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「大山倍達の遺言」(小島一志)読了&吉田豪氏が「書評の星座」で同書論評

大山倍達の遺言

大山倍達の遺言

大著であり、また読書途中で一度本がどっかにまぎれてしまって(よくあるよくある)、この「大山倍達の遺言」、読了がつい最近まで掛かってしまった。

んで、そうやっている間にゴング格闘技の最新刊が発売され、

まさかの吉田豪「書評の星座」による同書紹介がある
なぜ「まさか」、というと、今回の「星座」冒頭にあるように
数年前、吉田氏がここで別の著書を書評したら「吉田さんよ、金輪際俺らのことには触れんじゃねえよ。雑誌やムック、書籍は当然だ…」「何か書いたら許さんけぇな」「ケンカ売らせてもらいますわ」などと著者が言ってきた、という因縁がある。このへんは実際に当時の小島ブログを読んだはずだが、ディテールを忘れてしまい、なぜ揉めたんだかさっぱり覚えてない。
でも理由が何にせよ、「俺らのことに触れるな」と他者に命じるのが無理であり、もし「金輪際触れるな」という要請が書き手に通じるなら、そもそも「大山倍達の遺言」という書が生み出せなくなる。今回の本自体が、発言者への一番有効な反論となっているという皮肉だ(笑)。
また、こうい言われても柳に風と受け流して、平気で

もちろん今回も気にせず触れにいく

と書いてしまう吉田豪の胆力もたいしたものだ。


さて「書評の星座」の内容だが
・「平等に各人の意見を記している」というが平等じゃない
三瓶啓二緑健児が極悪人にしか読めない
松井章圭が多少の問題があるけれど正しいように書いている
・話に動きがほとんどない
・ドキドキもワクワクもせずブルーになるばかり

というカラクチの評価を吉田氏はしているが・・・書評者と被書評者の間に感情のもつれもあるせいか、やや首をひねるところもある。

そんなに緑健児氏ら、「極悪」扱いかな?

同氏の「書評の星座」には早さで対抗するしかない、という原則を忠実に守って、読了前、ゴン格発売前に興味深いところを触れていて良かったよ。

■「総裁は1世だから日本国籍でも大丈夫。だが自分は日本生まれだからこそ…」(「大山倍達の遺言」)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120508/p1

ここで自分も、こう感想を書いている。
『……同書では全体的なニュアンスとして「松井後継は正統なものだった」という着地点を感じさせる部分もある、それがひとつのバイアスになっているのではないか、という留保を付けながら読むことも必要だろう』
  
ただ、だからといって三瓶・緑両氏を「極悪」と書いているかというと、そうとも言い切れないのではないか。ことに後者は、特に個人的な言動で強い悪印象を残す場面はほとんど無かったと記憶している。
三瓶氏の言動、あるいは評価についてだが、これは逆に、ノンフィクションでは良くある「批判的に書く対象だからこそ、描写と根拠については慎重にしてある」というスタンスが見える。吉田氏が例に挙げた百人組手への評価や、大山氏の三女との関係についても、読んだ限りではまったくの捏造で書ける描写とは考えにくいのだが・・・

取材を申請したが、先方が拒否したときは

また、そもそも同書執筆に当たっては、小島氏側から何度も新極真会(三瓶、緑氏の現流派)に取材を申請し事務局は一度はオープンを約束したが、最終的に新極真側が断った、という経緯がある。
取材申請をしたが断られた相手の言い分が結果的には載っていない・・・というパターンの記事が載るとき、末尾に「○○にも取材を要請したが、締め切りまでに返答は無かった」という一文がくっつくことがあるが、大体はこの一文がついていれば、取材を要請したほうがつよく、拒否したほうが弱い。「平等に各人の意見を記す」スタンスで本を書いたとして、ネガティブな論調があるところに集中したとしても「三瓶さんも緑さんも、不満があるなら私の取材を受けて反論をすればよかったんです」と言い返せるポジショニングを、小島氏は確保したといえるだろう。
もちろん、それまでの因縁でまったくの不信感がある場合、取材拒否という選択を特に私人や私的団体は自由にやっていいわけだが。(その態度への非難も、また自由)
 
また、三瓶氏や緑氏に批判的だったとして「批判するために書いた」のか「調べに調べつくした結果、結論として批判になった」のか、この差は言うほど簡単には詰められない気がする。ただ、三瓶・緑批判はさておき、『松井びいき』については気づいたことがあり、この点については後述したい。

Aさんのインタビューが、結果的に「Bさん批判」だったとき。

それに、そもそも吉田氏が得意とする、濃厚で癖のある「スゴ玉」たちへのインタビューでは、「Aさんにインタビューしたら、Bさんの悪口いいまくり!!結果的にこのインタビュー、Bさんをとてつもなくイメージダウンさせちゃうものになったよ」というパターンがよく見られる。たとえば格闘王とか(笑)
まて得てして、吉田氏が好む人物はこういう場面の語り口がもっともイキイキして、外せない語りになったりするのだが・・・吉田氏は「極力平等に各人の意見を記す」と書いていないにしても、こういう時にどうするのか、という点では同じ悩みどころもあるんじゃないだろうか

「ブルーになる」からこそ面白い

「話に動きがほとんどない」というのは、松井派にしろ緑派にしろ空手流派としてともに存続し、睨みあっていることだからしょうがないとは思う。ただ自分は「三国志」も銀英伝も、戦闘シーンより外交シーンや軍師の計略合戦のほうが好きだから、そのへんの不満は殆どなかった。流派同士の果し合いは無くても、商標権をめぐる裁判や遺族の中の分裂、本部の明け渡し騒動、遺言状をめぐる裁判の行方などはなかなか面白く飽きさせなかった。このへんは感じ方の違いかな。
 
「ブルーになる」という指摘は自分も既に
『…謀略と裏切りと確執が綾なす大ロマンは一面ではじつに興味深いが、その半面で爽快感にまったく欠ける本であり(そりゃそうだ)、読んでいるうちに「どーでもいーわー」「かってにやってろやー」的感情が漂ってくる』
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120508/p1
としているけど、FMWやWJの崩壊やUWF分裂だって、ねぇ(笑)。そういうジャンルだと思うので、ブルーを楽しむべきだとは思う。

結論、落としどころについて

小島氏は最終的に(最初から、というべきか?)松井氏が二代目館長になったのは故大山氏の遺志に沿ったものだろう、という結論だ。同時に、大山氏の生前の意志として「極真会館の運営には家族を決して関わらせない」というものがあったとしている。
これの強調は、結果的に反松井側の正統性を傷つけるものであるから、小島氏の政治的スタンスとしてそう言っている、と受けとる人がいるのも分かる。だが同書ではこれについて

大山の生前から彼を知る人間ならば、誰もが一度ならず耳にしたことのある大山の言葉だ。口癖、常套句と言ってもいいくらい、大山は幾度となく、同じ言葉を口にしている。大山自身から直接聞いた者もいれば、冒頭のように、雑誌や書籍で目にしたものもいるだろう。実際に郷田勇三や廣重毅、西田幸夫など、多くの支部長が大山のこの言葉を記憶している。それは内部の人間だけに留まらない・・・(略)

と書いていて、いわばオープンな形で「そういっていたよね?」と問いかけている。これに対しては違うというなら「いや自分は長く総裁のお傍にいたが、そんな言葉は聞いた事が無い」という反論が続出するだろうから、ここのところは素直に受け取って良いのではないか。

また吉田氏は「・・・といっておきながら小島氏は自分のプロダクション(夢現舎)を息子に継がせている」という趣旨で「子孫に美田を残そうとする姿勢にもカックリときた次第なのである」からかっているが、小島氏は家族が継ぐことを本質的に否定しているのではなく「大山倍達のスタンスはそうだったよね」という話だから、「書評の星座」の最後の〆部分はかなり強引ではあった(笑)。
これは世襲否定を普遍的な正義として主張し「議員の息子は出馬するなら親の選挙区とは違うところから出馬せよ」とまで言っておきながら、自分はぬるい学生運動のあとで、自分の父親が書家・教育者として影響力を持っていた郷里の山形県でちゃっかり教員として就職した佐高信氏とは違うのだ(笑)。

そもそも大山氏は運営には関わらせないかわりに「極真は終生、毎月100万円を(妻、娘3人にそれぞれ)・・・に支払って欲しい」という遺言を残している(※この遺言書は結果的に効力を否定されている)から、これはこれでけっこうな美田です(笑)。

松井章圭氏について「書かれざる物語」

この本の刊行が結果的に遅れに遅れ、自分としてはこの本の出版はないと思っていた時に不意打ちで書店で見かけた・・・
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120507/p1
という話は上のリンクで書いたとおりだけど、2012年5月に出版、というのは結果的に大ヒットだと思った。これは吉田豪氏も触れていないが、しかし個人的にはその問題の「不在」が妙にひっかかったのである。

そう、それは、
ニュースが伝わったときには

世の中は 100億あれば すべてよし

という名句(どこがだ)すら生まれた、松井章圭氏・大追徴課税問題である。
詳細は過去記事の通り。

■「100億あれば、すべてよし。」松井章圭さん、あなたこそが真の勝者でした!
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111111/p1

松井氏の個人的なビジネスの話であり、極真空手の問題とは関係ないといえるのかもしれない。しかし、緑氏が資産家であることが重要な意味を持って書かれているように、松井氏が追徴課税を取られたとはいえ、たぶんそれをも上回るような個人資産を所有しているとなれば、いろいろな構図も変わってくるのではないか。昨年11月に報道されたこの部分については、出版社の編集部側も盛り込むよう要請すべきだったと思うし、「この本は平等なスタンスではない!」と特に反松井の立場に立つ人が主張するなら、個々の描写より、この「書かれざる問題」のほうが大きな意味を持つのではないか。
面白い本だったので、その欠落を惜しむ。

ちなみに「おわりに」では大山氏の逝去直後、「遺言状の存在を知り松井章圭・二代目館長への支持を公言した」と明確に記す一方で「秘書を介しての『対話』になっていたことは事実」としている(これは深い関係を隠すための煙幕、と言われれば否定する材料もないが・・・)

許永中 日本の闇を背負い続けた男 (講談社+α文庫)

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許永中「追跡15年」全データ (小学館文庫)

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