- 作者: 遠藤浩輝
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/04/23
- メディア: コミック
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その売り上げがどんなものなのか、前作「EDEN」(未読)と比べてどうなのか、あるいは毎回の連載で雑誌内の地位はどうなのか…こういうことはまったく部外者なんで分からないし、ゴング格闘技最新号のインタビューで、極めて真摯な取り組みと、格闘技界全体の底上げ、盛り上げを担おうという使命感も持っていることはわかる、のだが。
作品的にいえば「俺は」面白い。
しかし、それはこんなブログを、こうやって何年も書いている人間にとっては面白い、ということやねんで。関西弁になったねんで。
本当に、イブニングという通好みではあるが、相当間口が広い雑誌の中で、我々のような人間だけを集めて、市場的にOKになるような人気のものになるだろうか?それは疑問なしとしない。
それに、「俺にとっては面白い」けど、例えばストーリーを因数分解するのも好きな当方が、ストーリーを語るとしたら「波乱万丈で続きがどうなるか、ワクワクドキドキで楽しみな展開」では、少なくとも今のところ無い。
それはメグルくんが、今のところは勝ったり負けたり(負けたり負けたり、だっけ?)の選手で、こういう選手の淡々とした日常を描くのもありかな、と思わせるからかもしれない。
ただ、正直にいって同時期?にgoodモーニングで始まった、女子格闘技の「鉄風」だっけ?
あのほうが、ストーリーのケレンとしては、個人的には読ませる、と軍配を上げざるをえない。修斗と女子格闘技では、私にとっては前者のほうがなじみがあるにもかかわらず、だ。
いや、いいんだけどね。ケレンを廃し、たんたんと日常の中での格闘技、それを描いていくというのも新機軸だ。だが、それに編集部が耐えてくれるのか?と余計なおせっかいながら思ってしまうのだよね。
だが、最新のアフタヌーンではようやくその「ケレン」が出てきた。ひとつはWINDY智美をモデルにした(のか?)女性の打撃コーチ。打撃力ではジムの誰もかなわない技術をもち、今後メグルくんらを指導するらしい。
あとひとつは、ようやく主人公に特殊能力が見つかりました。
「試合で闘った相手の技は、そのまま自分の中に取り込むことができる能力。」
ひとことでいえばアプトムパワーです。(さあ、何人がついてこれるでしょうかこの比喩)。
この二つのケレンで、淡々とした日常格闘技漫画から、かっこいいヒーローが大活躍する、ケレン味あふれる物語になっていくか。そしてホーリーランドとは別の方向から、技術の薀蓄を披露する漫画になるのか。おそらくどれも含めるのだろう。
「ケレンを見せろというケレンはなく、日常を描くという日常はなく、薀蓄を語れという薀蓄は無い。それらすべてがなめらかに回転していく」・・・そんな作品になったら、いいなと思います。
そのときまで編集部は待っててほしいと思います。ついでに切るんだったら「極悪がんぼ」のほうを先に切ってほしいと思います。
で、もうひとつやってほしいこと。
寺田ヒロオも、梶原一騎もやった、あの方式。業界との共存共栄と発展を図る一番いい方法…すなわち、実在の人物、選手と主人公たちが絡んで、連動してほしいんですよね。
廻たちの生きている世界は、2009年現在のいまだっけかしら、そうだと思うんだけれども、アマチュアとはいえ修斗をやっている選手ならばだ、今度の5月10日JCBホールにやっぱり足を伸ばして、佐藤ルミナなどの修斗の真髄を、その目で見てほしい。
そして、外部からやってきた選手たちに「イベントの世界にカネのために行ってたやつが、競技をやっている俺たちを邪魔するんじゃねーよ!!」みたいな、いかにも修斗っぽい野次を飛ばしてほしい(←偏見)。
あるいは廻君も、あの才能を伸ばしていき、中井祐樹や木口会長にいろいろ教えてもらえば、将来的には世界チャンピオンの座を射止められるかもしれない。そういう過程をじっくり描いてほしいですね。
で、そのあと、廻君が某団体に移籍して、さらに数年後に公武堂TVに出演して「いつも礼儀にやかましい人が自分は遅刻してきた」とか、「あの人はプロモーターとしては優秀なんだろうけど、自分を人間ではなく商品としてしか見てくれなかった」とか、そんなことをいいだすところまで描ききってくれたらいいと思います(笑)。
(※註:元ネタを探そうとしても、この回はログを残していないはずなので無駄です)
もうひとつ「漫画の動き」
私は絵の工夫や技術については相変わらず門外漢なのだけど、個人的な感覚としては、丁寧かつリアルに人物の動き、モーションを書いているはずのこの漫画が、なんとなく止まって見えるんですよね。
これは意図的に、効果線ってんだっけ、動きをあの流線の記号であらわすことを、おそらく意図的に?してないためなんだろうね。
こっちのほうが技術的に難しいとも聞くけど、見巧者ならざる私には、なんか静かに動きが無いように見えてしまいました…というのも、正直な話です。