仙吉はいたたまれなくてその店を逃げるようにして出た。
 そのとき、その場にAという若い貴族院議員がいた。Aは小僧を気の毒に思った。ある日……Aは仙吉をうまく店から連れ出し、鮨屋に連れていった。Aは店に入らず、仙吉だけが店に入り、そして腹一杯鮨を食べた。仙吉は幸福の絶頂に達した。

ここまではなるほどと、非常に「わかりやすい」ストーリーだが、この後一転して「わかりにくい」反面、わかる人には深くわかるような話になっている。

Aは自分の行動をどこか偽善めいていると感じ、うしろめたいようなさみしい気持に襲われた。逆に、仙吉はAのことが忘れられなかった。彼は悲しいとき、苦しいとき、かならずAのことを思った。(略)Aにとっては偽善めいたことが、小僧にはそれが神の行いのように思われたのである。人生の不合理さを健康的に捉えた作品といえる。志賀は子供の純真さを通して、人生の奥深さの一旦をかいま見せてくれたのである。

実際に作品を読んでみると、基本、すしが食いたくなる(笑)。
 
そういうグルメ小説でもあるけど、この貴族院議員A氏のもやもや感は非常におもすろい。小説だと、ここであまり空気を読まず「気にすることないわよ。つーかあたしにもすし食わせて」というピントはずれ?の激励をする奥さんが出てきて、そのかみあわなさも愉快。
でもね、その奥さんも最終的には「なんとなく、気持ちはわかるわ」と納得するし、読者のたとえば自分も納得する。
一例を挙げると、電車で高齢者や障害者に席を譲る…というあの行為に残るむずむず感とかね。自分も無駄にキャリアを重ねて「ほぼ無言のゼスチャーで動作を終わらせる」「譲った席からやや離れて立つ」「手に持った本にすぐに目を走らせる」などいろんなメソッドを身につけているけど、席を譲った瞬間に当事者じゃない車内の乗客が視線をちょっと向けるのは、いまだに慣れないものがあるわ。

「善行や宗教心は人にひけらかさず、こっそりと知られないように行いなさい」というのはキリスト教方面にもそういうメンタリティはあるはずだし、聖書やユダヤ経典にも記述がある、とは思う。だけど、それはそれとして押しなべて、寄付などの善行に関してもアメリカを中心とする諸外国のお金持ちは悪びれずどーんと名前を出して行っている、ような気がする。
(このへんから印象批評で、統計的な事実確認はできてない。できればほしい)
で、日本だと(そもそも寄付文化や税制システムなどの不備などで寄付の絶対数も少ないと思うけど)上の「小僧の神様」的な感覚が、あからさまな寄付や善行を抑制している理由のひとつのように感じます。あくまでも直感的な印象論だけどね。また補足しておくけど、「小僧の神様」的感覚ってのは個人的には非常に好ましい、大事にしたい繊細な感覚だと思うよ。
 
さりとて完全に匿名で寄付行為やら何やらをするのも、また寂しいものがあったりする。善行などに付随する自己顕示欲、実はこの割合がことに日本では非常に複雑な−−−おしなべていうと控えめ方面に多いという−−特徴性があるんじゃなかろうかい。
そこで今回の「タイガーマスク」は、ちょうどメディア報道が過熱したこともあり、琴線に触れる日本人が、ある一定程度いたんじゃないか…と思います。報道などで自分の行為が報じられるのを見て満足し、同時に自分は名乗らない。
その是非を論ずる前に、もしそういう善行発揮の場への需要があったのなら、そういう受け皿を創ることは結果的に寄付・福祉を後押しすることもできるだろう。
 

ネット・SNS上の匿名(HN)の日本の多さ、諸外国との比較について

まもなくフェースブックを扱った映画「ソーシャル・ネットワーク」も上映され、フェースブックの世界的なSNS一人勝ち状態にも注目が集まっている。
 
インターネットというのは当然各国のインフラや、利用コストの格差も大きいけど、基本は世界で1990年代にヨーイドンでスタートを切った大衆文化。ここでの振る舞いの「お国柄」の比較は、かなり国民性や民族性のサンプルになるんじゃないか、と思っている。

そしてソーシャルネットワークtwitterも各国で普及する中「日本は目だって匿名HNが多い」という結果になったら、上の話に出てきた、今回の「タイガーマスク」現象ともちょっとつながるんじゃないか、と思ってます。
匿名が誹謗中傷するされるとか、政治信条の表明が与える実社会への影響の有無とか以上に(没政治的な、曲の演奏動画なんか見ても顔や名前を出す人は少ない)、要は日本人のかなりの割合で、善行と同じように「論」や「表現」も、それ自体に気恥ずかしさを感じる人が多いかと。とはいえ、論も表現もそれ自体の楽しさがもちろんある。だからその均衡のひとつとして、現状の日本のネットがあるんじゃないかとね。

表現への気恥ずかしさ、といえばカラオケはそれでも相当日本人を変えた。カラオケが世界に広まったとき、「あの、トゥーシャイな日本人がカラオケで歌うとなると人格が変わる。面白いデスネ」といったスタンスでの紹介も相当されたんですよ(映画「ガンホー」など)。
テレビの「街頭録音」も当初はマイクの前でしゃべる人、公に意見を言う人を集めるのに一苦労だったとか。
カラオケのような何かをきっかけにして、どこかで変わる可能性は相当ある気もする、けれども。

時間が無いのでオチというか結論なしで、ここで打ち止め。

以上、再掲載でした。