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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

二二六事件補遺〜柳家小さん、石原莞爾、追悼碑……

昨日、二二六事件についての過去記事紹介を書いたのですが、自分が昨日読んで、へぇと思ったことを収録します

徹底鎮圧論?同情的? 木戸、石原、真崎…「1936年の○○○」「そして木戸大臣…」

クーデター阻止した意外な人物 二.二六事件研究
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO83600550U5A220C1000000/

二.二六事件は、最近これまでの通説を覆す歴史書が出てきている。関係者らへの直接インタビューなど約30年間研究を続けてきた近代政治史の筒井清忠帝京大学教授に最新成果を聞いた。
(略)
筒井教授は「黒幕説や謀略説は今では否定されている」と言う。よく黒幕になぞらえられるのが皇道派の首脳、真崎甚三郎陸軍大将だ。青年将校は岡田内閣に代わる暫定内閣を主張し「真崎政権」を求めていた。しかし「当の真崎大将は事件前、海軍大将と緊密に連絡したり、陸軍他派閥との交流を図ったりと派閥工作に没頭していた」(筒井教授)。クーデター当日の朝4時半ごろ、事件を知った真崎大将は「死人のような顔になり『万事休すだ』とつぶやいた」

わははは、よく考えればそうだよね。真崎が野心満々の俗物なのは疑いないところだが、だからこそ派閥工作や根回しで、首相の大命が下るのを待っていた、というほうがありそうだ。それに手ごたえを感じていたからこそ、直情径行の若手たちが「真崎首相」を腹案に決起したら「万事休すだ」……企業など、ほかの世界にもありそうな話よ。

 

青年将校は情報が漏れるのを恐れて事前の上層部工作はしていなかった」(筒井教授)。昭和天皇皇道派に好意的だという誤った情報が伝わっていたことが、事態の推移を楽観的に見させていた。
 しかし、その昭和天皇は終始鎮圧の姿勢を変えなかった。当時まだ34歳、若き君主の方針を支えたのは誰だったのか。筒井教授は意外な人物の名をあげる。軍部に近いと言われ、戦後はA級戦犯として裁かれた木戸幸一内大臣(事件当時は内大臣秘書官長)だ。(略)一般的に木戸氏の歴史評価は芳しくない。…(略)しかし二.二六事件では「見事な対処策を起案した」と筒井教授は評価する。木戸氏は天皇の方針を2点に絞った。暫定内閣を許さないことと、反乱の断固鎮圧である

歴史的大事件の記述に関しては
新しい視点で「彼がキーパーソンだった」と名指ししたり、「この一件こそが重要な事件だった」と名指しするだけでひとつの仕事となる。最近の「風雲児たち」では、岩倉具視をそういう視点でぐっとクローズアップして読ませる。
「木戸が二二六鎮圧の功労者」、というのはそういうものだろうねえ。
特にクーデター直後は通常の政治的意思決定はなされない。職責だ権限だ、が意味無く、そこで行われたこと自体が事実として追認される(韓国の朴正煕暗殺直後を描いた「大統領有故」をごらんください)ので、やったモノがちだろうし、政治的な反射神経が試されるものでもあるのだな。

 

 通説とは正反対に実は二.二六事件に好意的だった大物幕僚もいる。満州事変(31年)の立役者、石原莞爾参謀本部作戦課長(=大佐)だ。事件当時、青年将校らに対して「言うことを聞かねば軍旗を持ってきて討つ」と面罵したと言われていた石原大佐だが、実際は26日には自主的に参謀本部の建物を青年将校側に明け渡していた。その後も間接的に交渉を試みたり、有利になるような解決策を陸軍大臣に進言したりしていた。「青年将校側が最後に信頼して頼みにしたのが石原大佐だった」(筒井教授)。その石原大佐は事件終息後、陸軍「満州派」のトップとして統制派主流を受け継いだ東条英機首相派と激しい人事抗争を繰り広げた。筒井教授は「事件終結後に統制派がすぐ政治的実権を握っていったという解釈は不正確」という。

きのう、ちょっとtwitterでこんなやりとりをした。

https://twitter.com/gryphonjapan/status/570760757660422144
菅野完 ‏@noiehoie 22 時間22 時間前
(例の有名な
石原莞爾「荒木!バカ!貴様はバカものだ!お前のようなバカ大将がいるからこのようなことがおこる!」
荒木貞夫「陸軍大将にたいしてバカとはなんだ!」
の「バカ問答」が川崎陸軍大臣参内の前なのか後なのか判然としない)
 
gryphonjapan ‏@gryphonjapan
石原の二二六の逸話は色々伝わっていておおむねカッコいいけど、いくつか読んでいくと、出どころが「……と、俺が言ってやったんだ」という石原の自己申告っぽいんですよね。場所が場所だし仕方ない部分もあるけど、他の裏付け証言とかもあるのだろうか。@noiehoie
  
菅野完 ‏@noiehoie 21 時間21 時間前
それに、のちに昭和帝が事件直後の石原を珍しくお褒めになっておられるので、後世の脚色もだいぶあると思います。

自分のツイートを補足すると、石原莞爾が銃を突きつけられてもその将校を一喝して参謀本部に入ったとか、徹底鎮圧論だったとか、「荒木バカ」とか、色んな逸話…とくに「鎮圧側」だったという話はいろんな石原の伝記、研究書にあるんですよ。
あと「帝都物語」もそうだったね。北一輝と丁々発止の電話での駆け引き、攻防を繰り返し、失敗を見越して「革命軍ではなく正義軍と名乗れ(そのほうが失敗後に同情や共感を呼ぶ)」と工作する北に対し「きみたちは維新を装った社会主義者だ」と逆にレッテルを貼る石原、とか・・・


で、自分は「ふーんそうなのか」とふつうに納得してたのだが…
実は、そういう伝記の3冊目か4冊目で、たまたま石原将軍の友人で『私が将軍から直接聞いた」というデンで書かれているのがありましてね。
そこで「石原将軍が226事件の時のことをこう語った」というふうに書いているのをみたんですよ。
それで皮肉にも「ああ、そういやこの情景を知っている人は当事者とかしかいないよな。じゃあ自己申告だよな、この時の行動や発言って…どこまで事実だろう?」という疑問を持てたんです。

五一五事件の時…いや相沢中佐事件のときか「一身を省みず国のために動く軍人がいた。わが皇軍は健在です」とも放言したというから、それとも矛盾するし。


「石原、実は226事件将校に同情的」というのが事実なら
「成功には100人の父親が名乗り出るが、失敗は孤児である(ケネディ)」という言葉をまたかみ締める(笑)

柳家小さん

しもやけお手っ@kanbunkosode
226事件小咄。

5代目柳家小さん師匠、園遊会に呼ばれたもののなんとなく居心地が悪くてそわそわ。
昭和帝「どうしたの?」
小さん師匠「大きい声で言えませんが実は私2月の雪の日にあの場にいたもので」
昭和帝「あ、そう」師匠にそっと耳打ち
「大きい声で言えませんが実は私もです」

(※ま、これは事実じゃないだろうけど)
 

2月26日@gryphonjapan
TAKAKO★マッドネス@takakomadness2

@kanbunkosode 談志「俺が沖縄で酔っぱらった時、散々言われたが小さん師匠なんかもっと無礼な事をしたんだぞ」
  
gryphonjapan@gryphonjapan
小さん師匠が人間国宝になったときとか勲四等の勲章を貰った時とかも、弟子が高座でさんざん「あの人、天皇陛下に弓引いた逆賊ですからね。それがこういうものをもらえるんだから」とネタにしまくってましたな(笑)

上のようなギャグの背景はというと・・・

http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/blog-entry-898.html
2月26日と言うと、やはり五代目小さんのことを連想する。

 77年前、昭和11年の2月26日は東京は雪が降った。その雪の中、歩兵第三連隊に所属する小林盛夫、前座名の栗之助は、上官の命じるままに警視庁を占領する反乱軍の一人となった。

 四代目小さんに入門して、三年目、陸軍に入隊してたった一か月後のことである。
 
 占領から二日たった2月28日には食糧が届かなくなり、天皇の命令により鎮圧部隊が派遣された。反乱軍の汚名を着せられ、沈鬱なムードになる中で、上官が小さんに落語をやるように命令した。小さんは『子ほめ』を演じたが、誰も笑わなかった。「面白くないぞッ!」のヤジに、「そりゃそうです。演っているほうだって、ちっとも面白くないんだから。」と答えたと伝えられている。

追悼碑の話

Jタウンネット @Jtown_net
【600RT】どうしてそうなった...二・二六事件の慰霊像、今や「女子高生に人気の告白スポット」らしい -
http://j-town.net/tokyo/column/gotochicolumn/201208.html


1936年、「昭和維新」を唱える青年将校らが政府要人を殺害した「二・二六事件」。
その慰霊像が東京・渋谷にあるのだが、なんとそこが「女子高生の間で人気の『告白スポット』」になっているのだという。
(略)
渋谷駅から徒歩10分余り、NHK放送センターの道路挟んですぐ裏、渋谷公会堂のほど近くに、「二・二六事件慰霊像」はある。
ここはかつて、東京陸軍刑務所の敷地だった土地であり、青年将校たちが処刑された場所だ。1965年、死者の御霊を弔うため、遺族などによって観音像が建てられた。

(略)
「......この慰霊碑の前で告白やプロポーズをするとうまくいくと女子高生の間で人気なんです。
当時、若くして処刑されてしまった青年将校の霊が今の若者を応援してくれているという説と、2.26=(夫婦ロック)という語呂合わせからきているという説があります」

NHKの建物は見た記憶があるから、多分自分も前を通ったことはあるんだろうが、っ知らなきゃ見物も手を合わせることも出来ない。
徒然草の「先達はあらまほしきことなり」はやはり永遠の真理だな。

いつか機会があったら見物しよう。
そして、なぜこんな噂が広まったか、だが…

そりゃあんた、「赤誠を貫けば、必ずその誠に相手はこたえてくれる」という伝説が広まったんだろ……ここで告白すれば、その効力はてきめん。


また、「226事件の将校の霊が、人の恋路を応援してくれる」という勝手な信仰も、そういう人がそう思うのは止められないし、止める理由も無いのである。
これは、自分のテーゼの補強材料でもあると気付いた。

宗教における「見なしの自由」を擁護する…彼の為でなく、我が為でもなく。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111109/p3