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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

地域社会を学校を軸に再編できるか?例の名物民間校長について(副題:オタク的情熱やつながりは教育現場に生かせるか?)

今、上のエントリの話題って散々既出かも?と心配になって、中島岳志のキーワードで前後を見てみた。
結局そうでもなかったのだが、それに関して
http://d.hatena.ne.jp/alphanet/20080624/1214319688
経由で

http://mainichi.jp/enta/art/news/20080623dde018070021000c.html
という記事を読んだ。
加藤紘一が、なんか新・リベラル保守の結集軸として「地域社会(共同体)の再生」ということをうたっているのだが

強いリベラル

強いリベラル

「具体的にはどうやって?」
「地域共同体が、みんな厭だから壊した部分もあるのに、(そのまま)復活させていいの?」
という疑問が常に付きまとっていた。
いつか機会があったら詳論したい。浅羽通明「昭和三十年代主義」おおやにき先生の「自由とは何か」も参考になる。

昭和三十年代主義―もう成長しない日本

昭和三十年代主義―もう成長しない日本

自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書)

自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書)

だが、この民間校長氏の考え方、というか具体策は非常に興味深く示唆に富むものだと思う。
非常に興味深すぎるので、申し訳無いがごっそり引用させてもらおう。

藤原 元々、家庭や地域社会での教育がうまくいっていないのなら、学校に子供たちを囲い込もうと考えたんです。最初はビジネスマン感覚で、先生が授業に集中できるよう、余計なことは外部に発注すべきだと思った。部活も、たとえばサッカーなら校外のクラブチームの方がいいだろうと。ところが、赴任して2カ月で、その考えが間違いだと分かりました。

 なぜなら、今の生徒の3割は、家庭で学習をフォローできない。1割は完全に家庭が破たんしている。3割の子は、サッカー部があるからこそサッカーができる。ビジネスマンは強いもの同士の世界だから、どうしても世の中のそういう面が見えていなかった。そこで、むしろ生徒をできるだけ長く学校にいさせるべきだと考えて、ドテラ(土曜寺子屋)を始めたんです。土曜の午前にその週に出た宿題を学校でやり、分からなければボランティアの大学生に聞く。午後は部活です。

 次に部活をしていない子の放課後。まず、図書室にカーペットを敷いて、漫画も入れました。7コマ授業の日もあるから、勉強の後は、横たわって漫画を読んだっていい。改装後は、PTAのOG、地域のおばちゃんたちが運営してくれています。本が好きで、中学生の女の子と語るのも楽しいからと。

 中学生って、反抗期だから自分の母親には「てめえ」とか「ばばあ」とか言うけれど、人の母親には絶対そう言わない。よそのおじちゃんやおばちゃんには、ある意味で心を割って話す。そういう、「ナナメの関係」ができるんです。

 次は夜や土曜に、もっと勉強をしたい子向けに英語を教え始めた。後の夜スペ(夜スペシャル)へつながるものです。これは中野区にある私塾の塾頭が来てくれた。この成果で、今の3年生は、昨年度末時点で英検3級以上が過半数。しかもその子たちが、ほかの子に英語を教え始めた。それで、以前は区で23校中16〜21位だった英語の平均点が、断トツ1位になった。夜スペは「上の子だけを持ち上げておかしい」と言われましたが、それは学校のダイナミズムを分かっていない人の批判。上の子が伸びれば、中下位層も引き上げられます。
校庭の緑の手入れも、地域に適した人たちがいた。マンションに住むガーデニング好きなお父さんたちです。狭いベランダしかなかった彼らが、10畳、20畳の広さを任せられると、喜んで芝を刈り、ブルーベリー園やハーブ園を作るんです。

 地域全部が同じ形で学校に協力するのではなく、それぞれが一番いい形で学校と結びついた。その総体が地域本部です。単に地域の世話好きに学校を任せた、ではないんです。

 中島 つまり、地域の新たな文脈作りをした。

 藤原 古い形の地域社会ではなく、新しく編集された地域社会が学校内にできました。

うーむ。
たとえばここで「げんしけん」を思い出してみよう。
あの若い方の女性ヒロイン、今名前がちょっと出てこないが、彼女は中学の時に「オタク友達」と一緒に同人誌を作っていた。
ま、あれやこれやのトラブルがあって彼女は結果的に心に大きな傷を負うのだが、それはこっちにおいといてえ(笑)、学校管理者側、治者たる教師の側から見ればだ、例えば「オタク友達」「オタクサークル」的な集団であっても(それこそ漫画以外のゲームでも、プロレス・格闘技マニアでもよろしい)、そういう形でクラスや学校内に仲間・友人の集団ができ、コミュニケーションが取れていたほうが、そういう趣味の子なんかが孤立するよりよっぽどいいんじゃないだろうか。それが例えば、ボーイズラブ愛好の集団であってもだ(笑)


そこで「げんしけん」のようなトラブルがなければ一生の友達も生まれようし、いいほうに行くと、「究極超人あ〜る」で理想化されたように、運動部顔負けの活発にしてお騒がせで、学校全体を引っ張り活性化させるような集団となるのかもしれない。これはまだ自分の中で煮詰まっていない議論なのだが、今人気の「涼宮ハルヒ」シリーズの一部は「あ〜る」の後継者だろうから(たぶんすでに指摘多数だろうな。というかハルヒを読まずに決め付けてしまってすまぬ)。


上でいう「ナナメの関係」でいうと、その漫画も含めて寝っころがって読めるようになった図書館の運営に、地域の主婦が参加。
「あなたねえ、『風と木の詩』も知らずにBLを語っちゃだめよ」
「何もいわず、『キャプつば』と『聖闘士星矢』を読みなさい!これは命令!!」
と、いう形で理想的な「ナナメの関係」が・・・・・・・・・・・・・・

だめじゃん(笑)


まあ、いくら宮崎勤事件のあった20年前から比べると市民権を得たとはいえ、「オタク」を教育界に公式に持ち込むのはちょっとまだ無理だろうね。どこかで飛躍、跳躍でも無い限り。
「ルーキーズ」みたいに新任の理想主義をもった若い教師が「君らの夢はなんだ?」と聞いて「同人誌をつくりたいです・・・」「鈍行列車で日本一周をしたいです・・・」。
こんなんテレビドラマにならん(笑)。いや、案外うまくいくかな?
鈍行列車日本一周なんてのには、それこそ「ナナメの関係」で、PTAの山田さん田中さん鈴木さんがそろって参加しかねない。
「私、隠しておりましたが、実は30年来の鉄男!」
これもだめじゃん(笑)



この校長先生、猪瀬直樹のメルマガ「日本国の研究」にも以前登場し、もっと詳しく語っています(記事の分量が違うからね)
その一部抜粋は
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070922#p5
で書いているんですが、たぶん今は猪瀬直樹公式サイトへいくと全文読めると思います。