水道橋博士メルマガに連載中の「てれびのスキマの『芸人ミステリーズ』」より。
水道橋博士のメルマ旬報
vol.140-(1/3) 2017年12月10日発行
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【プロフィール/てれびのスキマ】(略)…ナインティナインは、“特殊なルート”でブレイクしたコンビだ。……「吉本印天然素材」のメンバーに抜擢。「天素」は、すぐに東京進出を果たし、アイドル的人気を博していく。
芸もないのに大阪から出てきた、ポッと出のアイドル芸人――。
事実はどうあれ、東京のお笑いファンの間には、そうした強固な先入観がこびりついてしまった。
だから、岡村隆史は、“東京”という漠然とした見えない敵と戦うことになってしまったのだ。「東京嫌い」を公言し、周りすべてが「敵」に見えていた。そんなとき、出会ったのが浅草キッドだった。
まさに“東京”の名を冠する浅草キッドはナインティナインとは対極に位置する芸人である。
ビートたけしに弟子入りし、ストリップ劇場「フランス座」で修業。長く泥臭い下積みを経た“ザ・芸人”というべき経歴を持っていた。女性人気のあるアイドル芸人とはファン層も対照的。男ばかりだ。
(略)
2005年、『浅ヤン』DVD-BOXの発売を記念して “復活”した「浅草橋ヤング洋品店 復活したら始末書乱れ飛びスペシャル」の中で、浅草キッドとナインティナインはこんな会話を交わしている。博士「ナイナイも冷たいよね。『浅ヤン』終わってから13年ぶりなんだもん。1回くらい番組に呼んでくれてもいいじゃない!」
岡村「僕ら、浅草橋ヤング洋品店は途中参加じゃないですか。1コも馴染めなかったっていうのもありますし、泉(正隆)さんがねじこんだっていうのもあって」
一同「(爆笑)」
博士「強制で入ったと!」
岡村「僕らはどうしていいかわからなかった!」この会話でも分かるとおり、『浅ヤン』と浅草キッドは、岡村隆史にとって“馴染めない東京”のひとつの象徴だった。
『浅ヤン』は次第に、浅草キッドを主力とするロコモーションチームのものと、ナインティナインが主力の吉本興業チームのものとのカラーの違いが鮮明になり、1時間番組の中でふたつの番組が並立するような形…
(略)そんなナインティナイン・岡村隆史さんと、浅草キッド・水道橋博士さんが来年1月18日、「ザ・フランス座」で邂逅を果たします。
全お笑いファン必見のイベントだと思います!
そこで現在僕はそのイベントのために、岡村さんと博士さんの関係性を明らかにする年表を制作しています。
題するならば「岡村隆史 東京お笑い死闘篇 <抜粋>隆史と博士年表」でしょうか。
お笑い芸人とプロレスラーは、どうして控室で「仲が良かった」という話より「緊張感があった」という話のほうが面白いのだろうか(笑)
そこに「年表芸人」とも呼ばれるべきスキマさんがかむとは…。「戸部田誠(てれびのスキマ)」がいいのだろうが、はてな的にはスキマさんで
1989年のテレビっ子 -たけし、さんま、タモリ、加トケン、紳助、とんねるず、ウンナン、ダウンタウン、その他多くの芸人とテレビマン、そして11歳の僕の青春記
- 作者: 戸部田誠(てれびのスキマ)
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2016/02/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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さて、どんなふうになるか。