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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「世界8番目の不思議」という言葉の考察。アンドレ、シャーリーテンプル、キングコングより早く「ブルックリン橋」がそう呼ばれたらしい

司馬遼太郎 旅する感性」という本を読んでいましたら

司馬遼太郎 旅する感性

司馬遼太郎 旅する感性

  • 作者:桑島 秀樹
  • 発売日: 2020/02/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

司馬後年の作品「街道をゆく ニューヨーク散歩」が語られていた。

ここでは、ニューヨークの「ブルックリン橋」…1883年開通の巨大建造物についての記述が引用されているのだが

マンハッタン島からブルックリン区にゆくには、いくつかの橋がある。
そのうちに、最古かつ矍鑠としてなお現役であるのが、ブルックリン橋である。できあがったころは、世界七不思議の八番目」といわれた。


「世界八番目の不思議!!」
このフレーズについては、考察したことがある。

そのまんま、再掲載するか。

m-dojo.hatenadiary.com
2014年2月14日の読売新聞「編集手帳」より抜粋。

・・・米国の名子役として一世を風靡したシャーリー・テンプルさんが亡くなった。85歳という。その愛らしさは、世界七不思議に次ぐ<8番目の不思議>と呼ばれた・・・(後略)

いや驚きましたね。
だって我々の中では「世界八番目の不思議」と言うたら、ほぼ一択でアンドレ・ザ・ジャイアントとなりますから。もっとも、日本では国産(古館伊知郎産)の異名「人間山脈」「ひとり民族大移動」などが使われ、もっぱら「海外では『世界八番目の不思議』と呼ばれ・・・」という紹介のされかただったと記憶しています。

ウィキペディアの「アンドレ」
カーペンティアに連れられ1970年にカナダ・モントリオールに移住し、現地ではジャン・フェレ(Jean Ferré / 日本では英語風に「ジーン・フェレ」と読まれた)の名で活躍した。ここで映画『キング・コング』をモチーフにした世界八番目の不思議(The 8th Wonder of the World)というニックネームが付けられた。巨人選手対決として、キラー・コワルスキーやドン・レオ・ジョナサンなど超大物選手とも対戦した。


しかしまぁ、世の中検索は便利なのか味気ないのか、ウィキペには「世界八番目の不思議」ちゅう項目もある。シャーリー・テンプルは今、自分が付け加えたのだが(笑)、要は映画に出てきた「キングコング」のことをこう呼んだんだね。
もともと、世界の七不思議は「こりゃ奈良の大仏様もひっくり返るゼッ!」てな【巨大な】建造物のことを言うのだから、キングコングアンドレにつながるのが本道で、おそらくは小さくてかわいかったのであろうシャーリーにその異名がついたのは「小さな巨人」的な逆説なんだろう。それとも男塾の大豪院邪鬼のように、威圧感やオーラで巨大に見えたのか(笑)?

まあ、それはそれで、最後にこの話を紹介したい。
その後月日はながれ、アンドレが40代の若さで逝去する前だろうか、直後だったろうか・・・WWE(当時WWF)には、筋肉が異常に発達し、女子プロレスラーでありながら、普通にパワーとフィジカルでは男子と互角に戦える、というギミックの・・・まさにアメリカ版神取忍、的な「女子プロレス最強の男」という扱いを受けた「チャイナ」という選手が登場した。
そのときの異名が「The 9th Wonder of the World」・・・世界9番目の不思議!!
WWFが、プロレス界が、このような形で、かつての名選手アンドレの伝説を継承し、リスペクトしている・・・もちろん、そこに乗っかることが商売になる!という計算もあるのだろうけど、逆に「伝説と歴史が商売になる」というのは、その継続において不可欠のことだ。


「世界八番目の不思議」という言葉を新聞で読んで、そんな風なことを思い出し、胸が熱くなった。

WWE アンドレ・ザ・ジャイアント [DVD]

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  • 発売日: 2008/04/04
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もともと「世界の七不思議」という言い方自体が、原語とちょっとばかりずれがあり、そのずれがロマンあふれる拡大をした、という…

「不思議」の由来

フィロンの書にいう「θαύματα」(Theamata) とは、ギリシア語で「眺めるべきもの」といった意味である[1]。これが、ラテン語の「Septem Miracula」(驚異、奇跡[2])を経て、英語の「Seven Wonders of the World」となった[1]。

他方、日本語の「不思議」とは、もともと「思いはかることもことばで⾔い表わすこともできないこと」を意味する仏教語であり、日本においては、1248年(嘉禎4年)の奥書を有する『諏⽅上社物忌令之事』が、諏訪⼤社の神威を表すものとして用いるなど(諏訪の七不思議)、宗教と関係が深い事象に使われた[1]。

しかし、近世になると、これが世俗化し、各地の珍奇なことがらを「七不思議」というようになり、1812年(文化9年)の『北越奇談』は、「燃ゆる⽔」などを「越後の七不思議」に挙げる[1]。時代が進み、信仰心が希薄になるにつれ、怪異な現象、不可解な事柄を「七不思議」というようになり、落語でも有名な「置いてけ堀」は「本所の七不思議」である[3]。

また、西欧においても、後世、フィロンの七不思議に倣い、新たな「不思議」が顕彰されるようになるが、中世フランスの「ドフィーネの七不思議(フランス語: Sept merveilles du Dauphiné)」は、「燃える泉」、「無毒の塔」など、超自然的な現象であった[4]。

英訳「Seven Wonders of the World」の「wonder(s)」は、「驚かせるもの」「賞賛すべきもの」(something that fills with surprise and admiration)という意味であると説明されるが[5]、日本語で「世界の七不思議」などと誤訳された呼び名[要出典]が定着してしまったために、現代ではオカルトブームなどと結びついて、「当時の土木技術のレベルを超越している」、「物理的に可能とは思えない」といった意味で解釈されることがある。それがゆえに、七不思議の実像が誤解されることもある(「空中」庭園など)。

神秘主義者の中には、これら建造物が超文明によって建設されたかのように考えるケースもあり、オカルト関係の書籍においても、後世の迷信を含む説明が掲載されている(→オーパーツ)。しかし、こういった巨大建造物の建設が、多くの場合においては国家事業として、現代では想像し難いほどに長い期間を掛けて成されていた面もあり、また文明は一様に進歩している訳でもなく情報の散逸や技術の遺失といった問題を含んでいて、後世の者がその建築技術の高さに驚嘆したとしても、必ずしも超古代文明の存在の証明にはならない。
ja.wikipedia.org

でしょうねえ。日本にも「七不思議」がいろんな地方に、ややオカルト絡みで存在した。
翻訳の時に「世界の驚異(的建造物!)」という意味だった、ギリシャ?の書物のそれが、英語で「WONDER」とされた…その流れとも、偶然のようにを融合してしまった。



そんなこんなで、
アメリカのブルックリン橋が元祖なのかはわからんが、とにかく超巨大な建造物が作られた時、「こりゃ、あの「七不思議」に続く、世界8番目の不思議だぜ!」「そりゃうまいこというな!!」があり、そこから「とにかくでっかい」をギミックとした怪獣映画のキングコングアンドレに受け継がれたのは、しごく当然…というか、ニックネーム命名者の”傑作の系譜”といえるだろう。

以上、6年前(2014年)の記事の補足。