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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

シャーロック・ホームズが映画化&コナン・ドイル、19世紀の「エンターテインメント宣言」。

pon-taro 2009/09/28 00:52 さっきテレ東見てたら、ちょっと変わったホームズ映画が公開されるという話でした。以下Wikipediaより。
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シャーロック・ホームズ』(Sherlock Holmes)は、アメリカ合衆国のミステリー映画。2009年12月25日に北米で公開され、2010年4月3日に日本で公開される予定。監督はガイ・リッチー
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んで、この映画の予告編に、「ガラの悪い場所(例:東京ドーム地下闘技場)で、上半身裸の素手で戦うホームズ」ってカットがあったんですよ。たぶんバリツだと思うんですよね。
見た感じだと、いわゆる「カンフー」っぽかったですけど。


カンフーっぽく、上半身裸で闘っていたとしたら、主にボクシングでの攻防をしていたのでは無いだろうか。ボクシングとレスリングの融合という、ドン・フライ的戦法の魁だということは以前述べたっけ。


ホームズとボクシングについては、ここから始まるシリーズのエントリに詳しい。
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/1-6a46.html
ココログ」の検索性がやや低いのが残念。

しかしまぁ、どんな映画になるのやら(笑)



さて、実はちょっと思うところあってドイルの「勇将ジェラール」シリーズを再読している。
まったくこれほど面白く、著作権保護期間も終わっているいのに訳も一種しかなく、版元も一社しかなく、漫画も含め映像化もされていないとは。私に画才があれば漫画化したいよ。
ま、それはおいといてですな。
作者コナン・ドイルのが。この作品を書いたときの「序文」が、シリーズの末尾に付記されている。
その内容が、今読んでも非常にうれしいことが書いてあるので、作品と同様あまり知られていないと思い引用させてもらう。
(古めかしい表記はちょっとだけ変えた。独断で)

・・・小説の技法に関する私自身の考えについて、心臓を強くして少々述べてみたい。

わたしの考えだが、小説の手法というのは、「"興味を湧かす"という本質的な目的を達成さえできていれば、天や地と同様に、限りなく広い」といって差し支えない。すべての方式やジャンルは、ロマン派と写実主義象徴主義自然主義を問わず、目指す目的はただ一つ−−−「興味を湧かせる」ことだ。この目的を達成する限り、いずれも正しく、この目標が実現できない場合は、無用なものとなる。


疲れた勤労者、さらに退屈で暇をもてあます人々は、作家に向かい「自分たちの心を、この現実の自分から、そして日常生活のマンネリからどこかへ連れていってほしい」と要求する。
モラルの範囲にとどまる限り、どの方式でも、この効果をあげられるものは正当である。
どのジャンルでも、この目的を果たしたと正当に主張できるジャンルは正しく、逆に「自派と反対の、あのジャンルは・・・の点で失格だ!」と言って、その主張がいかに正しいかと主張することに懸命な、そういうジャンルは間違いなのである。


作品の内容は冒険ものでもいっこう差し支えない。
作品の舞台を聖書にしても差し支えない。
教育的なもの、論争的なもの、牧歌的なもの、ユーモアもの、くそ真面目なもの−−その他どんな種類のものにしても差し支えないが、ただしその作品を、興味の湧くものにしなければいけない。
このことが肝要なことであり−−−そしてその他のもろもろはすべて瑣末なことだ。
  (略)
だがこれには当然反論が出る。「『興味を湧かす』とおっしゃいますが−−、誰の興味を湧かすのですか?」と。
この反論は実際は大した話では無い。より高級な、そして永続的な作品となると、万人の興味を常にひいてきたからだ。ある一つのジャンルの支持者から賞賛の的になり、でも凝り過ぎて一般向きでないというのは、それはどこかに欠陥があるのだ。


たしかに文体が難解で、真に偉大な作家なのに世に認められるのが遅かった例はある。−−しかし、難解な文体は長所ではない。彼らは文体が難解だった「にも関わらず」偉大な作家だったのだ。
  (略)
傑作小説のリストを作れば、そのリストに狭い法則を当てはめるのは無理だと分かるだろう。
トム・ジョーンズ」「ドン・キホーテ」「ガリバー旅行記」「ボヴァリー夫人」「エズモンド」「自負と偏見」「ノートルダム」・・・このどれを「非芸術的」といって取り除く?

そして、これらの作品の唯一の共通点は「読者の注意をひきつけ、離さない」ということだけだ。
(略)
そして批評家はそれでもなお、書き続ける。
「なるほど、その本は興味を湧かせてはくれる。だが何の有用な役に立つのかね?」
まるで興味を湧かすということが、本質的な目的ではないという口ぶりじゃないか!!


不眠症で苦しむ眠れない人に、
病床の人を見守る看護者に、
退屈で固定化した日常性から脱出できるかに、精神の安定がかかっているビジネスマンや学生に、
きりの無い、むさくるしい実生活からの唯一の脱出口が「想像力」である女性に−−−。

以上の人たちに「興味を湧かせる」ということは有用であるかないか、尋ねていただきたい。


小説家の人生にも、それ特有の悩みはある。
イデアの湧き出るのをいらいらしながら待ち、
そのアイデアをせっかく使ったのに、空虚な反響しかかえってこないこともある。
さらに最悪の場合は、書いている途中で最初は「すごいぞ!」と感じてたものがダメダメであると分かることだってある。そのときの落胆といったら・・・


しかし作家は、読者の興味を湧かせることができさえすれば、それだけで「世の中の人々は、自分が生まれたことで少しでも幸せになっているかも」という、人間みんなが持っている望みを果たせている・・・そういう希望を持てるのだ。


まあ、いかにも19世紀ヴィクトリア紳士らしく「モラルに反しない限り」と付いてたり、本人も批評家からの名声が欲しくて?歴史小説に重点を置こうとしたりしてたんだけど(笑)それでも、ほぼ一言一句、いまの世の中に出してもおかしくない、宣言となっているではないか。


この宣言を、すべてのエンターテインメントの作り主たちに。
モラル云々はともかく、id:NaokiTakahashiさんなども共感するのではないかな。
格闘技興行なども、もちろん含まれるだろう。


元文章。写しているうちにかなりリズムや語感を重視して改変したので、そこは多めに見てね。何しろ初版は1972年だ。たぶんグーテンベルグプロジェクトにも原文はあると思われる。

勇将ジェラールの冒険 (創元推理文庫 F ト 1-2)

勇将ジェラールの冒険 (創元推理文庫 F ト 1-2)