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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「TUF」の一無名選手(マット・セコール)が父親の死を振り返った言葉

自分はリアリティ・ショー(というか連続ドラマ)を見続けるというのが苦手で、大抵は途中で挫折するのだが、今回はけっこうみ続けている。

http://www.wowow.co.jp/sports/ufc/tuf16/trailer.html

で、この前、第7話が放送され、
マット・セコールvsマイケル・ヒルという試合が途中で組まれた。

第7話 勝負をジャッジにゆだねるな!
試合決定権を持つロイは、次の試合に出る自軍の選手を、今回はストローくじのかわりに選手に数字を選ばせて決める。
TUF1優勝者でUFCライトヘビー級王者になったこともある、フォーレスト・グリフィンがゲスト・コーチとしてやってきてチーム・ネルソンを教える。
セコールは合宿所で、去年父を亡くしたことを語り、父への思いを語る。また、兄をイラク戦争で失ったことも。セコール自身も空挺師団に所属。


この試合、TUFおなじみの合宿所のいたずら、暴言などで試合前から因縁が勃発するも、試合は逆に実に低調な塩試合。そして実に微妙な判定(というかミスジャッジ?)でセコールが敗れ、ヒルが勝利。ダナはぶちきれ・・・という平々凡々な試合でした。
その後、この両選手がどうなったのやら。1、2年たったのだが、頭角を現しているかな。してないだろうなたぶん。


ただ・・・このTUF流”因縁試合”の中で、おしなべて挑発をする側にいて、悪役っぽい扱いを自他共にされていたセコールが、自分の個人的感慨を仲間に語る場面がある。
それまでは仲間(チーム・カーウィン)内でも、ちょっと好かれていたとは言い難いセコールだが、この語りに対しては仲間も神妙に聞いていた。


セコールは、1年前の苦い思い出を仲間達に語る。

おやじは糖尿病で、発作で倒れたんだ。ばあちゃんに電話したときは大丈夫だって言われたが、そのあと母親からの電話でおやじが死んだといわれた。おれは絶対泣かないと思ってたけど、気づいたら涙がほほを伝って、ぼうぜんと座ってた。

(ここだけ別撮りの独白VTR)
去年オヤジを亡くしちまった。そのことでまだ・・・まだ、傷がいえてない
おやじは格闘技好きで俺を応援していた。だから俺はおやじのためにも・・・親父のためにも頑張りたい。

 
40分運転して駆けつけたが、そのときの記憶が無いんだ。ばあちゃんちに着くと親戚がそろってて・・・むかついたよ。みんな俺にハグしてこようとするんだけど、俺はそのとき誰にもふれられたくなかった。ばあちゃんちの玄関の手すりをもぎとって、折っちまった。

そして「親父んところにいく、おやじに会いに行ってくる」 と言った。


おやじは病院にいたから 車で向かったんだが、あれほど人生で後悔したことはねえ。
死んだ親父は、紫色だった。紫だ。
あの時の親父のイメージがずっとのこっている。6カ月もだ。
毎晩寝るときに目を閉じると、ストレッチャーに横たわる親父の姿が浮かぶ。
おやじはひとりでゲロの上につっぷして死んだ。そのことも悔いが残る。ひとりで死んだ。
(仲間「つらいだろうけど、受け入れなきゃな」)
(仲間「神の手にゆだねるんだ」)
ああ、わかってる。ああ、その通りだけど・・・ショックだったし、それに聞きたいことがたくさんあったし、いろんなことがごちゃごちゃになったんだ。
もういちど会えるなら、このチャンス(TUFで闘える、ということ)だって諦める。
一度だけでも親父に会えるなら、このチャンスも、この世のどんなものでもいいから差し出して・・・会いに行くよ。
 

(別撮りの独白VTR)
俺は試合を恐れたことなんかない。おやじが天国から見ててくれる。すべての出来事には理由があるはずだしこわくなんかない。おやじが見守ってくれているんだ。
この十字架には親父の遺灰が入っている。だから・・そのおかげでやる気が湧いてくるんだ。
偉大な人間になり、人生で成功したり最強になるするには原動力が必要だ。練習や試合で、自分をとことんまで追い詰めてくれる人が必要だし、身体が悲鳴を挙げたり、心が折れそうになったときも助けが必要だ。
自分にやめるな、っていえることはすごく大事なんだ。

声優の名吹き替えによる音声もUPしてみた。
http://www20.tok2.com/home/gryphon/data/TUFwelterMat.mp3


悲しく、つらい話だが、肉親の死、別離は格闘家に限らず、だれもが直面する人生の場面だ。そんな普通の一場面を、とくにスーパースターでもなく、この時点では何者でもない、アメリカの若者はどう感じ、どう回想するか。
アジア的儒教の風習、感情とはまたべつの、近代的(キリスト教的?)なアメリカ家族は、肉親とのつながりをどう感じているのか。
そういうことをじっくり映像とふき替えの言葉で話を聞くのは、よく考えたら初めてだし、リアリティー・ショーならではかもしれない。


ここで記録しておかないとおそらくは、どこにも、だれにも記録されない無名の言葉。
だから記録してみた。
みな、普段は粗野極まりない言葉を投げかけあう格闘家が、こういう時には「つらいだろうが受け入れなきゃな」「神の手にゆだねるんだ」か・・・こういう言葉は彼らの人間性でもあるし、社会の蓄積、慣習・・・つまり文化が生んだものでもあるだろう。
そこから学べるところもあった。



日本のフィクション作品で”肉親”との永遠の別離(とくに日常の中で)を描く作品としては、自分は「ヒカルの碁」が一番印象深い。

下の文章は全体的な同漫画の作品論で、その別離の部分を論じたのは一部分だけど、もしよろしかったら。
 ↓

今年10周年の「ヒカルの碁」を再読
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080822/p3

そういえば、この作品では、永遠の別れから、セコールの願望のように一回だけ”再会”できたんだっけ・・・。