INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

太陽節記念エントリ。日本国内の一部施設に飾られている金日成や金正日の「肖像画」は、ヘイトスピーチ規制や「闘う民主主義」の概念で規制できるか、どうか。

15日は太陽節です。朝日のようにキラキラ。夕日のようにギラギラ。
イーグル、シャーク、パンサー。
あ、知らない?
http://www.chosunonline.com/news/20100414000007

中国車200台北朝鮮へ、中堅幹部懐柔用か

 北朝鮮で最大の祝日と位置付けられる故・金日成(キム・イルソン)主席の誕生日(4月15日、太陽節)を目前に控えた13日、金正日キム・ジョンイル)総書記が幹部懐柔用として準備したとみられる中国製乗用車約100台が、中朝国境の遼寧省丹東市から北朝鮮に輸出されたことが確認された。

 消息筋によると、13日午前9時ごろ、丹東市の中朝国境に架かる中朝友誼(ゆうぎ)橋を通じ、同じ種類の乗用車約30台が北朝鮮側の新義州市に……

まあ、誕生日なんてのは待ってりゃ生者のも死者のも勝手に来るもんだ。どんな平凡人であろうと、「偉大な首領金日成同志の革命思想、主体思想の旗印の下で開拓され、前進してきた我々の革命は今日、新たな高い段階に深化している。波瀾万丈の20世紀を勝利と栄光で輝かせた主体思想は、21世紀の革命実践でも尽きることのない変革的役割を発揮している。 今日、我が人民と世界の革命的人民は永生不滅の主体思想を創始され、人民大衆の自主偉業遂行において不滅の業績を積み重ねられた偉大な首領金日成同志を、主体の太陽、革命の大聖人として高く称賛している。 現代と人類の輝かしい未来を代表する偉大な主体思想を万古絶世の偉人の尊名と結びつけて呼び、その業績を万代に永遠に輝かせようとすることは、我が軍隊と人民の終始変わらぬ志向であり、切実な希望である。 我が人民は今、主体の太陽民族のこの上なく大きな誇りを抱いて偉大な金日成同志の革命思想を高く掲げ、主体偉業を最後まで完成して行く、燃え上がる決意にみなぎっている。」
よな人にもだ。あんまり長いから、こぶがひっこんじゃったい。


ところで、今度誕生日がくる先代も、当代も、ちょっと全体主義体制じゃないですか。ただの独裁とか「非民主的」に収まらないような。
あとはまぁ、私はその中にそもそも含まれるというふうに基本的には考えるけど、特に日本から見れば拉致問題や帰国妻の問題をクローズアップしてもいい。いずれにせよあの親ばか子ばかが、全体主義の象徴のひとつである・・・ということにはまあ民族宗教思想甘党辛党をこえて、大方の賛同が得られると思う。
もちろん異論もあるだろうし「私にとってはヒロヒトこそ・・・」とか「カストロこそ」「オバマこそ」「朴正煕こそ」いろいろあろう。
統計をとっているわけではないので仮説と言うことでいい

で、世の中には・・・これも是非には賛否が分かれるところだが「ハーケンクロイツ」という紋章はそれ自体がヘイトスピーチであるとして規制されている国があるという。
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20100410/p1
によると、実際の兵器を模したプラモデルであっても、他の国や組織のマークであってもだそうだ。(もともとスワスチカはナチの完全な創作、専売特許ではないので同一の紋章は多数有る)

これは以前紹介したが、ほぼ同じ論法で「赤旗に鎌とハンマー」(旧ソ連国旗)を禁止した国も有る。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070123#p4
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090905#p4

そういうわけで、はてなでも時々「ヘイトスピーチ」とその規制に関する議論って、性表現、性暴力表現とも絡まって盛り上がるのだが、「金日成金正日肖像画」というのも、「掲げること自体がヘイトスピーチでは?」「闘う民主主義の観点から、規制を行うべきでは?」…という視点から仮に議論するとどうなるだろう。


そういう議論を仮定するなら、個人的には規制に反対する。
なるほどああいう肖像画は個人的には不愉快(というか滑稽)だし、美的にもよろしくない(笑)。だが、肖像画を飾ったからって直接的に人はそれで死んだりしないし、怪我もしないからだ。(※それで恐怖感を呼び覚まされて、精神的な圧迫を・・・まで広げるとまた別だが、そこまで考えとまた別物)。それに対しての社会的批判や抗議もあるだろうし、それを基に各種の「評価基準」を設けることも妨げないが(例えば映画「悪魔のはらわた」や「カランバ」が、「文科省選定作品に選ばれないのは不平等だ!」とは言うまい)「掲揚を禁止する法律」という形で権力が規制を行うべきではない、ということである。
だからあの「親ばか子ばか」がぶひぶひ言うとるような肖像画が4月15日、どこに掲げられていようが、それが先方の持ち物で先方の施設に掲げている限りはそりゃ「強制的に外させる」根拠はなし。
自分たちの好みと正反対のものを”法で規制しない”というのはそれぐらい重いもので。



・・・という話は、よく考えたら小林よしのりに先駆けて漫画で「論」を張った(まだ続いているっけ)ゆうきまさみtwitterhttp://twitter.com/masyuuki/)をざっと通読したら

http://twitter.com/masyuuki/status/12069865962

最近、朝イチで例の条例改正案まわりの記事を読むのが習慣になってるなぁ。今朝はちょっと前のだけどこれ。http://heboro.blog.so-net.ne.jp/2010-03-19 長いんだけど、これくらい言葉をつくさないと、なかなか通じないだろうし、つくしても通じるとは限らないところが辛い。

とあって、そこから考えが及んだ。性表現や政治的表現(シンボル)の規制というのは重なるところもずれるところもあるのだが、いったん重ね合わせた上で「こことここがずれているのか」と考えると逆に見えやすい部分もあるので、4月15日の季節ネタも合わせて、まずは重ねてみたと。
あ、「宗教冒涜表現」「差別表現」も重ねるとまたいろいろ考察できる。


<他の、主な関連するっぽいエントリ>
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061202#p9
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20071201#p7
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080403#p5
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20041015#p1