http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080526#p3
をお読みになった皆様。
あの「フィクション」を、お楽しみいただけたでしょうか。
タイトルに書いてあるとおり、フィクションです。話が丸ごと。すべて。
【(A)フィクションだけど】
【(B)これ大丈夫かな?と外国人に「聖☆おにいさん」のことを尋ねたら大問題になりそうで困ったこと】について
(A)部分が(B)部分を修飾してるわけですね。
日本語微妙だ、ビミョーだ。
ちなみに登場人物のノーマン・キージェさんは「No man」と、かの架空人騒動を描いた傑作「キージェ中尉」の名前から。このへんで既にネタバレですな。
・・・だがまあ、これが何の意味も無いネタだってわけじゃもちろん無い。
フィクションと宗教と自由と冒涜と不自由と限界、いろんな問題はもちろん入っているわけで、そのへんのことを関連付けて、あとで論じたいと思っています。
あと、これはですね、一種の予言(預言?)でもあります。
作品の内容上、そういう問題が発生する可能性はやっぱりあるし、ついでにいうなら出版社のほうから風を読んで「こりゃまずいかも…」と自主規制する可能性も視野に入る(2巻がもうすぐ出るそうだが)。
そんな危惧と、だからこそ支持・愛読する側も理論武装や覚悟をしておく必要があるよ・・・という思いをこめた部分もある。