小学館の「マンガワン」(スマホアプリ、たぶんPCブラウザからは閲覧できない)で現在(※2020年の話)、村上もとかの「龍」が全巻無料イッキ読みになってるようだ。それを知って後で語ろうと思っていたことがあるのだが、だらだらしているうちにもうまもなく終了日(2月14日)が迫ってきてしまった。
【全巻イッキ読み】
— 小学館コミック (@ShogakukanComic) January 25, 2020
戦争へと傾斜していく昭和初期の京都を舞台に剣を極める男のドラマが幕を開ける!
『龍-RON-』全42巻が2月14日までマンガワンにて全巻無料イッキ読み!
試し読みはコチラ!https://t.co/VFWzcGkxON#龍#RON#村上もとか#ビッグコミックオリジナル#マンガワン pic.twitter.com/kRQ0wGywjVそこで大急ぎで紹介したいと思う。
本当はこれ、再来週…2月26日に書きたかったのだが、まあいいや。
↑ここまで執筆当時の話。
その前に…そもそも「龍」も、 かなりの高評価を受けた人気漫画だとは思うが 、早いもんで終了からもう2020年から数えると14年も経過している(驚いた)。10年一昔どころか一つ半昔ということになるな。
だから改めて、まず概要を紹介したいと思う。
「龍」の舞台は、時間的には戦前から戦中にかけて…地理的には日本と中国をまたにかけて展開される。
主人公は「京の龍」と呼ばれる、剣道に青春をかける若者押小路龍だ。彼は戦前に実在した、日本武道の精鋭を集めた専門学校「武専」の学生であり、また日本有数の財閥・押小路財閥の御曹司でもある。同時に、風雲急を告げ、今にも戦端が開かれるのではないかという緊張関係にあった日中両国にまたがる「ある因縁」を背負った若者であった。その武専で鳴らした剣道の腕、財閥御曹司という立場、日中にまたがる因縁……そして何より涼やかで一本気な性格… そんな背景を持つ龍は、昭和初期の日本、アジアを動かした実在の巨人とも様々に絡み、 大きな歴史のうねりに巻き込まれてゆく‥‥。
全体的にはそんな話なのである。
ついでだから本題に入る前にもう少し語るけど、この主人公「龍」というのは、私が思うに「性格のいい金持ちのおぼっちゃん」というキャラクターの造形においてはすごくお手本だと思うのね。
一昔前は、 金持ちお坊ちゃんというのは主人公のライバルに位置する悪玉、といったところだった気もするが、最近は結構金持ちイケメンの善玉というのも それなりに登場するようだ。そういう善玉の金持ち坊ちゃんとして龍は最高の造形だと思う。
例えばなんだけど、ある時期彼はほぼ無一文で乞食浮浪者同然(というかそのまんま浮浪者)の立場になるのね。しかしそこの食うや食わずの環境や浮浪者仲間との交流も楽しんでしまう。その一方で、ある時は事情あって、祇園のお茶屋で仲間を引き連れ豪遊をしたりする。その豪遊が、全く板についたもので、何の気後れも気負いもないというね…。
そこは作中でも指摘されているが、金持ちだからこそ両極端、無一文にちかい生活も超高級料亭での豪遊も 、どちらも自然体で楽しめるという、こんな造形が非常に好ましい主人公であります。
さて本題。この作品の6巻には「魔王」北一輝が登場する。
この作品はビックコミックの単行本では全42巻。
最初期の1-5巻も非常に面白いし、6巻に出てくる登場人物の関係性も分かるので、できれば続けて読んで欲しいところなんだけど、御用とお急ぎの方のためにズバリ!『1-6巻まで』あるいは、さらに絞って『6巻』だけでも読んでほしい、というのが今回の趣旨なのです。
なぜか。それは昭和初期の日本を揺るがす奇妙な活動家にして思想家、「国体論及び純正社会主義」「日本改造法案大綱」などによって青年将校や国粋主義者に絶大な影響力を及ぼした北一輝が登場するからだ。龍が、この男と出会うようになった経緯は…説明すると長くなるが
・龍は、とある理由で当時の大金である「100円」が必要となる。
・ そのため、押小路財閥を実際に取りしきる叔父から持ちかけられた「京都滞在中の北一輝先生の護衛役」 の仕事を引き受けた。
…だが自他共に認める「魔王」北は、一筋縄ではいかない。
龍に「私の護衛にふさわしい剣の実力を見せてみろ」と課題をふっかけたり、
不気味な法華経の読経を続けながら「まもなく戦争が起きる」という予言をしたり、
特高警察、ジャーナリスト、そして命を付け狙う刺客らに取り囲まれたり…そんな騒動を巻き起こしながら
「革命は下からではなく上から起こすべきもの」
「国家主権論に基づく社会民主主義」などを、片方が義眼の目を光らせながら、冷静に、されど熱を込めて話す。
そんな革命論者の一方でありながら押小路財閥のみならず 他の財閥からも多くの資金援助を得ているのではないか、と追及される。
すると、この男は微笑んでこう語った。
「ライオンにはライオンの餌がいる」
…率直に作品論で指摘すると、この辺の「北一輝」という人物の造形は、ある種の美化…というより「劇化」がなされすぎているのではないか、という思いもある。
つーか、坂本龍馬や土方歳三、沖田総司が史実としての彼らより「司馬遼太郎が描いた彼ら」としての存在感の方が大きいのと同様、北一輝には、在野の近代史・アジアナショナリズムの研究者だった松本健一という人がいて、「松本健一が描いた北一輝」がある種のスタンダードになっているのである。それ以降の作品、この漫画も含めて北一輝が語る、語られるあれこれは、実はそれなりに資料に基づいてる部分も多いのだが、その資料の取捨選択が、そもそも”松本史観”にとっているという部分があるんだな。
まあこれは責めても仕方がない。それだけの仕事をした松本健一があっぱれな部分もある。(ちなみに司馬遼太郎と松本健一は、その歴史の見方に、大きなところで重要な違いを持ちつつ、親しく交流していたという)。
そしてそれに基づいて漫画を書いた村上もとかも、彼らに決して負けているわけではない。
そういう形でたくみに劇化された「北一輝像」を光源として、実は主人公の押小路龍に、あえてぶつけている節があるのだ。そして主人公は、その光を跳ね返し反射することによって、逆に彼自身の思想と人格の輪郭をはっきりさせるのである。それは一種の「決闘」と見て差し支えない。
北一輝の「上からの革命」論に対して、あまり勉強ができるとは言えない龍が、素朴に語る言葉は、ラインハルトとヤン・ウェンリーが民主主義に関して交わした議論に匹敵する思想的なコントラストを見せる名場面だ。
それを言われた北のリアクションも………また例によって長い文章になってしまったが、そんなわけでアプリ「マンガワン」(どうも携帯専門アプリらしいね。PCのブラウザからは見られないようだ)での無料公開を活用し、「龍」6巻(ビッグコミック版)での 北一輝登場回だけでも、読んで欲しいと思うのであります。
あるいはこの巻だけ買うというのも、一つのおすすめになるかもしれないな。