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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「「GIANT KILLING」はサッカーを知らない者が読んでも、こんな風に面白い。

【書評十番勝負】※書いたのは11日です。夜に完了したため、こちらに移動しました


朝(※11日)のCMとワイドショーで見たんだけど、今日サッカー・ワールドカップの予選があるんだそうです。
なんかずっと「絶対に負けられない戦い」をしていたのは知っているけど、今回も絶対に負けられないんだそうだ。
特に相手は豪州であるそうで、サッカーに政治を持ち込むつもりもないが、南氷洋に続く連戦であるとは言えそうだ(いえないって)。

そういうわけで、週刊モーニングに連載中の「ジャイアントキリング」の話をしましょう。

GIANT KILLING(1) (モーニング KC)

GIANT KILLING(1) (モーニング KC)

GIANT KILLING(2) (モーニング KC)

GIANT KILLING(2) (モーニング KC)

2回ほど「この作品は面白い」とは書いたけど、どういうふうに面白いのかは踏み込んで書かなかったからね。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081017#p5

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081206#p4

まずはあらすじから。

【ストーリー】

Jリーグで、長年下位に甘んじ続けている弱小チーム「イースト・トーキョー・ユナイテッド(ETU)」のフロントは、低迷打破のためにある男に白羽の矢を立てた。
その男は英国のアマチュアクラブチーム監督を務めているが、れっきとした日本人。しかもかつてETUの大黒柱だった男、達海猛だった。

達海は、英国の大きな大会「FAカップ」で、自らのアマチームを上位に導く。
ETUのフロントを前に達海は「弱いチームが強いチームをやっつける、これが一番面白いんだ」と不敵に言い放ち、ETU監督就任を承諾したが、チームの指揮をとってからがまた大変。
マイペースで飄々としたもの言いでマスコミや周囲を困惑させ、広報担当の胃を痛くさせるのはいいとしても、肝心のチーム作りでは


練習時間のゲーム大会の結果で、その日の出場選手を決めるわ
長年チームの中心だった選手をキャプテンから外すわ、
いきなり「練習は自習ーーー」と言い出すわ。
おまけに当初は連敗し、ベテラン選手やサポーター、フロントの一部も監督不信を募らせる。


しかし、そんな中で若手の椿大介らが、達海による抜擢に戸惑いながら自らの壁を破り始める。
そしてまた、監督に反発するベテラン選手たちも、その反発や敗戦までが、なぜか知らないうちにある方向性を持ちチームの輪郭を形づくっていることに気付き始める。
これは達海の遠謀と緻密な戦略なのか?本能と直感なのか?…それとも運や偶然か?


日本代表監督ブランや、ライバルチームの監督たちがその本質を見極めようと目を凝らす中、「フットボールの神様にデカい貸しがある」と謎の言葉をうそぶく達海猛とETUの「ジャイアント・キリング」が始まる…。

一種の「老師」もの

前回、覚書のようにちらっと書いたけど、とにかくサッカーのことについてはオフサイドの定義すら曖昧なままの小生が、なんでこの作品を楽しめるのか…それは実は、これが一種の「老師もの」だからだ。
つっても「老師もの」なんて定義、ジャンルが俺の造語なんでね(笑)、これから説明します。
非常に分かりやすい対比になるのが、昨年ドラマ化されて再評価された森田まさのり「ROOKIES」だ。
もちろんスポーツチームの指導者が主人公という共通点はあっても、シチュエーションも描くテーマも読者層もまるで違う。けれども、森田氏の描いた監督像は非常に良く出来ているため、一つの典型として扱いやすい。
つまり、「自分も悩み、もがき、試行錯誤し、選手たちと喜びや悲しみを分かち合いながら一歩ずつ一緒に歩いていく指導者」像である。ルーキーズは教師ドラマでもあるが、若い教師、そして校長や教頭が悪役というのも黄金パターンですね。


ところがもう一つ、監督(指導者)を書く手法がありまして、それはその人物の内面をひとつのブラックボックスにして、周辺のリアクションのほうを主に描く。つまり


「この人、すごいらしいけど何が凄いんだろう?→あ、これが彼の真意なのか!」
あるいは
「(すごい結果が出て)あの人、こうなることを見越していたのかなあ・・・不思議だなあ」


というようなパターンです。謎解きミステリーの一変形というか。

こういうことで挙げる「元祖」「先例」は、あくまで自分の知っている中で、という話になるのだが、そうなるとこの人のことが思い浮かぶ。

…団子みたいにまんまるな童顔には、澄んだ目がぱちくりしている。小柄なからだに大きな黒い帽子と蝙蝠傘といういでたち。どこから見ても質朴で能のない貧相な坊さんにすぎない。しかし、ひとたび神父のおもむくところ快刀乱麻をたつように難事件が解決する!

そう、ブラウン神父です。

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

漫画だったら、脇役ではパトレイバー後藤隊長とか、ごーろごろしているけど、こういうタイプの人間が主人公を張ってなかなか人気だったということなら、これはどうだろうか。

家栽の人 (1) (小学館文庫)

家栽の人 (1) (小学館文庫)


そしてさらにさかのぼっていくと、おそらく仏教の教育…とくに禅寺の修行などでの高僧の逸話などが、剣禅一如の中で講談のほうに入っていき、立川少年文庫などを通じ、梶原一騎的な物語作りの中にも生き延び、空手・拳法のオリエンタル・ストーリーとしても使われるようになったと。


だから「へんなことばっかりやらされる。これで本当に強くなるの?→ハッ、そうか!これはXXXという意味があったんだ」というタッツミーこと達海の指導(チーム作り)と、「ベスト・キッド」で雑巾ふきをやらせるパット・モリタの老師は同じ根っこ、もしくは到着点が一緒なんじゃないかと思うのです。亀仙人の修行なんてのも、それをギャグ風にしたといえる。

指揮官が「責任」を負う時

野球の監督は極端にいえば一打席、一級ごとに打者投手、ともにアドバイスや命令が可能で、サッカーのほうは休憩時間にごじゃごじゃっと指示することと、選手交代のタイミングを見計らうことしか試合中はできないとよく言われる。
だからこそチーム作り、チームカラーの構築、そして人事の妙が必要になってくる(のだ、そうだ)。


その中で特に印象を残すのは、上にも書いたがストーリーの序盤で出てくる、弱小ETUを支え続けたチームの中心的存在・村越と達海監督の関係だ。達海が現役のETU選手時代のことも知っている村越は、そもそもETUをやめた達海を「チームを捨てていった男」としか見ていない。そして就任した達海は最初、村越からキャプテンの地位を取り上げる。
それは本人のみならず、彼を慕う「村越派」の選手と監督の間に葛藤を生むかに見えたが…

達海は「弱小チームを見捨てず、一人でまとめてきた」との自負を持つ村越に、こう言い放つ。
「だからキャプテン外すんだよ」
「チームの事情 チームのバランス 戦術・・・そんなもんまで お前が背負い込む必要はねえ」
「お前はただ、いい監督に恵まれなかっただけだ」
そして、今まで村越が背負っていた、もろもろの責任と義務を、自分が背負うと宣言するのである!


達海はそして、プレシーズンマッチで前シーズン王者「東京ヴィクトリーズ」と引き分けに持ち込む同点弾を放った村越を再びキャプテンとするのだが、
「芝の上じゃ絶対服従」「俺の考えを完全に理解し、選手に徹底させろ」
というような、キャプテンとしての条件に加え、
「その上で、選手として足掻き続けろ」「前だけ、向いてろ」
という、選手としての条件をつける。

あ、あとひとつこういう条件もあった(笑)。

ここには日本的な、というべきだろうか、親分子分、男と男のウェットで暑苦しい関係ではなく「プロフェッショナルとしての上司(という任務)」「プロフェッショナルとしての部下(という任務)」が描写されていて面白い。

チームメートの個性。そして個性を超えて

だれが集めたわけじゃない、赤い熱い血呼び合って・・・11人が集まるのがサッカーチーム。
正直11人プラス控えがいると、マンガのキャラクターとしても覚えづらい(笑)のだか、その中でもやっぱりいろんな個性がいます。村越を尊敬し、監督に猛反発する熱血スキンヘッドの黒田。それよりさらに熱血…というかいようにテンションが高すぎ、皆にひかれるフォワード・夏木。芸術的なセンスを持つが、ナルシストで気まぐれ、時折やる気のなさそうな王子ことルイジ吉田。


そして、超弱気だけどそんな自分を変えたいと願う、秘めたがむしゃらさのある前述の椿大介。
この連中と達海の個性が火花を散らす・・・かのように見えて、上に書いたようにその火花を監督は手のひらにのっけて、それを大きな炎に変えようとしている部分がある。
この作品は「やっぱり監督が一枚上手?」「監督はすべてお見通しかあ」というような演出を、嫌味なく書いていて、しかもなお、それでも選手たちのピッチの上の活躍は、時としてタッツミーの深謀遠慮をすら超えてしまう。ここが、大きな魅力になっているように思える。もともと最近のエンターテインメント、こういうチームものになると一人一人がゴレンジャーの色のように、ちょっと原色というかとってつけたような「個性」が割り振られ、またそれになーんの変化もないって風潮が強い。

「だからこそ面白い」作品があることは大いに認めるものの、その中で個性がゆらぎ、成長していくということもやっぱり必要だと思いますよ。そういうふうに、この物語を読むと強く感じます。それぞれが個性は保ちつつ、着実に達海マジックもあって変わっていく。そのダイナミックさよ。


特に椿という選手は、基本的に素直で正直で弱気で「犬っころみたい」と作中でも評されている子なので、達海監督流の謎かけにはいつも全力で目いっぱい振り回される。ところがその振り回される遠心力でイキオイがついてしまうタイプだ。物語は中盤に入っているようだが、この椿の成長物語が、今後の「ジャイアントキリング」を引っ張っていくことはまあ間違いなさそうだ。

戦略、戦術。

とりあえずもっともらしい。これ重要。

いいスポーツ漫画はほぼ例外なく作中に「謎解き」を内包しているが、達海流チーム作りのほうの謎意外でも、「なぜ前半はこう攻めるのか?」「相手はそれを受けてどう動いたのか?」「その狙いと誤算は?」が、サッカーというのは実際のスポーツとしても、リアルタイムで見ている場合は分からない部分が多い(と思う)。また、選手もすべて混戦となれば、いわば「局地戦」を闘っている状況に近くなるわけで、戦略は監督のうちにある。
「内心を描写できる」「視点を切り替えやすい」漫画は、この「サッカー戦略」を読み解くツールとしても非常に適切なのかもしれない。


そうなるとやっぱり、「サッカーを知らないより、知っていたほうがこの作品を楽しめる」という結論になります(笑)。なんだ論旨がぜんぶ崩壊かよ。


といったところで、今夜の試合を日本代表のみなさん、がんばってください。あっテレビをつけたら、ちょうど始まるところだ。
(11日午後7時20分、記す)

【参考】本屋のほんね
http://d.hatena.ne.jp/chakichaki/20090201