こちらにまとめさせて頂きました
格闘家・プロレスラーの木村浩一郎さん急逝に際して - Togetterまとめ http://togetter.com/li/738164 @togetter_jpさんから
いわゆる公式の「ニュース」報道はないものの、多くの著名な関係者や組織が語っており、事実として受け止めることを疑う理由はないでしょう。
そして、これだけ多くの人が彼について語るという、その人脈の広さや、くぐったキャリアの深さや多彩さ、愛され(あるいはちょっと畏怖され)ていた彼のキャラクターなどにも思いを馳せずにいられない。
の試合があまりにも有名ではあるが、それ以外にも幅広い分野で活躍した。
DDTの初期のころは、彼やホッパーキングがある意味「どインディー」だったDDTの一面の象徴で、彼がいる以上「どインディのプロレスラーなんて弱っちいよ」とか「技術を知らないよ」と言えなかったんだよ(笑)、またそういう基準が当時はいまより、プロレスの評価に大きな部分を占めていたからね。
木村浩一郎は、初期DDTではコーチも務めていたのじゃなかったかな。
その後の紆余曲折は、業界の裏事情も色々絡んだり、リング外での「お約束」を守るとか守らないとかそういうことも関係していたという。
だから、このインタビュー記事がまさにことし発表された時の衝撃は大きかった。
【90年代・灰色の狂気】木村浩一郎「FMWとリングスで俺はこの業界をナメてしまったんですよ」 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar569058
(※後半部記事は有料)
自分はこの記事が出た時、衝撃を
このようにつづったが……
「彼」が遂に沈黙を破った!木村浩一郎が衝撃証言続々。「リングスの僕の試合は全部…」「前田日明さんとのエキシは実は…」「安生さんの実力?それは…」 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140717/p1
この総合格闘技業界に冷淡なはてな、だというのに、ブックマークがえらく多かった(笑)
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/gryphon/20140717/p1
ただし、氏が残したオーラル・ヒストリーは、その波乱万丈の経験に比較してあまりに少なすぎたことも事実だ。
https://twitter.com/eg_2
eg_2(エイジ) @eg_2 · 9 時間 9 時間前
ddtの若手のデビュー戦はマイケルまでは木村さんがやっていたのですよね。「ゴウカクデス!」とか言われて認められるわけで。その意味だと飯伏デビュー以降は「別の表現方法」になったとも言えるのですね。何かのインタビューで「しょっぱい俺が合格決めるのもおかしい」とあり自己評価も出来てた。
木村浩一郎氏はVT時代のMMAを経験し疑似格闘技(と表現していいのやら)も経験しインディープロレスも経験し、新格闘プロレスの謎試合(あれは何?)を経験し、完全なる興行破り(訴えたら確実にアウト)をし女子総合の分裂に関わり、、、等々今思い付くだけどもこれだ。何だこのカルマ背負い具合
木村浩一郎氏の歴史には色々な「答え合わせ」をする必要があってジャン斉藤さんのインタビューでは全然足りないのですよ。リングス関連やJPWA(前日シュートで云々)の一件、ddtを離れる時のアレコレも含めて。あ、群馬のシューティングジムの話も謎だし。うわ、カルマだらけじゃないですか。
最後の段落、まさにその通りだ。
だが、ほんの数ヶ月前に行われたこのロングインタビューがもし無かったら……と思うと、これだけでも記録に残せて、本当に良かった、という思いも大きい。
「老人が死ぬのは、図書館が一軒焼けるのと同じだ」という諺をきいたことあるが、老人でない木村浩一郎にも当てはまる。
いや、木村は図書館というより宝の島だったろう。ラピュタのようなものだった。
だから、あのDropkickインタビューはラピュタの最後のシーン…墜落して海に沈んでしまったラピュタ島から、空賊たちが「たったこれっぽっちさ…」とぼやきながらも、その国の貴重な遺産をつかめるだけつかんで持ち去ることに成功したという、あの光景を思い出すのだ。
本当に、あのインタビューをやってくれてよかった。
もう、繰り返しであることは気にしない。これは「定番」として紹介する。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/622_14497.html
書洩らしは? と歴史家が聞く。
書洩らし? 冗談ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。
若い歴史家は情なさそうな顔をして、指し示された瓦を見た。
文字の精霊共の恐しい力を、イシュディ・ナブよ、君はまだ知らぬとみえるな。文字の精共が、一度ある事柄を捉えて、これを己の姿で現すとなると、その事柄はもはや、不滅の生命を得るのじゃ。反対に、文字の精の力ある手に触れなかったものは、いかなるものも、その存在を失わねばならぬ。
(中島敦「文字禍」より)