http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20080715
来年3月に公開される映画ドラえもんが、「コロコロコミック」8月号で正式発表されました。
『新・のび太の宇宙開拓史』
監督:腰繁男 脚本:真保裕一■公式サイト
今年3月に劇場で『のび太と緑の巨人伝』を観たさい、上映の最後に来年の映画をほのめかす映像があって、そこにチャミーらしきキャラクターがいたことから、来年は『のび太の宇宙開拓史』のリメイクであると予測できていました。
『宇宙開拓史』は、歴代の大長編ドラえもんのなかで・・・・・・
私は当然、全部の映画を見ているわけでは無いから後期の作品とは比較不能だが、長編二作目だった「のび太の宇宙開拓史」が他の作品とは一線を画したスペシャルなものであるという感覚がある。
「宇宙のある星を開拓して移民する」という設定が当時子供だった自分には新鮮な驚きだった。赤い月、青い月の二つが昇るというだけで何となくセンス・オブ・ワンダーを感じたし、ワープの失敗、故障が偶然地球の、のび太の部屋とつながってしまうというのも、いかにも「長編ドラえもん」らしい大冒険を感じさせた。
また、それがきっかけで生まれた星間交流だから、その故障が終われば永遠の別れが来るわけで、その「一期一会」性がやはり普通のドラえもんとは違う感じがしたのである。
映画ドラえもんでもなかなか一期一会的な設定はつくれない(あまり作っても安売りになるだろう)ので、そういう点で秀逸だったのだろう。
最近のエントリでは「SFだから一般には受けないだろう」ということをしょっちゅうやっているが、今「宇宙開拓史」を思い出すとそんなことはない、ちゃんと切り口を工夫し、作者自身も楽しめば、子供たちに「SFとは何ぞや」を洗脳できるのだということを教えてくれるのではないだろうか。
西部劇と決闘
ところで、子どもの頃僕は漫画が映画やTVになるとき、「アレンジ」というものがされるということにまったく気づかなかったので、原作を読んで映画館に行ったら、相手の用心棒とのび太が決闘するシーンが無くなっていてがっかりしたことがある。
この作品を支えているのは、「まんが道」で描写されているように、昭和30年代、時には藤子コンビが二人で、時にはトキワ荘の「新漫画党」集団で、そして時には編集者をまいてトンズラした手塚治虫のおごりで(笑)見まくった全盛期の西部劇にあることは論をまたない。
まんが道で、…何の作品だったかな、決闘の際に悪役が一瞬ニヤリ、と笑ってからずでんと倒れるという新しい演出がある西部劇を見て、映画館を出た手塚がそれを目ざとく指摘し、その観察眼と旺盛な吸収欲に藤子コンビが驚愕するというエピソードがある。
それをおそらく自分流にアレンジした部分もあるのだから、今回はぜひ原作どおりにしてほしいな。
「心をゆらして」
旧「宇宙開拓史」の挿入歌(EDは一作目に続き「ポケットの中に」だった)は「心をゆらして」。
たぶん、これをうたった「岩渕まこと」さんは多分この後、あまり売れなかったんじゃないかと思うのだが(笑)、この歌は畢生の名作です。作品内容にも合っている。
http://blogs.yahoo.co.jp/harukin1211/53934198.html