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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

コナン・ドイルとオスカー・ワイルドに関する新事実(翻訳ブログ)

http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/
ではここ最近、私が全然知らなかったり誤解していた話を「それは違う」と教えてくれる話が続き、大いに蒙をひらかせてくれているのだが、ついつい紹介するのを忘れていた。独占するのをやめてみなに広く紹介しよう。

ことに、この神話は今でも全国の図書館の児童向け(小学校高学年向け)コーナーにて日々再生産されていることは確実なので、一人の作家の名誉のためにネットの総力をあげてフォローしてあげなければいかん気がする。
それはオスカー・ワイルドについてだ。


小林司東山あかね氏は日本におけるシャーロック・ホームズ学の大家で、それも子供向け・・・正確に言うと子供向けの中で、あまりに大幅な子供向けの改変に飽き足らず「もう少し本格的なホームズの本は無いかいな」と思う本好きの小学校高学年ぐらいに向けた本を編集し、うしろに解説文をつけて、日々「ホームズ学」のプロパガンダにいそしんでいる人たちなのだ(※サンプル1名。俺。)。
子ども心に「ホームズって、これお話でしょ?本当のことじゃないでしょ?」と突っ込みつつも、「それをマジメに考察するのが大人の遊びなのだ」ということも何となく伝わり、19世紀イギリスの歴史や文化、ミステリの文化史などに興味関心を広げてくれた彼と彼女には大変な学恩がある。


で、以下の解説のことも鮮明に覚えており、既に数々の検証をへた定説だと思っていた。
以下は、同ブログからの小林・東山本の孫引き

 ドイルはワイルドからあまり良い印象を受けなかったらしい、オスカー・ワイルドを戯画化して《四つのサイン》にでてくるサディアス・ショルトーを描いた。
小林司東山あかねp.155)


小林・東山両氏の本、「ドイルはワイルドからあまり良い印象を受けなかったらしく、……」は、ドイル自伝を参考にした考察だったということである。2氏が引用したのは延原謙翻訳のコナン・ドイル自伝・。ドイルは自伝で、1889年にワイルドと会った時のことを書いているそうな。

 
「ワイルドは唯美主義のチャンピオンとしてすでに名をなしていた。彼は私たちよりも群を抜いているだけだったが、それでもこっちのいうことには面白がってみせる術を心得ていた。感じかたや如才なさにこまやかさがあったが、一人芝居の男は心から紳士ではあり得ない。この晩の結果はワイルドも私も『リピンコット』の誌に小説を書く約束ができたことだった。それで書いたの場、ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』と私の『四つの署名』とであった。
延原謙訳『わが思い出と冒険』新潮文庫、97ページ)


誤訳が基で、なんかいやな奴だったらしいと無数の少年ホームズファンに何十年も印象付けられた(というか現在も継続中)ワイルドって・・・いや俺、ドリアン・グレイの肖像すら読んでないけど、この小林の紹介した文章はちゃんと覚えていて、何かでオスカー・ワイルドの名前を目にすると、ほんとに「ああ、あのなんかイヤミだったらしい人ね。ショルトー弟のモデルの」と、最初はまず、記憶からその話が引っ張られてきます。

ところが!
延原謙訳が誤訳だから、「あまり良い印象を受けなかったらしく」という誤解が生じたのです」

フハッ!!(水木しげる調)
この原文は”He towered above us all, and yet had the art of seeming to be interested in all that we could say. He had the delicacy and feeling and tact, for the monologue man, however clever, can never be a gentleman at heart
で、翻訳ブログで訳しなおされた文章はコレだ。

彼は我々の上に高くそびえ立っていたが、我々の言うことに興味があるという顔をする術を心得ていた。まことに心遣いに富み如才のない男だった。一人でしゃべる男は、いかに頭がよくても、本物の紳士とは言えない。

つまり同ブログの結論はこう

延原謙訳では、ワイルドが「一人芝居の男」だったことになる。とんでもない間違いだ。
 コナン・ドイル(1859-1930)は1889年にオスカー・ワイルド(1854-1900)と初めて会った。そして「あのワイルドさんが僕の小説をほめてくれた!」と感激したのだ。まだ専業作家ではなかったドイルに対して、ワイルドはすでに名士だった。ところがワイルドは本物の紳士で、少しも偉そうにしない。ドイルの小説をあらかじめ読んできてくれた上に、ドイルの言うことを面白そうに聞いてくれた。さすがに有名になる人は違う、とドイルは感心したのだ

小林・東山氏とも英語に不自由は無い人なのだが、一回訳されると原文には当たらないのが人情だからなあ。
だから最初に訳した人間の影響力は強い。わたしも多くの誤解を格闘技ファンに広めているなあ( https://twitter.com/gryphonjapan )。ただ今回のことで反省するどころか「よし、30年か40年はばれないですみそうだ!」と安心したのだが(笑)。


延原謙
書店で一番入手しやすかったのは新潮文庫版で、だから自分もこの人の翻訳で少年向けではない、本格的なホームズは読んだ(無理しても大人向けを読みなさい、と子供向けを出している小林・東山氏らがなぜか啓蒙してたのでな)んだが「土竜」とか「いざり(なぜか変換できない)」とかの漢字が普通に出てきて、子ども心にカテエ訳に感じた。
今、わたしと同じ道をたどっている子がいたら、「挿絵もあるし訳も良質なのでハヤカワ文庫にしなさい」とアドバイスするのだが.
そしてその子に、「実はオスカー・ワイルドはいいやつなんだ友達なんだ」と伝えてあげたい。



しかし、本当に児童向け図書室の本って長く残るから、その影響力って厄介だぞ・・・・


その他の同ブログのトピックは、膨大なので後日に回します