まったく浮き世の忙しさはいかんともしがたいもので、
5日も前からこの日がお祭り日だよ、と宣伝してたのに、書けるのはようやく夜になってから。
まあ、それでもいいや。氏は1934年(昭和9年)6月18日 うまれ。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140613/p4
で、上でも書いてるように、わたしと横山光輝、という話だと、以下のふたつで出がらし状態で、そんなにこれ以上書くこともないんだわ。
本日、横山光輝先生急逝から10年。語られざる巨人は、さらに語られるべし。 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140415/p2
「鉄人忌(仮称)」〜横山光輝先生(04年4月15日没)逝去から10年 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/655284
しかし。
自分に知恵が無い時は、天下の賢人に知恵を借りればいい。劉備もそうやって、蜀の皇帝にまでのぼり詰めたではないか。
ということで、彼らの紹介をしよう。
https://twitter.com/TIGERHARA/status/479100141631045632
タイガー原 @TIGERHARA
私が書きました『待てあわてるなこれは孔明の罠だ』が発売になりました!横山光輝『三国志』の名・珍場面をひたすら200場面解説する本になります。1971年の連載開始から現在に至るまで、幅広い年齢層に長きにわたって愛されてきた、横山光輝氏の漫画『三国志』。 その不朽の名作から、これぞ三国志という名場面・名言と「横山三国志」ならではの魅力あふれるカットを200シーン厳選して解説した、 ファン待望の一冊ができました。 著者は、異例のヒットとなった『三国志』のLINEスタンプを企画し、ネット界で一躍話題の人となった原寅彦氏。 氏いわく、「シンプルでありながらインパクトのある絵に、絶妙な台詞回し。 コマ一つで前後の文脈がわからなくても面白いのが横山三国志の魅力」。 本書は原作を知らない人でも楽しめ、三国志のあらすじまでわかります。 横山光輝氏生誕80周年の記念日が発売日です。
- 作者: 原寅彦,横山光輝
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2014/06/18
- メディア: 単行本
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むむむ。
みなもと太郎が語る横山光輝論を紹介。
上の「語られざる巨人は、さらに語られるべし」の中で書いた一文ですが…
これは以前ちょっと描いた話だが、
「横山光輝先生が、いまのサブカルチャー地図に与えた影響は、公平に採点、カウントして積み上げると、実は手塚治虫をすら上回るのではないか??」という仮説があるのです。
なにしろ代表作だけで、巨大ロボット(鉄人28号)ニンジャ(伊賀の影丸)魔法少女(サリー)、エスパー(バビルⅡ世)、そして三国志…だよ。
手塚もすごいが、なんというか「直接的」に影響を与えているという点では、やはり横山氏のほうが僅差で上回る、かもしれない。ラウンドマスト制では(なんだそりゃ)そんなことをかきたかったのだが、それに必要なのは、実は以前Kitさんからもらった、みなもと太郎氏の個人誌で、とある回が一号の半分近くを「横山光輝論」でしめられていた。
その論が非常に面白く、意義深く、横山光輝の巨人性を私がそもそも確信したのはその文章の影響であります。
では、それはどこにあるのか。家のどこかにあるのです。…要は埋もれて分からない(笑)。10周年に合わせてその本を発見し、紹介したかったのだが、間に合わなかったと(笑)。
今後機会があれば。
なんとか見つけました。
Kitさんからお土産でもらったのは、徳川慶喜が表紙の「風雲児たち外伝 VOL:17」ですた。
twitterに投稿したものを、そのまま収録する。
gryphonjapan @gryphonjapan
本日横山光輝生誕80年。
タイガー原氏著 @TIGERHARA の『待てあわてるなこれは孔明の罠だ』も発売だそうだが、私はみなもと太郎の横山光輝論を適宜140字に要約しつつ紹介しよう。
引用元は「風雲児たち外伝 VOL・17」より。以下つづく。
posted at 21:35:42
①ひょっとしたら、21世紀の日本で(中国まで含めて良いかもしれない)これほど『三国志』がもてはやされているのは、「横山三国志」が火つけ役なのだ、ということもを知らない人も多いんじゃないだろうか。いやもちろん、かの吉川英治…小説化は以前からあり、ロングセラーとなっていた。
②しかしそれらはあくまでも「文学」の領域に留まり、現在のようにTVドラマや人形劇、二ケタを越える作家による漫画競作、RPGといった「映像・ビジュアルとしての三国志時代」を花開かせてしまった張本人は、これはたしかに横山光輝の「三国志」がスタート地点。
③横山以前の「三国志」は、やはり別世界の英雄群像劇。政治の仕組みも地理も名前もムツカシイ、隣国の、古代の物語。 凄い人たちだが、身近な人ではなかった…それが横山光輝のペンによって、玄徳も孔明も、となりのお兄ちゃんのような親近感を読者に抱かせたのだ。
④横山光輝とは、そういう作家なのである――。手塚治虫と違って。
手塚治虫は、いつもライバルを気にして、いらいらしている作家であった。戦後児童漫画のパイオニアでありトップランナーでありながら、人気投票では常に誰かに抜かれ、二番手三番手に甘んじていた。
⑤昭和30年代のライバルはイガグリくん、赤胴鈴之助、鉄人28号。前2者は梶原一騎につながる浪花節で、ある意味手塚は手をつけない分野。それ以上に横山「鉄人」に抜かれるのは心穏やかではなかったのではないか。当時は両作とも「少年」に載っていた。
⑥(※ここで、http://www.usio.co.jp/yms-kentei/mesage_minamoto.html… にも載っている「当時の子どもたちの『推しロボ』はアトムか鉄人か?」問題をみなもと氏は回想する。)
当時は多数派が鉄人、弁のたつインテリなガキはアトム。そして論争はアトム優位。なぜなら…
⑦アトムは子どもであっても、そのドラマ性、科学性、ヒューマニズムなどをいくらでも「語れる」のである。だが鉄人28号は…「見ればわかる」ものであり、語るものではない。当時、なにしろ「カッコイイ」という言葉は無かったのだ!(石原裕次郎が定着させた)
⑧のちに「劇画」が登場し、手塚も石森もその劇画に対峙し、画風を取り入れたり模索した。しかし横山光輝は…「漫画評論」 黎明期の論者も、そんな中で圧倒的人気だった「伊賀の影丸」 を評価する言葉がなく「わ、わかりやすいからね…」と、ある意味”絶句”していた。
⑨ その後さらに劇画全盛となり、手塚がブラックジャックで(劇画テイストを取り入れ)一発逆転を狙った時代・・・横山も少年誌連載が減ったが、そしたら平然と少女漫画雑誌で「魔法使いサニー(当初)」を連載、こっちでもトップに! そして、「三国志」に至るのである。
……というのが、みなもと太郎氏が「風雲児たち外伝17」に収録した横山論の骨子。ここから「横山マンガ特有のフェロモン」の話とかもしてるのだが略す。
その後、個別作品の短評があるのだが、それを最後、おまけとして警句集的に紹介させてもらう。
「それにしても横山キャラクターは悩まない。手塚治虫と比べてはいけないんだろうけど…アトム、ブラックジャック、…うっとうしくなるくらい悩みに悩む。/横山漫画にそのうっとうしさは微塵も無く、読者を困らせることも無い」
「負傷した草間少年(ジャイアントロボ)が敵に立ち向かうため、ベッドから半裸の包帯姿で起き上がろうという痛々しい描写は、後年の「エヴァンゲリオン」の少女「綾波」そのままではありませんか!」
「50の坂を目前にした1957年から・・・60の坂を越えるまで10年余りで単行本77巻、控えめに計算して1万5千ページ以上を”描き下ろし”続けたのであった…恐縮だが私(みなもと太郎)が30年連載している某歴史漫画(※世紀の傑作「風雲児たち」のこと)がようやく1万ページ目前」
「昭和41年、「りぼん」で『魔法使いサニー』が始まったときも、(横山は少女漫画も描いていたので)違和感なかった。でも『魔法少女』というのがいかにも新鮮…というか、その後の『萌え系・魔法少女もの』のハシリなんだから、そのスルドイ感性に舌を巻くしかない」
「横山先生の自伝マンガ「まんが浪人」、あらゆる漫画家の自伝に立ち上がる「なんとしても漫画の星をつかむ!」という熱気がまったく無い、ある意味トンデモナイ作品なんです。が、その「徹底した無欲、ノンキさ」こそが、実は横山マンガの魅力と人気の根本」
以上、約20ツイートにわたってみなもと太郎氏の横山光輝論を引用紹介させてもらいました。原文が読みたい人は…えーとここだ、
http://fuunji.net/tuuhan/tuuhan20140505.html
の「風雲児外伝17 慶喜」のご購入を。
本日2014年6/18、横山光輝生誕80年。@gryphonjapan