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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

筑紫哲也イン週金

http://www.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt?v=vol517

その週刊金曜日編集委員筑紫哲也氏が、またもや姑息な文章をさらしている。
元朝編集委員石川真澄氏の追悼文。石川氏はそれなりに学ぶべき視点があり、重要な著作も残しているが・・・

私淑した丸山真男先生

  ↑誤用。

「政治改革」が滔々たる流れとなり、今の小選挙区制導入がその具体策とされた時、「死票を大量に生み、民意を国会に反映できない」と孤立無援に近い、反対の論陣を張った。そのことで私の番組にも再三出てもらったが、審判役の私から見ても論戦では石川さんが勝っているのに政治は逆の流れにしか向かわなかった。

筑紫氏よ、自分を「審判役」なとと自称してだれが信じるか(笑)。
貴方が80年代、「無党派市民連合」の選挙広報番組に出た時点から、小政党の存立しやすい状況、制度をよいものと見做していたことは明白だ。
貴方は憲法問題その他でも討論番組に両方を呼んでは「司会」の振りをして安全地帯から一方に加担しているが、まずは意見を持った一論者として対立する立場の人と対決してみなさい。

この「審判役の私から見ても論戦では石川さんが勝っている」という一文、まさに「司会のふりをした一方の味方が、その立場をどう悪用するか」の典型だ。

ついでにいうと、筑紫氏はそう言っておきながら最後の最後、小選挙区制が成立するかぎりぎりの時点では、人気絶頂の細川連立内閣のダメージとなることを恐れてか、成立を促すような報道に日和っていたことも指摘しておきたい。

最後に。
これは筑紫氏だけではなく、石川氏の誤謬でもあるが

私にとって最後の教示は「小泉政治」のとらえ方だった。その“右旋回”を小泉自身の個性や国際情勢の激変だけでとらえると大局を見誤る、「中曽根政治」、とくに1986年の選挙でそれに民意が300議席衆院)を与えた時に、民意に大きな構造変化が始まった(「生活保守主義」と当時、彼はそれを呼んだ)ことを無視してはならない――という主旨だった

中曽根内閣時代に世論(論壇含む)の風向きが変わり始めた・・・というのは、当時小学生だった私にも十分実感できる話で、石川氏の慧眼なのだが、それを彼が「生活保守主義」と名づけたのは失敗だった。

もともとは冷戦の「終わりの始まり」によって、日本の進歩陣営全体の思想的、政治的基盤が根本の正統性から揺らぎ、崩壊してしまったことにこそ原因はある。日本の進歩陣営がいかに「俺は反帝反スタだ」「東や北の独裁も批判している」といいながらも、結局は無傷ですまないような付き合い方をしていたから、親亀と同時に皆こけた。

生活保守主義なる言葉は彼らにその深刻な状況から目をそらさせ、「まったく愚民、プチブルは安楽な生活にしか興味が無く、この深刻なファシズムの足音が聞こえないのか!!ママさんハイボールおかわり!!」とゴールデン街でくだを巻かせて(←偏見)安心させる効果しかなかったのである。

「中曽根ウォッチング」を朝日ジャーナルに載せ、今見ても笑える「ファシズム警戒論」を当時書き散らしていた筑紫さん、あなたは80年代の「言論の不良債権」をそろそろ処理したほうがいい。
もっとも、彼の著作はあんまり読まれていないので知らない振りをするのもアリだが(笑)