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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

格闘技雑誌から「命題」の誤用を追放せよ

上のキリンの引用に「命題」という言葉が出てくる。
引用部分では、かろうじて間違いではないのだが、おやおや75pの本文では

「キリンは本当に強いのか!?」という命題に始まる野生動物の秘めたるパワー

となっている。これだけではなく、いちいち再度は探さないが、この雑誌のどこかに「誰が世界最強か?という命題」とか、そういう使い方も発見したんだよね。

たしかにそういうことを論じる記事が多いので「命題」という言葉は格闘技雑誌には比較的よく出てくる気がする。
しかし。
これ、http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061015#p3でも論じたが、再度の引用。
http://www.ittsy.net/academy/instructor/atsushi2_3.htm

・・・ひどい蔓延の仕方を呈しているのが、「命題」という言葉だ。これは、論理学の用語で、「文」と同じ意味であり、何かを述定している一文のことであり、それに対して「この命題は真である/偽である」といった判定ができる。ところが,作家山田詠美の短編集『姫君』(文藝春秋)の最後に収められた「シャンプー」は、冒頭から「猫が飛び降りる時、安全に着地出来るのは、どのくらいの高さが限度なのだろう。/という命題は・・・」とある。これは「命題」ではなく「設問」か何かだ。一九七八年に「群像」新人賞を受賞した中島梓の『文学の構造』(講談社文庫)を見ると、「『文学とは何か』という命題」とある。これも命題ではない。やはり「設問」である。これで文藝雑誌の新人賞を取っていたのかと思うと、今日の惨状を予告しているような気がする。最近の例でも、斎藤美奈子の『文壇アイドル論』(岩波書店)には「知識人と大衆という古典的な命題」(二三五頁)などと書いてある。福田といい斎藤といい、これが当代の売れっ子文藝評論家の双璧なのだから、困ったものだ。


わかるよね。
○これは命題。正しく使ってる⇒「『寝技を徹底的に学べば、打撃は総合で不必要』という命題」
×これは「設問」など。誤用⇒「『PRIDEはヤクザが関わっているのか?』という命題」


どこかを経由して、実際の格闘技メディア関係者にこの一文が伝わることを望む。

言葉の常備薬

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言葉につける薬 (双葉文庫―POCHE FUTABA)

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どっちだったかは忘れたが、このシリーズでもこの問題は指摘されている。