ルパンと昭和天皇(当時皇太子)は、パリの地下鉄で会っている…(妄想)
■「昭和天皇とアルセーヌ・ルパン。−1921年6月21日、パリ地下鉄にて−」http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090429/p6
「アバンチュリエ 怪盗ルパン伝」4巻が五月に発売
怪盗ルパン伝 アバンチュリエ(4)奇巌城・中 (ヒーローズコミックス)
- 作者: 森田 崇,モーリス・ルブラン
- 出版社/メーカー: 小学館クリエイティブ
- 発売日: 2015/05/02
- メディア: コミック
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昭和天皇の歌について
昭和天皇、相撲をうたふ - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090326/p1
ひさしくも 見ざりし相撲 ひとびとと
手をたたきつつ 見るがたのしさ
高島俊男評。
「一読三嘆、よくもまあこんなに平明で、すなおで、大らかな歌が作れるものよとほとほと感にたえた。感心した証拠にいまだにおぼえている(略)。一言で言えば機心がない。うまく作って人をあっと言わせてやろうとか、感心させてやろうといったたくらみ心がない。思い邪(よこしま)無しである。育ちがよいというのはこういうことかと思った。」
- 作者: 高島俊男
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2002/10
- メディア: 文庫
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昭和天皇の御製botがふたつもあった。
https://twitter.com/showagyosei
https://twitter.com/senteiheika_bot
下のbotは、注釈つきなことが特徴。
「昭和の日」は「A級戦犯起訴日」でもある。
今日は昭和の日→/すなわちA級戦犯起訴日。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130429/p3
昭和天皇の創作童話
これは新情報。
裕仁新イソップ
http://www.sankei.com/life/news/140909/lif1409090064-n1.html
貞明皇后などから「イソップ物語」を聞かされていたことから、11歳の時、物語を自作し、「裕仁新イソップ」と命名。「海魚の不平」と題した作品は、ほかの魚の才能をうらやむタイたちを、目の見えないウナギがたしなめる内容で「自分よりも不幸な者の在る間は身の上の不平を言ふな」との教訓を付記している。(明治45年3月16日)
昭和天皇とゴルフ
この情報。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013012700010.html
- 作者: 田代靖尚
- 出版社/メーカー: 主婦の友社
- 発売日: 2012/11/09
- メディア: 単行本
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[評者]荒俣宏(作家)(略)…テーマは昭和天皇を主役にした日本ゴルフ史。これがまた、冒頭から定説を根底から覆していくから、怖い。定説って、いったい何?
(略)
本書は自前の調査をベースに昭和天皇のゴルフ史を一から構築するのだが、これがまったく思いがけない「昭和史再検証の切り口」であることが分かってくる。ハイライトは、はからずも実現した日英皇太子による世紀のゴルフ対決である。当時の世界情勢を背負って来日した英皇太子を迎え撃った裕仁殿下のゴルフ技術を、写真や記録から「飛距離は出ないがスコアは安定する」堅実ゴルフと分析してみせる。結局、腕力はあるがフォームを崩しやすく波が激しい英皇太子が1アップで勝利するけれども、じつは知られざる第2戦が予定されていた。
(略)
本書は完璧なのかと問われると困る。じつは田代氏も、以前に書いた日英ゴルフ交流に関し「記述に誤りがある」と厳しく指摘されたからだ。そのシビアな批評家は昭和天皇であった! ご本人直々の校閲では、致し方ないなぁ。
権力による言論への圧力の一ページ。
山本七平が見た昭和天皇と、その大演習の感想。「白かった」&「小便の川」とは?
- 作者: 山本七平
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1988/08
- メディア: 文庫
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山本七平bot @yamamoto7hei
2012-09-30 18:28:01
25】もっともこれは今ではわが家の「伝説」になってしまって、私自身少々抵抗をおぼえ「確かに、そういうことも言ったが、もうちょっとマシな常識的なことも言ったはずだ」と主張しているのだが――、26】当時は天皇の顔を見たなどといえば、それだけでその家族や友人、隣り近所では一大ニュースで「どんな人?」「どんな顔をしてた?」と聞かれるのである。天皇家が週刊誌に登場したのは戦後のことであって、戦前は文字通り「雲の上」である。
27】何しろ石坂洋次郎氏の『若い人』に、天皇にもわれわれ庶民と同様の生理現象ありやといった女学生の会話があり、それが当局の忌避にふれて削除されたといったような噂――あくまでも噂にすぎないが――があった時代だから、みな興味津々である。
28】たちまち家族一同から「どうだった」「どんな人」といった質問攻めにあった。それに対して私が、――多分返事が面倒だったからでもあろうが「白かったなあ!……ああ、あの小便の川!」と言ったというのである。確かにそれだけではなかった筈なのだが!
29】これが後々までタタリ、今でもタタっている。何かのときには必ず両親が「何しろあなたは『白かったぁ!』ですから、人前でお話しをするときは少し気をつけなさい」とか、「ナニ、交渉がうまくいかなかった?アレのことだ、大方いきなり『小便の川』とても言ったんだろう」ということになる。
30】…先日姉に会った処が「『文芸春秋』に連載してるんですってね、まさか『白かったあー」なんて書いてるんじゃないでしょうね」と釘をさされる始末である。「うちなる横井さん」の声に耳を傾けて、その時代の神話に適合するように語らないと、三十年後にもなおタタる一つの例証かも知れない。
少し自分の言葉を解説すれば「白かった」とは天皇の顔のことである。
34】事実、白粉をつけているのではないかと思うほど白く感じた。これはおそらく錯覚であろう。というのは閲兵の時には天皇の後から、まるで金魚の糞のようにゾロゾロと、同じように馬に乗った「ベタ金」がつづくのである。侍従武官とか参謀本部員とかいう幕僚であろう。
35】「ベタ金」とは将官のことで、階級章に三本の金筋が入ると、地の赤が見えなくなって「ベタ金」になるからである。ところが軍人はみな日焼けして真っ黒である。これは普通に想像するよりはるかに黒い。
36】…野外演習が仕事だから、肌の色が、螢光灯下のサラリーマンとは全く違うのである。普の軍人ももちろん、これ以上黒くても白いことはなかった。従って天皇の顔は白くうき出る。…これが「白かったなあー」という言葉になったわけである。
37】次に「小便の川」だが、この問題に開する限り、紅衛兵のようなひどいことにはならなかった。閲兵されるものが立ったまま流すので、異状な臭気と暈気(?)に包まれるというような状態は、やはり「大陸的」であって「非日本的」なのかも知れぬ。
38】しかし「陸軍始」は一月八日の厳冬である。しかも順次に代々木練兵場に入るから、早い部隊は五時ごろ出発しているはずである。こうなると、やはりこの生理現象への対策は大問題にならざるを得ない。
39】紅衛兵はいわば、毛沢東の前で「立ちション」をしていたわけだが、帝国陸軍は陛下の御馬前でそういうことはできない。観兵式というのは連隊の全員が出て行くのでなく、各中隊ごとに、…一定の基準で人事係准尉が兵士を選抜して編成するのである。
40】その基準はいろいろあった。…身長その他も確かに考慮されたと思う。しかし何といっても、絶対的な条件は「小便が近くない」ことなのである。厳冬の代々木原頭で、寒風にさらされて八時間立っていても、身ぶるい一つ出ない人間、これが第一条件である。
41】…しかし一月八日は確かに寒い。従って連隊長以下全幹部が「生理現象」に神経質たらざるを得ない。代々木の付近…に練兵場入口があって、各部隊は順々にそこから入り、…整列したのである。この入口の傍に小さな共同便所があった。水洗なき時代だから、…汲取り式である。
42】各部隊はそこまで来ると必ず「小休止、小便をしてこい」ということになる。これから何時間かは、何しろどうにもならないから、全員がそこで用をたす。槽はたちまちあふれ、湯気を立てた小川となり、それが道路を斜めに横切って反対側の国鉄の土手下の溝に流れ込んでいた。
43】各部隊は皆その小川を渡り…(後略)
昭和天皇の名言「雑草という草はない」は”一視同仁”というより「オタクが素人の雑な把握を訂正したがる例のアレ」という説。
塩こうじ @shikuji ·
https://twitter.com/shikuji/status/593257889436815360草刈りといえば、昭和の日だし思い出すのが昭和天皇が御所の庭の草を刈った侍従に雑草という草は無いとおっしゃったというエピソード。慈悲とか生物学者としての観点だとか言われるけど、個人的には「雑魚ロボットなんていうモビルスーツは無いよ…まあいいけどさ」的なこだわりだったと解釈したい。