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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

東日本大震災秘話。中国は震災時「病院船」派遣を申し出た(&日本政府が断った)…松本健一「官邸危機」より

東日本大震災に関連して、すこし書いておきたいこと。
昨年秋ごろ、故松本健一の「官邸危機」を読んだ。

内容紹介
尖閣事件、原発事故。そのとき露呈した日本の統治システムの危機とは? 自ら推進した東アジア外交への反省も含め、民主党政権中枢を内部から見た知識人の証言。

内容(「BOOK」データベースより)
菅政権の東アジア外交問題担当の内閣官房参与となった著者は、尖閣諸島での中国漁船衝突事件と、ビデオ流出問題に直面した。そして翌年には3・11に遭遇。そこで目の当たりにしたのは、日本の統治システムの未曾有の危機だった。危機管理を阻んだのは民主党の政治的未熟だったのか、あるいは官僚のサボタージュだったのか。はたまた日本における統合思想の根本的欠如ゆえなのか。自ら推進した東アジア外交への反省をも含め、民主党政権中枢を内部から見た一知識人の回想録。

松本健一といえば、アジアナショナリズムや浪漫主義を研究しつつ、戦前の右翼思想と左翼思想の混合や、幕末の人物伝なども描くと同時に「新しいアジア主義」を提唱し…うーん、表現しにくいや。亡くなったとき追悼記事とまとめを作ったのだっけ。

松本健一氏逝去、で思いだしたこと - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20141129/p3

松本健一氏逝去〜その反響 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/751252

そこの評をもう一度掲載しよう

やはり昭和初期の超国家主義者を「反体制」「革命」的な視点を加味して読み替えたのが秀逸であった。といっても実証性や客観性というより圧倒的に「ロマンチックさ」を優先させていたっぽい、というのは素人の読者からでも感じられた(笑)。

だから彼の作品、ジャーナリズムやアカデミズムに負けないほどサブカル・フィクション方面に影響を与えたんじゃないかなあ。北一輝なんて、司馬遼太郎新撰組同様、史実以上に「松本健一が読み替えた北一輝像」から派生したイメージのほうが人口に膾炙しているっぽいよね(笑)。村上もとか「龍」とか


その彼が、なんで内閣官房参与などという俗世の政治にかかわったか?それはみもふたもなくいえば、当時の民主党政権の大番頭、仙谷由人東大の同級生で、仲が良かったことがきっかけだ。
だが、仕事の内容としては……

わたしの内閣官房参与としての主務は、東アジアの外交と東アジア共同体構想についてアドバイスする、というものだった。(略)民主党政権の「アジア重視」という立場…に直接関わっていた

のだという。彼の浪漫的アジア主義が、現実の国際政治の中でどう奏功するのか、そもそも思想家と政治のかかわりは――とかも考えたいところだが、そもそもこの本は、いや松本氏の体験は、それらを論じる前に、圧倒的な現実に直撃される。
2010年10月15日に参与となり、官邸参与室に部屋をもった彼は、半年たたぬ2011年、「3.11」を官邸で迎えるのだ。

……ゆうらりとでもいうような大揺れが十分ほどもつづいた。この地震は大きい、と感じたが…(略)東京は大丈夫だったのかな、という精神的余裕さえあった。
しかし、十分ほど後に、打ち合わせを約束していた細野豪志さん(当時、首相補佐官)から伺えなくなった、という緊急の連絡が…

このへんの描写はみな貴重な証言だが、先を進もう。そういえば、そもそもこの本を手に取ったきっかけは松本氏の本だということもあるが、シン・ゴジラ」で、にわかに「超緊急事態の時に政治行政のメカニズムはどのように稼働するか」というシミュレーションがマイブームになったからであった(笑)


さて、話はとんで3.11から20日後、松本氏は北京の「北京・東京フォーラム」の予備会談に出席する。
地震で多くの日常はふっとんだが、その一方で日常や、これまでの積み重ねを続けねばならぬ場面も当然にある。2005年からこのフォーラムは続き、民間外交のひとつとし注目されていた。本番は7月。震災、さらにはその前に尖閣をめぐるごたごたがあった―ればこそ、フォーラムは開こうとなった。
だが、その予備会談は、中国が「仕掛ける」場でもあった。日本への中国の不満を、松本氏らは浴びる。

アメリカと中国で太平洋を分割管理しよう」などと主張した、タカ派として知る人ぞ知る中国軍人・楊毅海軍少将(中国の田母神、とも人は呼ぶ)がいう。

冷戦構造が解体したのに、日本はまだ冷戦時代の日米同盟第一主義の固執しようとしている。たとえば、中国は東日本大震災福島第一原発の事故に際して、日本の「再建・再興」に協力しようと、人民解放軍の「病院船」(医師、検査機器、医薬品、ベッドが整っている)を派遣しようと申し出た。しかし日本政府(在中国大使館)は一言「いらない」と答えた。これは日本に中国と友好・連携しようとする意思がないことを示しているのではないか、と。

松本はタカ派の楊少将の言をきき、こう考える。

「病院船」を派遣するという申し入れにも、東日本の海岸線の調査や海洋への汚染水の放出の影響調査なども含まれているにちがいなかった。
しかし、その「病院船」の派遣の拒否をも含めて、中国側が3.11後の日本政府の対応に非常な不満をいだいていることは、いろいろな筋からの情報でわかっていた。「病院船」以上に中国側が問題にしていたのは、胡錦濤国家主席の弔問外交と、温家宝首相の全人代報告のテレビ演説に対する、日本政府=外務省の無神経ぶりだった。
3・11のあと、胡錦濤国家主席は在北京の日本大使館を訪れ、今回の未曽有の出来事に対して弔意を示し、記帳した。弔問外交である。これに対して日本大使館は口頭で謝意をのべただけで、その後何の対応もとらなかった。ふつう外交儀礼としては、国家主席に対しては同等―中国側の「常識」とすれば天皇陛下、日本側の「常識」とすれば総理大臣―クラスの答礼をしなければならない。
しかし、20日たった3月末の時点でも、日本政府は何の反応もみせない。これが不満のひとつだった。(略)胡錦濤主席が日本大使館を訪れて、東日本大震災についての弔問外交をしたとき、大使館の隣の部屋では職員たちがテレビのバラエティ番組をみていて、ゲラゲラと笑い声がしていたと伝えられている。これに胡錦濤さんが非常に不愉快の思いをいだいたことは、間違いないところだろう。(p36-38)

この途中途中で、当時の丹羽宇一郎駐日大使へのDisなどが挟まれるのだが、
その後、松本はこの誤解を解くため、まず中国の弔意や支援の申し出に、日本はすごく感謝しているのだ、と説明したあと、病院船に関してこう述べる。

「病院船」の派遣に関しては、東日本の港湾のほとんどが津波によって破壊されています。数百トン以上の船が入れる港の三十いくつかは、コンクリートの防波堤が壊され、どこに暗礁ができ、どこに自動車や漁船が沈んでいるかもわかっていません。陸上の道路はひび割れ、段差ができ、車にガソリンが補給できない状況です。東北新幹線もまだ開通していません。こういう状態では病院船が被災地に近づくことも、被災者を病院に送り込むこともできなかった。それゆえ「病院船」の申し出もお断りせざるを得なかったのです。(p44)

この病院船への説明や、いかに中国に支援を感謝しているかの弁は中国のメディアに大きく報道され、外交感情の好転に役だった・・・という松本氏の「自己申告」である。俺SUGEEEEEEEである(笑)

そして、この説明をとっさに、アドリブで行ったため、その事後報告を松本氏は、当時の菅直人首相に帰国後行うことになる。
そこから、もうひとつドラマ……というか小ネタが勃発するのだが、それは別の記事にしよう(可能なら)

「病院船」についてもうちょっと詳しく知りたい

・いま、中国には「東日本大震災に派遣してもいい」といえるぐらいの病院船があるらしい。それは何という船?
・日本国には、それに対応する船があるのでしょうか?自衛隊所属?ほかの省庁?そもそもない?
・かつて病院船は、危機管理第一人者を持って任ずる佐々淳行氏も、朝日一の軍事記者をもって任ずる田岡俊次氏も導入を提言していた。それと同じもの?
・そもそも病院船ってほんとに効果絶大なの?
東日本大震災は港湾や道路が破壊されているので、中国に病院船を頼みたくても頼める状態ではなかった。やむを得ず断った…という話ってどこまで本当なの?

などなどについて知りたいものです。

2005年の「パックインジャーナル」での田岡氏の発言をメモした記事がある。

今週のパックイン・ジャーナル - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050110/p1

2004年の新潟地震の時にも少し書いている

避難場所---体育館と自動車内と。 - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20041028/p1

中国人民解放軍の「病院船」の画像はみっけた。

2011年当時の記事ブログもあった
http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-date-20110327.html



それはそれとして、震災6年に際して、あらためて中国には…どんな思惑があったかなかったかをおいて――国家の要職にある方々の弔意と、病院船などの支援の申し出に、あらためて深く感謝申し上げる次第です。(断ったという判断が間違いだというわけではない)