http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/
のコメント欄から
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20091107_123223493915080.html
に行くと(註:筆者の松沢呉一氏のいる【※「創設した」が正しい。詳細はコメント欄】書店ではid:kensyouhanさんの本を販売している。検証本は新しいものがこの年末にも出るとか)、こういうくだりがあった。
・・・kensyouhanさんは、国会図書館に納本した方がいいと思う。法律で納本が義務づけられていることでもありますし。郵送すると受領書が送られてきて作業完了です。
他の図書館に寄贈しても捨てられかねませんが、国会図書館は保存してくれます。いずれはデジタル化されて、金を払えば、各図書館で読めるようになる模様です。
そういえばずっと前、国会図書館て本当にすべての本が集まっているのかな?というふうに思って調べてみたら「そうでもない」とわかってあちゃあと思ったことがある。私は「シュトヘル」や「ファウンデーション」じゃないけど「すべての文化を後世に伝える」という話にロマンを感じてもいるので、いわゆる自費出版、コミケットなどの即売の本でも献本の形で国会図書館に残せる(つうか本来残さなければならない)という話はもっと知られていいと思う。今年のコミケとかに国会図書館の職員が行って、チラシを配ってPRするべきかも。
(というか、本を作ってる人はみんな知ってるのかな?)
なんどでも繰り返し引用するぜい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/622_14497.html
書洩(かきも)らしは? と歴史家が聞く。
書洩らし? 冗談ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。
若い歴史家は情なさそうな顔をして、指し示された瓦を見た。
文字の精霊共の恐しい力を、イシュディ・ナブよ、君はまだ知らぬとみえるな。文字の精共が、一度ある事柄を捉えて、これを己の姿で現すとなると、その事柄はもはや、不滅の生命を得るのじゃ。反対に、文字の精の力ある手に触れなかったものは、いかなるものも、その存在を失わねばならぬ。
ところで、もう本を作る際の電子データを国会図書館で保存してもらったほうがいいんじゃないか?
上のリンク先にもあるけど、「いずれ国会図書館は、本をデジタル化して残す」というなら、今ってほんの99.99999%ぐらいはその前の段階でデジタルのデータだよね?お上はこれを強制的にすべての版元から召し上げ、厳重に管理しておけば、文字情報としての書籍はもっと低コスト、省スペースで後世に残せるんと違うだろうか?
今、30秒で考えた思いつきだが、うん、いいアイデアだと思う。どうよこれ?
ひゃくおくまんえんぐあいあれば実現しそうだし、多少は報酬を版元や作者に払い、本が流通している間は厳重に管理しておけばいい。
景気対策で補正予算を組んで欲しいものである。
kamiproとかゴン格の10年分の版下電子データとか、ほしいものなあ。
まあそれ以前に、倍倍ゲームで増えていくブログの中の知識、文化をどう残していくかがいまや問われているのだが。
たとえばこんな事態が既に発生しているのであるよ
■「OMASUKI FIGHTの前身ブログの文章、ドリコム消滅と共に永久に消える?」
http://omasuki.blog122.fc2.com/blog-entry-660.html
当ブログは2003年9月にスタートした。2007年12月からはこの場所で OMASUKI FIGHT として継続しているが、それ以前は「おまえらの好きにはさせねえ」という名称で、ドリコムというブログ会社の軒先でやっていた。そのドリコムがブログ事業を辞めるみたいだ。来年3月末に終了するらしい。
「おまえらの好きにはさせねえ」はドリコムに放置したまま今日に至っているが、さすがに未熟な文章が多くて今読むと恥ずかしい。そろそろ閉鎖しないとな、とは思っていたので、ちょうどいい。ドリコム終了の流れに身を任せて、ネットの藻屑として音もなく処理しようと思う。
それらは、消える前にわれわれがリャクダツするからいいとしても、ドリコム全体に貴重な文化遺産となるべきテキストはあるだろうに。どうなってしまうのだろう。銀行が破綻したら保険機構があるように、ブログ運営会社も、どこかに最後は引き継げるような仕組みはないかね。はてなの運営会社だって10年つづくか、20年つづくかは正直分からないわけだし。
関連過去エントリ
■ウィキペディアン!! ----歴史と知識を、世界に永久に残すために。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090926/p6