kamiproが憲法記念日の5月3日にこの記事を持ってきたのは偶然か必然か。
http://www.kamipro.com/column/korea.php?id=1241348641
公開された日本映画『GOEMON』に、チェ・ホンマンが豊臣秀吉を護衛する武士・我王役を演じていることに対し、韓国で激しい批判の声が挙がっているという。韓国のあるメディアは「チェ・ホンマンが『GOEMON』に出演することに対して、韓国のネチズン(NETとCITIZENの造語)は『壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)を引き起こした豊臣秀吉を守るなんてもってのほか!』『いくら映画だからといって、豊臣秀吉の武士を演じるとはどういうことだ』『韓国の歴史を少しでも理解しているなら、絶対この役割だけは受けてはならない』といった批判が相次いでいる。
(略)
韓国では、すでにこの件は大きく報道されており「ホンマンは“親日派”」などという記事も多く見られる。ちなみに、韓国で“親日派”という言葉は、誹謗中傷の言葉として使用されるもので、ほぼ“売国奴”と同義である。このレッテルを貼られて社会的に抹殺されたタレントも少なくない。
うひゃひゃのひゃ、と乾いた笑いをするしかない部分もあるが、正面切って論じるとなるとやっかいだ。
つまり、韓国のこういう反応が大きな意味での「ナショナリズム」とするなら、そのナショナリズムを「過剰である」と批判するのか、それとも「もっともである。こちらがそれを受け止めねば」とするのか、あるいは「本当は過剰なんだけど、まあ特殊事情にかんがみて、多少、こちらが、特別な、妥協を、してもまあ、やむを得ないのではないか」と、こう受け止めるべきかだ。
いわゆる4、5年前から?の「嫌韓(嫌朝鮮半島)」ブームと言うのはいろんな層が重なっていると思うけど、「普通の基準でナショナリズムを判定したとき、こういう行動は(たとえば日本で起きたなら)非難されているのに、韓国のナショナリズムだけ皆おまけして目をつぶってるんじゃねーか?二重基準だよ」という主張もあるだろうという気はする。
想像だけど、日本の俳優が「元寇」を舞台にしたモンゴル映画(それも娯楽作品)で、フビライの部下をやったといってバッシングされたら「右傾化」とか、それこそそれへの反批判がメインになるんじゃないだろうか。
まあ、もし「韓国での批判はもっともであり、そういう役を韓国のホンマンに割り振ったこちらが悪い」となれば、監督やプロデューサーが反省の弁を述べるべきかと。