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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

パチンコ節電と自由経済と。電気無き国の憂鬱

九州は、やや早めに梅雨入り。梅雨明けも早くなるのでしょうか。予報どおり、夏が暑くなるのか、どうか。
夏の節電問題は、どのようになっていくのかな。
少し前の話だけど、朝鮮新報にちょっと面白い記事があった。
寄稿者は「空疎な小皇帝」という石原批判の本もある斎藤貴男

空疎な小皇帝―「石原慎太郎」という問題

空疎な小皇帝―「石原慎太郎」という問題

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2011/06/1106j0428-00002.htm

石原都知事はただ単に戦争成金のドラ息子だ。夥しい屍の上に蓄財されたカネでヨットを買い与えてもらった少年時代を自慢して、「(私たち兄弟は)まぎれもなく選ばれた者だった」(「弟」幻冬舎、1996年)と胸を張ってしまうことのできる、幼稚で思い上がりの権化のような人なのだ。当時の彼は64歳にもなっていた。パチンコがどうのこうのの現在は、なんと80の大台にさしかからんとしているのだからあきれ果ててしまう。


「あいつはドラ息子だ!!夥しい屍の上に蓄財されたカネで豪遊している!本当に思い上がりの権化だよ」
「そうだそうだ」
「戦場に出た事も無いくせに、タカ派的な言動は一人前だ」
「その通り!」
「芸術家を気取って、政治より自分好みの映画作りに熱心」
「パチパチパチ」
「才能もない自分の息子に、重要な仕事をさせて・・・」
「あの・・・すいませんひょっとして別の人のこと言ってません?」
 
 
・・・とキレイにオチをあの記事からつなげられて、なかなかのスマッシュヒットだった。
「桑を指して槐を罵る」ってやつですかね(笑)
 

まあ、そういう人物論は本題ではない、というかまたも出てきた「ざまあみろ」などの失言(前田日明かよ!)や発言人物に目くらましをされるがゆえに、議論が進まないわけだ。

つまり「節電が必要という前提の下、パチンコ(など)の規制はあり得るか」って話を。

原文は東京都のHPにあるはずだが、まず反響や書きぶりも見たいのでこのへんのものを。
http://www.j-cast.com/2011/04/11092759.html
http://hogehogesokuhou.ldblog.jp/archives/51705371.html
一応原文に相当する公式記録ね。映像もあるよ
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/kako23.htm
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2011/110415.htm

パチンコというのは、どれだけ国民的なニーズがあるか分からないけれども、私、趣味的には好きじゃないが、在日の韓国の人がやっている仕事が多いんでしょ。その連中が、韓国にパチンコ持って帰ったら、急に流行り出して当局が、これは国民を堕落させるということで全面禁止して、廃止したんです。それがいいか悪いか別にして、日本も政治体制が違うけれども、そういう事例もあるということを考えれば、パチンコのある業種が、これだけ膨大なピークの時間に84万キロの消費を電力消費しているということを、私たちは反省して、そんなに好きな人が多いんなら真夜中にやったらいい、電力食わない時間に。そういうことも、私たち首都圏を構成している4つの知事で合議して、政府に要請しようと思いますし、そういうものを規制する政令を作らなかったら、私は節電の効果は上がらないと思う。

うーん、とここで唸るのは・・・震災1週間のときに書いた、この問題の応用・発展系だからだ。
元になったツイキャストークhttp://moi.st/13096f )も今聞くと興味深い。

■当分続く電力不足の中、経済活動に「優先順位」はつくか?格闘技興行も含め
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110323/p1

kamiproツイキャス・・・でプロ野球の開幕是非問題(もちろんプロレスや格闘技の興行の是非に直結する)から過度の自粛の問題、興行やエンターテインメントが立派な「経済活動」の一環である問題、無くなればゼロではなくマイナスな問題・・・などが話し合われた。

まったくこの議論自体は説得力がある。本来は。
自分も
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110314/p1
で、911事件の2日後にプロレス大会をおこなったWWF(当時)のこの記事を紹介しているぐらいでね。
http://www.kansenki.net/report/01/0913wwf_hine.html
(略)だが。
http://twitter.com/#!/gryphonjapan

しかし今回は、物理的に「電気消費を減らさなあかん」という問題があるのが厄介。ただの災害なら「自粛はただのムード論」「娯楽で経済を回せ」が説得力あるのだが (@kamipro_saitou ライブ )
(略)   
普通なら「どの仕事が有益でどれが無益かは決められない」が正論だけど「電力が有限です。どこに配分しますか?」という問いに対しては、仮にでも優先順位をつけざるを得ない。これが実に厄介な特殊事情なんだ

こまったもんだねえ。
私は基本的に、文化活動や経済活動に優劣はつけるべきではない…というより付けようがない、思い思いに、みなが勝手に好きなこと、いいと思うことをやってもらうしかない・・・というのが原則だと思っている。
これが「新自由主義」もしくは新の無い「自由主義」と親和性があるのか無いのか厳密にはわからんけどさ(たぶんあるのだろう)、だからして本来は「パチンコ産業と鉄鋼業に優劣の差はなし」「甲子園のTV中継と、埼玉プロレスサムライTV中継(ないけど)に差はなし」で、敢えていうなら市場によって優劣が決まり、支持無き(儲からない)ものは退場していく・・・という流れであっていい、はずだった。
 
しかし「今までと同じようには、電力をすべてまかなえません。どこかで計画的に減らすしかない」ということになったら、前提中の前提がどーんとひっくりかえってバカになった、ちゅうことは認めざるを得ない状況になったんだよ。
泉下のアダム・スミスフリードマンよ、心あらば教えてくれ。
ソボクな自由主義的発想が、今の日本ではつまりは通用しないのでしょうか。(もっともこういう古典では自然やら土地の有限性やらが序論で前提になっているらしいのだが・・・)


ま、そういう敗北感を受け入れなきゃいかんという寂しさよ。
そして「電力が足りない」という前提を見た時・・・結論がパチンコ制限になるかどうかはともかく、電力を使うあらゆる活動が、極端にいえば有用性・・・「真・善・美」の基準で裁かれてしまう可能性がある、っていうことだ。

たとえばパチンコに限らず・・・あっ!!この前その一番いい実例があった!!
togetterで話題になったんだっけ。

■Togetter - 「深夜アニメを放映する事に異義申し立て」
http://togetter.com/li/127208

深夜にアニメ番組をやっているが理解できない。しかもNHKまで。アニメ=子供向けなのでなんで深夜なんだ?それと漫画の重要度は低い。深夜にわざわざ放送する意味が分からん。いったい誰が見るんだ?どうせろくでもないお宅だろう。そんなもののために─電力のムダ。パチンコや自販機なみ。
tuigeki

■Togetter - 「「深夜アニメに異義申し立て」制作関係者の反応」
http://togetter.com/li/127564

「電力不足を解決するための純粋な政策論」というより「発言者の主観的な好き嫌い」じゃないかという雰囲気がある点では都知事どのと性質はあんまり変わらんのだが(笑)、ただ敢えていうと、これも乱暴な部分は部分として、ひとつの政策論とみなして検討する・・・そういう手続きをされる資格はあると思う。

電気の総需要を抑制するっつー話が本当に大前提ならば「万人の万人に対する闘争」とか、いわゆる「モヒカン刈りにしてヒャッハー」じゃないけど(笑)、もーあちこちで刺し合いをしちゃっていいんじゃないかと思う。
「深夜アニメは電力の無駄だよ!」
「午前10時半からの時代劇再放送こそ電力の無駄だよ!」
「午後2時からの韓流ドラマが無駄だ!」
総合格闘技の生中継が無駄だ!」「もうやってません」
などなど。
新聞は1日おきに発行しろ、週刊雑誌も隔週で出せば十分、ブログなんてのが電力の無駄だからピーク時はサーバーを落として404 not found でいい。特に格闘技ブログは中止(笑)・・・・
さらには、都知事のよく出る「東京MXテレビ」の運命やいかに(笑)
 
もう一つあった「自動販売機は電力の無駄」論つうのも、これはこれでコンビニで需要を足せるのか、なんとかかんとか賛否両論はあるが、電力不足を前提としての政策論としては否応無く、検討しなければならないことも間違いはないと思うです。
言うまでもなく上のような話は、「経済」の面からは見るとおそらくどれもこれもマイナスです。
ずっと昔、広告代理店が内輪のスローガンとして
「もっと無駄遣いさせろ」「捨てさせろ」「流行おくれにさせろ」・・・という標語をつくり、世間から非難を受けたことがあったが「経済発展」に置き換えるならぶっちゃけこれは正しい政策だったりするわな。

http://gothedistance.tumblr.com/post/211055003/1-2-3-4-5
電通十訓「1.もっと使わせろ 2.捨てさせろ 3.無駄使いさせろ 4.季節を忘れさせろ 5.贈り物をさせろ 6.組み合わせで買わせろ 7.きっかけを投じろ 8.流行遅れにさせろ 9.気安く買わせろ 10.混乱をつくり出せ」

しかし、経済にはマイナスだろうと何だろうと夏は目の前に迫り、何らかの形で「真、善、美」に沿って、電力消費抑制のために何かを押さえつけられる。その時期が迫っている・・・
最初のリンク先にあるんだが、テリー伊藤石原慎太郎のこの「パチンコ・自販機やめちまえ」という発言を評し

「敵を作るっていう才能を持っていますよね」

と語った。
今、このエントリを書いたことで、自分もそういう感想を持った。
電力不足で、従来行われていた何かの活動を強制的に止めさせる・・・という流れになるとき、「パチンコ」と「自動販売機」をまずピックアップし、そして普通の政治家・行政官(プラス常識人)なら「ぜひともご協力をお願いしたい」と下手に出るだろうところを、あっちを悪玉にするような勢いで「やめっちまえ!!」と放言する。

これは政治家の権力闘争(相手が敵なのかはともかく)、もしくは人気取りとしては、確かに考えてみるとかなり効果的なものであるのかもしれない。
しかも「協力要請」だったらこちらが業界に渡すべき「見返り」も出て来ようが、「やめっちまえ!」なる恫喝と前後して
パチンコ・自販機業界から
「既に節電をしていますが、さらなる自主的な節電に取り組む」
というアピールが出てきた。
原発言が仮に無くても、同じ節電の取り組みをしたと信じたいが、
石原支持者や陣営が
都知事が強い言葉でこの問題に焦点を当てたからこそ、こういう節電対策を業界から引き出せた」
との立場で”成果”とアピールしても多くの人は納得するのではないか。自分も「実際にそうではない」という証明はできない。そういう点では既に意石原都知事のかの発言は、政治的には得点を叩きだしている、といえると思う。
ちょっと世論調査をしてみて、石原都知事の「パチンコ・自販機」発言を支持しますか?というのを科学的に調査してほしいけれども。

あ、パチンコと言えば

でももともと、ちょっと有利なハンデがあるよね。
お前らパチンコが人気っつっても、そりゃ勝てばカネや景品が手に入るギャンブルだからだろーよ!玉が沢山出るだけで満足する、エンターテインメントとして純粋に勝負しろ!
とゲーム業界は言っていいかも。
競馬や競輪もなあ。佐伯繁が「格闘技もギャンブル合法化すれば、いっぺんで人気回復だよ!」と言ってたっけ。純粋に馬のどれが速いかを見て楽しむエンターテイメントは成立するか。しそうな気も十分するが。
ただのゲームでもお金を賭けるとなんでああもハーバード教室並みに白熱するんだろう・・・という話を、今後医学かなんかの話題も含めて語りたい。
これ、予告篇。


今回の原発事故に端を発する「電力不足騒動」が、なんとも憂鬱なのは、・・・俺的まとめ。

・「今まで花開いていた『クールジャパン』をはじめとする文化は、古今亭志ん生が落語家を評したように『なくっても無くってもいいもの』だった」
 
・「無駄であってもそれは楽しく、魅力的で、経済活動にも貢献していた。この点については間違いない。無駄であろうと有用であろうと、本来優劣は無い。通常ならば!」
 
・「しかしその”無駄”は、それをまかなえる電力が常に供給されている、という、日本の一時期の特殊な環境を前提にしていたものだった」


というものだ。「だから原発事故の責任は国民全員で負うべきものだ」というのは、東電弁護の議論となるとまた違ってくるが、上のようなまとめの意味では受け入れざるを得なくも無いな、ということ。
石原のパチンコ・自販機叩き発言も、その鬼っ子にすぎぬ。

日本が今後「安全な原発」を目指すのか「自然エネルギー」でまかなえるのか、総電力規模の縮小と自然エネルギー推進のセットになるのか、それはわからない。
だが、その将来はともかく、暑い夏は間近に迫っている・・・。

ひとつの新(古典?)自由主義的解決策

「電力料金をどんどん値上げしなさい。高ければ、必要な人は買う。必要ではない人は買わない。かくして、需給が神の見えざる手によって調節される」
「いや、さすがに電気はそれ無理」

エピローグ

司馬遼太郎「ニューヨーク散歩」より。くしくも発電所の話題だ。

・・・「ヘンリー・アダムスの教育」という本があった。そこに、アメリカ文明について「初期キリスト教徒が十字架に対して感じたのと同じような精神的な力を40フィートの発電機に感じはじめた」という表現がある。
マーガレット・バーク・ホワイトはこれを写真で表現した。ナイアガラ瀑布の発電機を撮ってユージン・オニールの舞台装置を飾り、評判になった。1928年のことである。
彼女は鉄が太陽のようなあかるさで溶ける製鉄所も撮った。火花に負けないように12発の照明弾を使ったというのが、ミソであった。
照明弾は・・・どの国でも・・・民間にごろごろしているようなしろものではない。
が、アメリカはケタのちがった国で、そんなものまでセールスマンが売っていた。ハリウッド映画の撮影用にどうかということであったらしい。
ともかくも、この時期のアメリカは、多様にモノがあった。だからこそ多様に”思いつき”が生まれ、科学や技術を躍進させた。

街道をゆく 39 ニューヨーク散歩 (朝日文庫)

街道をゆく 39 ニューヨーク散歩 (朝日文庫)

電気なき国が、それでも「思いつき」を元に、進歩と躍進を担えるか。そういう点でも正念場だ。