自分で書いて、自分で気になってみてみるとだ。
http://www.beast-1.com/
2008/10/08 で公式サイトの更新とまっているね。インタビューとか、最近のでは何かに載ってったっけ?
まあ、それより藤田選手が今年で39歳になることを知ってあらためてそうかそうかと思い至った。
もう、残りの選手寿命もあとわずかか。
闘魂伝承、レスリング重量級の新旧対決としてのKISS戦もよし。吉田秀彦とのミドルエイジ対決もよし。
ジョシュ・バーネットとは無理だろうか。
自分で書いて、自分で気になってみてみるとだ。
http://www.beast-1.com/
2008/10/08 で公式サイトの更新とまっているね。インタビューとか、最近のでは何かに載ってったっけ?
まあ、それより藤田選手が今年で39歳になることを知ってあらためてそうかそうかと思い至った。
もう、残りの選手寿命もあとわずかか。
闘魂伝承、レスリング重量級の新旧対決としてのKISS戦もよし。吉田秀彦とのミドルエイジ対決もよし。
ジョシュ・バーネットとは無理だろうか。
(上にひとつ別のエントリーあります)
下のコメント欄で知った。享年95歳。ご宗旨的にそういうのかは分からないが、大往生でしょうか。
http://sherdog.com/news/news/helio-gracie-dead-15977
Helio Gracie, the father of Gracie jiu-jitsu, is dead at the age of 95. Gracie passed in his sleep early Thursday in Itaipaiva, Rio de Janeiro, after he had been admitted to a local hospital a few days prior for stomach problems.
“He passed the way he always wanted to –- quick and fast,” said an immediate relative, who asked not to be identified. The relative said Gracie’s body would be buried on Thursday.
でも、逆に「間に合った」という思いが強い。UFCが1993年に始まったとき、すでにエリオ・グレイシー翁は80歳。
これがなければ、一部の明治武道研究家やキャッチ研究家などの好事家を除いて、グレイシー一族のドラマチックな歴史も前田光世の痛快な事跡もほとんど世に知られること無く終わっていた(横田順彌が「明治バンカラ快人伝」で前田に一章を割き「こんな面白い人物がなぜ知られていないんだ!」「私でなく、他の人がもっと研究してほしいんだ!」と叫んだのが1989年)。
かつて上田馬之助が「最強? そんなの一番長生きしたやつのことだよ!!」という名言を残していたが、その通りだろう。
彼がその時期まで生きて、話してくれたことは大いに我々の文明文化に恵みをもたらしてくれた。
同時に本人にも名誉と富をもたらした。
先月号、2月号のゴング格闘技は通算200号を記念したそれぞれの記者の「思い出の瞬間」を書いた記事があり、VTJの話とか大山倍達の話とか面白いのだが、高島学氏はエリオ翁に2005年に会った話を書いている。
はじめにアポを取って、自宅を訪ねに行こうとすると仲介の労をとってくれた弟子が「エリオが、今朝になって『インタビューには5000ドル必要だ』と言ってきた…」って(笑)。
もちろん取材資金の豊富なことで知られますゴン格ですから造作も無いことですが(反語)、一時はちょっと国際電話で自宅に電話し「半分は自腹を切るからな!」と有無を言わせず通告することになったそうな。
結局謝礼は4000ドル。ディック・ザ・ブルーザーを4回倒した額に相当する(「列伝」単位。)。
そうやって会ったエリオは、単に名論卓説やありがたい精神論を語るのではなく「私の首を絞めなさい。こうやって脱出ーー。なにやっているんだ、もっと本気で絞めろ!こうやるんだっ!」となぜか絞める側に回ったという(笑)
猛然と巨漢の首を絞めるエリオ・グレイシーさん(当時91歳)。右の人は写真の姿(見た目)から判断する限り、たぶん悪人だと思われる。
しかし当時91歳の、伝説の人物が、本当に直前になってお金を払えとかいうかね?交渉にいろいろ人を介していたし−−。
その謎は、最後に明らかになる。
エリオはさらさらと名刺に一筆を書いて、高島に手渡した。
「これ、私の口座番号だから。すぐに振り込んでおくように」
いや、こう書いた高島氏も引用した小生もだが、別に故エリオ氏を貶めようということでこうやって書いているわけじゃない。
このお歳になってもいまだに、即物的な意味での「強さ」の顕示にも、また金銭にも熱心で情熱的だったことは、なんか逆に嬉しい部分もあるじゃないか。
そんなエリオに、ありがとうございました。
全国の書店(というか出版社)は、急きょエリオ追悼のPOPをつくって夢枕獏「東天の獅子」の売り場に飾ってください(一巻に登場)。
グレイシー一族の真実―すべては敬愛するエリオのために (文春文庫PLUS)
「エリオは2002年の第一回Dynamite!!で吉田秀彦とホイス・グレイシーの決着の仕方(レフェリーの判断)に絶望、激怒して日本にはもう来ないと決めている」という話があった。結果的にたしかにその後の来日は無かったようだが、お年を考えるとそれはそれで自然でもある。
まあ、一抹の寂しさや引っ掛かりはあるけれども、その後ホイスは実質的なリベンジを果たしてもいるし、彼の伝説を彩る一挿話というべきなのだろうか。
と、後の歴史書には記されることになろう。
http://kakato24.exblog.jp/10751653/
K−1ヘビー級王者を剥奪されたばかりのバダ・ハリが5月、アムステルダムアリーナで開催される「It's Showtime」で、K−1スーパーヘビー級王者であるセーム・シュルトと対戦することになりました。
私は当然、一から十までシュルトの側。皇帝の派ですよ。Vive l'empereur!!
バダ・ハリの名前を、世間から消してしまうぐらいの勝利をば、希望する。
もちのろん、あのスピードで翻弄しようというならばそれは脅威だ。おまけにSHOWTIMEはバダのホームグラウンドだというではないか。
しかしやはり、どっちにしても破壊あるのみ。
谷川・石井の陰謀と商売の目算、アムステルダムにて潰えるがよい。
しかし。
商売の目算と、いえばですネ。
こういうカードは、彼らとしてはK-1でやりたかったんじゃ、ないんですか?
というか、上のリンク先にある他のカードを見てくださいよ。
セーム・シュルト vs バダ・ハリ
メルヴィン・マヌーフ vs ステファン・”ブリッツ”・レコ
グーカン・サキ vs タイロン・スポーン
のほか、エロジマンにアンディ・サワー、ドラゴにビヨン・ブレギーだって。
どうなんでしょうね。
「K-1の興行数だけで選手は回せないし、ドラマもつくれない。SHOWTIMEは連携した友好団体だし(だよね)、ここでも盛り上がってくれれば結果的にK-1は得だ」
ということになるのか、それとも
「オランダに、K-1に匹敵しうるモンスターが育ちつつある。オランダ選手にとっては『故郷でヒーローになれる』利点も生かして、K-1をある意味脅かす存在になっていく」
のか。
時間がないとかけないな、と思っていたので今日書こう。
少し前に、はてなブックマークで非常に人気があったエントリがある。
http://d.hatena.ne.jp/machida77/
の中の、フィクションの銃の描写に間違いが多い、という指摘だ。
銃の知識かぁ。私は全然だね。それなりフィクションも見れば戦史も興味があるが、自動車・兵器・鉄道(列車)・そして銃の知識はぜんぜん無いままだな。でもそういう人間にも指摘が面白いのだから大したものだ。
そういえばMASTERキートンだったか?
ライフルを構えた相手の銃口にキートンが指を突っ込み、
「撃ってみろ、暴発してお前もおしまいだ」
↓
ふりほどこうとした隙をすいてキートンが相手を倒した後
↓
「指を突っ込んだって暴発なんかしないよ。ハッタリが上手くいったね」
というような流れがあったような気がするが。
これか
もうひとつ、「こち亀」では初期のころ、不必要なくらいに銃が精密に描かれ、描写が詳しかったような気がする。本人も間違いなくガンマニアだったが、どうもアシスタントがそういうのが得意だったそうだ。秋本治はインタビューで、ある時期にあるテーマが多い理由として「当時のアシスタントさんがXXXが得意だったから」というのを挙げている。のちにはバイクネタが多かったのも同じとか。
わたしはこうやって「いや小生、銃にはとんと疎くて へへへ」で済ませているけど、それは刀狩国家ニッポンにて平和と惰眠をむさぼっているからで、銃にからんだ暴力との対峙は国家権力に全面依存しているからだ。(その他の暴力もだけど)
ただ、それがグローバル・スタンダードの中においていいことなのか?というのがテーマだ。
「アメリカ人は外国に興味なく、多数は行こうとも思わない。その傲慢さが問題なのだ」という話があるけど、日本人はかなり多くが、豊かであることもあって海外に行く。その海外で、一部は銃を持つことが合法であり、または非合法でもそれを持つことが日常茶飯事ならば、それへの対処としての「銃の知識」を我々が持っていないのは無知でもあり、傲慢でもあると言えるのでは無いか。
とくに、このブログには格闘ファンも来てますよね?
格闘技を、スポーツライクにリングや金網、競技場の中でのものと考える人にとっては、それは当然無縁の話なんだが、シーザー武志の「もし日本刀を突きつけられたら?」じゃあないが、いわゆる護身だとか、競技を超えた「強さ」にも興味を持っている皆さん方は「銃の扱い」についてまったく、全然、操作法も分からないほど興味が無い、で済むでしょうか。いや済むかもしれないけど。
このへんは価値判断や思想性の問題でもあるので、ちょっとアンケートでもとると面白いかもしれませんね。
銃に興味なくても楽しめるアクション「ダイ・ハード」で、テロリスト(実はただの強盗団)の親分が一対一でブルース・ウイリスと鉢合わせしたとき、とっさに逃げ出した人質の一人のふりをしてウィリスを信用させる場面。
(ややネタばれ注意)
騙されたウィリスは味方だと思ったそいつに拳銃を渡すが、親分はその銃を使って・・・と話は続くのだが、その時、ひよわなヘタレを装った親分にウィリスが
「銃は扱えるのか?」
「サバイバルゲームぐらいは」
「それで十分だ、頼む」
と銃を渡す場面があるのですね。わたしを含め、何人のジャパニーズが、ウィリスに助太刀を頼まれて、銃を持てるか。
そういえば本当にこの映画、日本企業のビルが襲撃されると言う設定だったな。
いやこんな心配をするぐらいなら、一番お得なガン保険は何かでも調べてろよ、というのも分かるのだが(笑)、それでも錠剤洗浄、いや常在戦場で、心配しておくに越したことは無い。
少なくとも、銃には安全装置がある(らしい)が、それをどう動かせば解除できるか、なんてことぐらいは「一般教養」として知っておくべきじゃないか?と。いつも心に柘植久慶。
必要な”教養”なんて国や地域でまるで違う、ことぐらいは重々承知。
馬に乗れなかったら生きていけないよと世界もあれば、「エクセルが使える?そりゃすごい、魔法の特殊技術者だ!」扱いのところもある。五言絶句をつくれれば命が助かるというところもあるだろうさ。そのうちの一つが「銃の扱い方を知っているのは、ある場面では役に立つことが多い」というだけであって。
だが、例えば「銃の扱い方」が客観的に見て、また日本という制限を仮に外して、君やわたし、また息子や娘が海外で暮らすというときに…それがかなり普遍的に役立つということなら、「銃の扱い方」は例えば学校で教える、べきものであるかもしれないわけですよ。
「生活科」なのか「総合的学習の時間」なのかは知らないが(笑)。
基本的に徴兵制があるところは、成人男性(男女を問わずのところもあろう)はすべて銃の扱い方を知っている。いいとか悪いとかの論評は不要で。
もし公立学校で「銃の基本的な仕組み、打ち方の基本」なんてことを机上の空論でも教えることになったらそりゃあ、上へ下への大騒動となるだろう。この場合、「軍」というファクターが入るか入らないかにも寄るだろうが、とりあえずそれを外したほうが分かりやすい。
軍とは、また別にした上でも、銃というのが人や生き物を殺傷する道具であることはいうまでもない。
そして結果的に銃が身近であればあるほど、銃の犯罪だって統計的には増えることであろう。
ゆえに、「銃について教育では絶対に触れさせない。国民は少なくとも日本において、絶対的に銃に対して無知である状態を保つ、広める」という政策も、成立する余地がある。
それで銃に対してみんなで無知になれば、それはそれで、少なくともその国の中ではユートピアたりえるかもしれない。
銃の話から、最後につなげるのは
「つまり、世の中の人々、とくに子供が『必須で身につけるべき教養』というのは、いくらでも変わるもので、なかなか正解ってないもんだね」……という話なんですよ。
実を言うと学力テスト(およびその公表問題)も少し連想している。
でもいいや、まあこのへんで風呂敷を広げる(だけ)ってのはやめにして、とりあえず話を終わらせます。
(未完)