上の話を書いていて、肉体の鍛錬と芸術の関連性、という大きなテーマを考えてみるわけですが
ほら、三島由紀夫が太宰治を評し
「彼が書いている『苦悩』なんて、器械体操をすれば治る範囲の話でしかない」とのたもうたのは有名ですな。
梶原一騎「男の星座」では、その舌戦は一騎のご尊父の目の前で
繰り広げられたことになっているが。
その三島氏も、若い頃は貧弱な坊やで、のちに一念発起して剣道、ボディビルに取り組んで頑健な肉体を手に入れた、それが彼の文学にも大きな変化を与えた・・・のだが、若き三島を知る安部譲二氏に言わせると、三島は最初ボクシングをやりたがったんだそうだ。
キックボクサーとしても相当だった安部氏が、そのためにジムを紹介したのだが、実は三島は根本のところで運動神経が足りず、安部は見かねてジムのほうに「あの方は日本の宝なんだから、頭を殴って何かあったらイカン、ボディだけスパーのときは殴ってくれ」と根回し。
ところがそれがばれて三島は激怒し、コツコツやればものになるボディビルに転向したのだとか。
(どこまでホントかなア・・・・)
そして、話はさらに最新号のNumberに移る。
なぜか長淵剛が、「アスリート」として登場。実は、長渕は痩せぎすの不健康兄ちゃんというのは大昔のイメージで、いまやプロ顔負けのハードなウェイトトレーニングを毎日こなすマッチョマンに変身していたのであった(かなり前から)。
寝る前の腕立て腹筋なども長く続かないおいらとの差は明白で尊敬すべきだが、それはかれの音楽にどう影響しているのかね。
「猿一匹、鍛えりゃ 侍」。
このへんは、ロック歌手とドラッグというのも視野に入るわけで、
創作者とその肉体的頑健さ、その変化の関連性、についてはもっと
多くの人の意見を聞きたいところだ。