http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/100828/mrt1008282051004-n1.htm
新聞が「柔道日本 敗れたり」の大見出しとともに、国民の衝撃を伝えたのは1964年10月24日の朝だった。その前日、東京五輪の柔道無差別級決勝で、ヘーシンクが同年の全日本王者の神永昭夫を破った1戦は、「柔道」が「JUDO」に屈したエポックメーキングな事件といえた。
当時のヘーシンクは198センチ、120キロ。剛をもって“お家芸”を制した壮漢に日本人は畏怖を抱き、後に72年ミュンヘン五輪無差別級を制したルスカ(オランダ)にも、その残像を重ねることになる。
だが、素顔は「柔道」の破壊者ではなく、“和”に心酔した柔道家ではなかったか。神永との激闘を制した直後、驚喜したオランダの関係者が畳に上がろうとするのを手で制し、粛々と勝ち名乗りを受けたシーンは語りぐさ。「心技体に柔道を追求した人」と全日本柔道連盟の上村春樹会長は感慨を漏らす。
同時に、自分は偶然にもこの前再度紹介した「1976年のアントニオ猪木」で一章を割かれたウィリアム・ルスカやクリス・ドールマンとの確執も思い出す。
■"柔道伝承"石井vs吉田!だがその前に"早すぎた赤鬼"を知れ(ルスカ伝、柳澤健)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090915#p2
ヘーシンクは練習で腕折りを仕掛け、その後遺症でドールマンの肘は今もまっすぐ伸びないという。彼は「あいつはただのサディストだ」とまで。
そういう、いろんな面があるのだろう。
これもひとつの追悼としたい。
- 作者: 柳澤健
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/03/10
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 88回
- この商品を含むブログ (70件) を見る