インドのテロは、イスラムとヒンズーの宗教対立を煽っていったり、パキスタンの政情をさらに不安定にしていくのだろうか。
そんな中、タイトルにある池内恵の最新刊を思い出した。
この本を体系的に紹介したい希望もあるのだけど、まず、ちょっと資料として引用したいところがある。
というのはイスラムという異文化は、例えば西洋文化や中国文化と比べてこちら受け取る側の知識が乏しいので「彼らはこう考えるのかあ」「彼らはこういう発想を、こういう形で表現するのか」というの自体が新鮮な驚きなのである。この前WOWOWで放送された藤子・F・不二雄の「征地球論」のようなものというか(笑)。
そしてこの本には、池内氏が直接アラビア語を駆使して採取した、現地の言論やメディア報道が直接紹介・崩壊されている。
むろん文化相対主義的にいえば、どれがいいも悪いも無い。
今回のテロで連想し、皆さんに紹介したい(というより、ネット上に記録として残したい)のは、非常に痛ましい事件だった日本人旅行家・Kさんが誘拐され、殺害された際のビデオの形でつくられた犯行声明である。あの事件は殺害方法が極めて残酷だったこともあり、ひょっとして悪趣味を扱うような世界では翻訳なども出回っているのかもしれないが、少なくとも当方は知らない。
そういう部分を除いて、冷静かつ真面目に論じた池内氏の紹介文をお伝えするのは有用だろう。
「11月2日に犯行グループはインターネット上に、黒字に赤の文字で書き連ねた声明文を送った。冒頭にはコーランの章句が掲げられている」
(池内氏は井筒俊彦訳を引用しているが、こちらはネットからリンクする)
http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/koran_frame.html
あなたがたがかれらを殺したのではない。アッラーが殺したのである。あなたが射った時、あなたが当てたのではなく、アッラーが当てたのである。(これは)かれからの良い試練をもって、信者を試みになられたためである。本当にアッラーは全聴にして、全知であられる。
宣言文のタイトル
「メソポタミアの地に於けるジハードの基地団のライオンが、日本人捕虜Kを屠る(ママ)」
世界の東から西へ、北から南へ、ジハードの基地団がアッラーのためのジハードに関して堅固であることを知らしめるために、解放の代償に日本政府が提示した数百万ドルにもかかわらず(殺害を行う)。
日本を待ち受ける災厄からもし無事であろうと願うなら、単純に十字軍との同盟軍をイラクの地から引き揚げ、イラクの地獄から兵を引けばいい。さもなければ、十字軍とその同盟軍とその他の背教者・離教者たちは、ジハードの戦士たちの海に耳まで浸かることになる。
アッラーは偉大なり。アッラーこそ全能であり、人間は何も知らない。
アッラー以外に神はなし。ムハンマドは神の使徒なり。
メソポタミアの地に於けるジハードの基地団 ヒジュラ歴1425年9月19日、西暦2004年11月2日
(そして声明後、プロモーションビデオ風の映像に合わせ説法が流れる。)
我々はテロリストだ。テロリズムこそ至誠なり。東から西まで、我々が恐ろしいテロリストであることを知らしめよ。
かれらに対して、あなたの出来る限りの(武)力と、多くの繋いだ馬を備えなさい。それによってアッラーの敵、あなたがたの敵に恐怖を与えなさい。
テロリズムこそ、アッラーの宗教の義務である。
我こそはテロリスト、ヒッティーンの丘を登る
我こそはテロリスト、宗教の敵を脅す・・・・・・(以下略)
厄介だなあ、と思うのは、この文章に関する池内氏の分析だ。
最初の「日本政府が提示した数百万ドルにも関わらず」というのは事実かどうか分からないとした(そもそも接触できてたらすごい、と言っている)上で、こういうふうに書いたのは「日本はカネだけだ。脅せばすぐにカネを出す」というイメージが、アラブ世界で一般的に抱かれている偏見だというのだ。
「日本は経済大国である、という印象とアラブ諸国と軍事的対立や征服・被征服関係になかったという事情は、漠然とした好意にも結びつくが、同時に軽侮の対象ともなる。残念ながら『平和国家』を『弱腰国家』とみなすリアリズムは、アラブ世界に限らず世界の多くの国に存在する」
と、同時に、「身代金を相手は提示したけど、それを断って殺したよ」というのは、コーランを念頭においている可能性もあるというのだ。
その地で完全に勝利を収めるまでは、捕虜を捕えることは、使徒にとって相応しくない。あなたがたは現世のはかない幸福を望むが、アッラーは(あなたがたのため)来世を望まれる。アッラーは偉力ならびなく英明であられる。
わたしにとって一番衝撃的だったのは、最後の詩のような文章だ。
「我こそはテロリスト、ヒッティーンの丘を登る」
池内氏の解説によると、このヒッティーンというのは、サラディン(サラーフ・アッディーン)が十字軍を破った「ハッティンの戦い」を意味するというのだ。たぶん日本で「関ヶ原に集いしもののふ」とかいえばすぐに分かるように、ヒッティーン(ハッティン)といえば分かるんだろう。
しかし、サラディンといえばその弟と共に、捕虜に比類なき寛容と慈悲、優しさを見せ、それはアラブを軍事的な勝利のみならず倫理的優位に数百年立たしめ、果ては21世紀の極東の島国にまで、私のような「サラディンファン」を生ませているのだが・・・・
(イラストはムロタニ・ツネ「世界の歴史」より)
だが、彼らテロリストにとっては旅行者を捕らえて、首を刃物で切って殺害することが、サラディンの意志や業績を継いだジハードなのだ。
異文化においては、あらゆる物事の、受け取り方もちがってきておかしくない(共通点があってもおかしくない)。
本当にたいへんな話だが、まずは知っていくことだろう。
その大きな参考に、池内恵の「イスラーム世界の論じ方」はなり得る。