少し早めに告知というかお知らせしておこう。
昨年の記事を紹介するのが手っ取り早い。
【2013年記事です】
12月23日、東京・池袋サンシャインビルわきの公園は”聖地”になっていた…すなわち、東條英機らA級戦犯の処刑日に。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131225/p2
実を言うと「皇居が数万人の祝賀の民衆で埋まる一方、この碑は訪れる人もなくひっそりと…」というふうな文章を書こうと決め打ちしていたのだが・・・。
それほど
ひっそりしてなかったよ!
けっこうこの日にここを訪れ、花や線香を供えている人いたよ!!
自分は昼過ぎのほんの数分しか滞在しなかったが、手を合わせる人、写真を撮る人が5人ほどいたな
…で、昨年、ぶっちゃけ思ったのは「ここ『画になる』よなア。新聞とかテレビ局とかネットメディアとか、この日(A級戦犯処刑日)の巣鴨サンシャインビル脇・戦犯追悼碑の様子、押さえておけばいいのに」
ということでした。
なんつっても「危険な軍国主義復活の足音」でも「自虐史観に疑問を抱く目覚めた人の増加」でもどっちもその画を使えるのが便利だ(笑)
あそこ、交通の便がこの上も無くいいから、取材もらくちんでしょ?皇居前は人でごった返すが、こちらはごった返すってほどでもない。
ただ、その日に思いついても予定とかが埋まってるだろうから、今日当たり企画しておけば取材とかもスムーズだろうと思って、本日提案する次第だ。
リテラとか、ネタにしやすいんじゃない(笑)?
碑に対しては手を合わせるもよかろう。ばかやろーとののしるもよかろう。
どちらも物理的なものではないから自由だ。
「(今上)天皇誕生日とA級戦犯処刑日が同じ日なのは偶然なのか?」という議論
当日も紹介するかもだが、これも先行紹介しておく
昭和23年12月23日、真夜中の巣鴨プリズン。
時計の針が午前零時を回るとともに、7人の男たちは13階段を昇り始めた。
東條英機、土肥原賢二、武藤章、松井石根、板垣征四郎、広田弘毅、木村兵太郎。
「大日本帝国万歳! 天皇陛下万歳!」
最期の声が、凍てつくコンクリートに響いた。
・・・だが、なぜ彼らはその日に処刑されなければならなかったのか?
その日は、皇太子明仁の15回目の誕生日だというのに・・・。猪瀬直樹からのメッセージ。
「これは単なる偶然ではない。皇太子明仁の誕生日に東條英機が処刑されたという歴史的事実をひとつの暗号とみて戦後史を読み解くべきではないか」東條英機 処刑の日―アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」 (文春文庫)
- 作者: 猪瀬直樹
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