INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「ズンドコを 軽く越したる パンクラス ズンドコどころか もはやドンゾコ」

と、思わず五七五七七を読み上げたくなってしまいました。
http://www.pancrase.co.jp/tour/2008/0827/index.html

■ 第二代ライト級王者決定戦 中止のお詫び
今大会で、大石幸史選手(パンクラスism)と第二代ライト級王者決定戦での試合が決定しておりました小路伸亮選手(フリー)ですが、「個人的な事情により引退をします」と連絡がありました。

小路選手からの連絡を受け、ライト級出場選手の中から実力・実績等を踏まえ、大石選手との暫定王者決定戦やワンマッチでの代替カードを調整して参りましたが、試合まで2週間をきっておりメインイベントに見合うカードを組む事が不可能であった等の理由で、誠に不本意ではございますが既報の本戦10試合から1試合を減らし、本戦9試合で行なわせて頂きます。
大石選手・小路選手の試合を楽しみにしていらっしゃいました皆様には深くお詫びを申し上げるとともに、何卒ご理解下さいます様、宜しくお願い申し上げます。

なお、小路選手の欠場、第二代ライト級王者決定戦の中止に伴い、今大会のチケットの払い戻しを受け付けますので、ご希望の方は8月26日(火)までにパンクラスにご連絡を頂くか、大会当日に関係者受付までお越し頂けます様、お願い申し上げます。

ミルホンネットには、小路直筆の引退宣言がある。
http://miruhon.net/news/2008/08/post_362.html


突然引退宣言をされた側としてはそりゃ、大パニックだし代替カードにも手を尽くすだろうが、そもそも引退宣言っていつ来たんですか(笑)。少なくとも8.17より前だよなあ。だってDEEPを見に来た某氏に聞いたんだもの、おれ(笑)


今回のカードは、抜きん出た試合がなく、それぞれのカードで1.5点、0.8点…と細かく加点して「んー、じゃあ見に行くかア」となる大会だと思うが、もっとも大きい加点がなされるこの試合が亡くなった、いや無くなったことで「今回は行かないでいいか。」と思う人も多いのではないか。つうか俺だ。俺がいかないことでパンクラスの収入は5000円ほど減る可能性がある(笑)。
あ、でも「旗揚げ強豪マニア」と同様に存在する「最終興行マニア」もそろそろ……何を言ってるんだおれ(笑)

クレイジービーに何が起こっているのか?

というか、大怪我やらでも無い限り、一応出場に同意していたのなら、引退したいというなら「この一戦を最後に」引退すりゃアいいんで、ファイターとしても社会人としてもどうなんだ、っていいたいところだ。
それでも引退するというなら、個人的な事情ってどういう事情なんですカ?と、ファンは聴く権利があろう。
「ギャラが安すぎて。」
「そうですか。」
(以上フィクション)

にしても、一時は最強集団に躍り出るのではないか?とも感じていたクレイジービーが、ちょっと時期はずれるが菊地昭が引退し、そして今回浅野が引退、小路がフリーになったと思ったら引退。
菊地引退はともかく、今回の浅野引退や小路フリー→引退が偶然一致した、なんて確率論的に。
逆に山本篤がまだクレイジービー所属なのが目立つぐらいだ。人生を賭けた大一番の所英男戦を前に、おちついて練習環境を整えることができているのだろうか。

K-1、DREAMの世界放送権を一括で、世界的代理店が購入

http://www.mmapayout.com/2008/08/fegdream-cut-new-deal/
などの報道を
OMASUKI、IRONMAN、GAMEANDMMAなど有名ニュースサイトが一斉に紹介、論評しています。こちらを巡回すれば翻訳も読めるでしょう。

いやあ、あらためてほうと感心するのは
http://omasuki.blog122.fc2.com/blog-entry-236.html

スポーツ・マーケティング代理店、MP & Silva (MPS) は、FEGと5年契約を結び、同社のワールドワイドでのメディア権独占パートナーとなることに合意しました。

合意によるとMPSは、日本、韓国、米国を除く世界各国に対する、FEGイベントの配信権を獲得します

というように、スポーツの権利をあっちから買って、こっちに売って儲ける、というような商売が世界的に成立するんだねえ・・・ということ。こういうのって谷川さんとかマスター石井が直に出向いて、口八丁手八丁で直接売りつけてるのかなあ、なんてイメージのほうが面白いのだが(笑)。
もしくはすっごく胡散臭い、謎の「プロデューサー」が暗躍してアガリを掠め取るとかさ。

でも、やっぱり餅は餅屋、こういう一応はちゃんとしたところに任せたほうが結果的に世界にも広まるだろうし、ウィンウィンってやつになるんでしょうね。
ただ、この前実際に超満員だった「台湾」とか「グーカン・サキは国民的英雄ですよ!(ソース谷川)」といわれるトルコとかも任せちゃうんだなあ。このへんの虚実なんかもわかって面白い。
まあ、任せた後の3年後ですね。3年後に「世界の中のk-1」はどうなるか。「世界の中のdream」はどうなるか。そもそも続いているか(笑)

「かわいい」の科学−−あるいは日本漫画の不思議な進化について

ブログ「漫棚通信」に、2回に渡って「かわいい」という問題が論じられています。
手塚治虫の「かわいい」論
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_30cc.html
巨大眼と「かわいい」
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_4137.html


わたしも以前から気になっていたのだが、日本漫画は現在、いうまでもなく世界に広がり、隆盛をほこっていて、各国で受け入れられているのだが、それにしてもあらためて見れば独特のスタイルを持っているですよね。
その中でも、ハンサム=美人=かわいいを表す「記号」「絵」が現在のようになったのはなぜなんだろう?というのはちょっと気になる話です。


いしかわじゅんは昔「おれはアニメ絵は大嫌いだ!」と広言していたのだが、そもそも「アニメ絵」というのはなんなんだろうか。
上のリンクにあるように、日本漫画・日本アニメに大きな影響を与えた手塚治虫は大きな目を描き、それが漫画内のハンサム・かわいこちゃんの記号になった。だが、リンク先にあるように「目を大きく描けば一般論としてかわいく見えるもんだ」というのもあるよね。
それにそもそも手塚はディズニーの影響を受けているはずで・・・

さらに個人的に言うと、「エリア88」を最初に読んだ時は「なんじゃあ!少女漫画っぽい絵じゃなあ!」とかなり違和感を感じていたが、なにしろ話が面白いからあっさりと慣れてしまった。
それより上の世代は、この少女漫画風の絵と「新谷かおる」の名前もあいまってすごく混乱したらしい(笑)。引用コマ参照。
以前の少年漫画だと、少女漫画の過剰装飾をからかうネタなんかも多かった(初期「こち亀」なんかね。でも作者はあの当時としては稀有の少女漫画愛好者だった)
おまけに私の小学生時代、ぼくのノートなんかがウルトラマンやいんどぞうの絵で埋まっている中(笑)、女の子は「すてきなおひめさま」を想像で描く子が多かった。今から思うと服装的にはブルボン王朝かハプスブルグ家につながるらしいが、その「美人」の記号も、稚拙な絵ながらだいたい今のマンガのものと共通していたような気がする。




かってに改蔵」に、「この漫画をアメリカに輸出しよう!」というネタがあり、その中で「アメリカの漫画なら、鼻の下にスジをかかなきゃ」と変にリアルっぽくなるという挿話があった。

絵というのは日本画と洋画が違うように、やっぱり同じものを描いても地域、国ごとに「描き方」が統一されていくという傾向があるんだろうな。その中で、なぜ日本の漫画やアニメ、とくに「美形」を描写する記号がこのようになっていったのだろうか。
これは専門家の研究をまたなければいけない話で、もうここらへんで撤退しよう。
最後に思いつきだけ書いておくと、「日本漫画の『美形』は、そのまま男にも女にもなる、つーか見分けがつかん」
このへんとBL文化の関係・・・にまで話を広げられればいいのだが、力尽きた。


このエントリは、アイデアとそれを補強する題材だけが浮かんで順番に描いただけで、それを議論の流れにあわせて構成しなおすのをサボった文章だな。なに冷静につっこんでるんだ。

「かわいい」は科学的に位置づけられる? 赤ちゃんのかわいさ問題

上に紹介したリンク「手塚治虫の「かわいい」論」のコメント蘭に小生お邪魔し、質問したところ、別のコメント者がお答えくださってます。

藤子・F・不二雄の短編漫画(「かわい子くん」)とかにもありましたけど、「赤ちゃんは大人から庇護を受けなければいけないから『かわいい』ことは生存の条件。逆に大人は、赤ちゃんをかわいいと思うことが本能的に植えつけられている。丸っこいものをかわいいと思うのは、生物学的に決まっているのだ」というような議論ってありましたよね。
あれは、ほぼ確定した科学的知見と考えていいのでしょうか。疑似科学といっちゃあ悪いけど、仮説のようなものなのでしょうか。
そもそもだれが最初に提唱したのでしょうか。


Posted by: Gryphon | August 12, 2008 at 07:12 PM

横レス失礼します。
動物行動学の知見からは哺乳類の幼児期における顔面容姿の相似が知られています。
哺乳類は(その名のとおり)親からの育児に全面的に依存する時期=幼児期、があります。
食事=母乳、安全=親の庇護など自然界でひとり立ちするまで比較的長い時間を要します。
それゆえ、哺乳類の幼児期の顔の特徴として、丸っこくて身体に比べて大きい顔、顔の下半分に目・鼻・口があつまっている=額が広くなる、目・鼻・口では相対的に目が大きい、などが例示されています。
こういう容貌の仔に対して、庇護と哺乳を行いたくなるという本能が「哺乳類の親」に備わっていると言われます。

アフリカでの観察事例では、親とはぐれた仔鹿と、子を失った猫科の肉食獣の母が、一緒に何日間かをよりそって過ごしたという事例があります。

(略)

こういう子育て本能は、鳥類の場合では、鮮やかな朱色や赤色のひし形を見ると、その中心に餌を入れたくなる、という事例が知られています。「鮮やかな朱色や赤色のひし形」とは雛鳥が帰巣した親鳥に餌をねだっていっせいに口をおおきく広げた様子を意味します。
托卵という子育ての習性で知られるカッコウでは、雛鳥の口内が他の鳥よりお一層鮮やかな朱色をしていて、通りかかった他の鳥までが、つい給餌してしまう、などと言われています。
また雛鳥においては孵化して最初に見た動くものを「親」と認知して後を追うという「刷り込み=インプリンティング」という事例が良く知られています。

(後略)

Posted by: トロ〜ロ | August 13, 2008 at 02:54 AM

こんにちわ。
とても興味深いお話でした。

ティーヴン・ジェイ・グールドの『パンダの親指』という本をよろしければご参照ください。ハヤカワ文庫です

グールドは、最初ネズミそのもので「あんまりかわいくない」ミッキー・マウスが、人類に愛されて生き易くなるようまるっちくかわいく「進化(進化というのが生物の代替わりによって起きるプロセスだとしたら、ミッキー単独で進化というのは正しいかわかりませんが)」したた過程を、彼の専門である進化論の論文の形にまとめています。グーフィーはその役柄からか、あんまり幼くなっていないそうです。とても面白いですよ。

そういえば、小学生の頃、アラレちゃんや早川あおいちゃんがだんだん小さくなっていく過程が不思議だったことを思い出しましたよ。彼女らもまた自分の環境に適応していったのですね。

これまた長い書き込みで失礼しました。

Posted by: もにゅるん | August 19, 2008 at 07:23 PM


本当はすべて興味深いので(略)せず全部読んで欲しいのだが、そうもいかないのでリンク先へとんでください。

グールドさんだったか。
「かわいい」とかいう、人間の中でも相当に主観的なものが、もし生物学的な要因に影響されているのだとしたらおもしろいね。
これは最初にこの説を聞いたときにもそう思った。

パンダの親指〈上〉―進化論再考 (ハヤカワ文庫NF)

パンダの親指〈上〉―進化論再考 (ハヤカワ文庫NF)

パンダの親指〈下〉―進化論再考 (ハヤカワ文庫NF)

パンダの親指〈下〉―進化論再考 (ハヤカワ文庫NF)

私の書き込みにある、藤子・F・不二雄の「かわい子くん」はこの秋、WOWOWでドラマ化される一本です。

こういう疑問をもった理由のひとつに

ディズニーとかドリームメーカーとか、そういうのが最近はCGも駆使して世界的にヒットする作品も作っているじゃない。
カンフー・パンダ」とか「ニモ」とかね。
ところが、そういう映画の主役を張る主人公が、少なくとも私の目からはちっともカワイくみえない(笑)。
←これ。鶴見五郎みたいなツラしやがって。


世界的に人気なんだから、こういう印象はたぶん少数派なのだろうが、やっぱりそれは日本の漫画文化に影響を受けているのかなあ・・・と思いました。


【付記】上にちょっと書いた、子供の描く「すてきなおひめさま」と日本マンガの関係については、自分なりに見つけた視点だと思っていたのだが8.15の段階で、二つ目のリンク先エントリに寄せられていたコメントで指摘されていた。
コメントに関しては自分が書いた、「手塚治虫のかわしい…」のほうに注意が行っていたので気づかなかった。

(略)
認知における心理学的要素として
人間の「目」が、対象に対する精神的な認識において
非常に重要な要素を占める部位である事も考えられるのではないでしょうか。

客観性の未発達な幼児が描く人物画は、写実性よりも心理的認識の
度合いに従った図像として「目が大きい」ものになりがちです。
(実距離ではなく、通信頻度や経済状況の尺度で描かれた
『歪んだ地球儀の図』のようなものですね)
自分は件の“BEG”の真髄を「小さな女の子が描く
“お姫様”の絵」と称していますが、客観的な実体の描写ではなく
『主観的な心理上の印象画像』として人物の絵を造形する時
「大きな目」は描き手にも、そして見る者にとってもある種の
「主観的画像」として比較的自然に受け止められる部分があった為に
ここまで普及したように思います。
(略)
Posted by: ひふみー | August 15, 2008 at 01:47 PM

人間は目らしいものさえあれば、人の顔に見える…えーとこれ、たしか科学用語があるんだよな。
(・・)だけで、人の顔に見える。

「ビキニ」という言葉はそもそも核実験由来だという話(呉智英の本から)

この前、ちょっと海にいって泳いできました。かなり日に焼けて背中がいてえ。
東京方面で電車に乗っていくなら、本格的な海水浴場として一番いいのは逗子ですかね。駅から歩いて6分ほどで、湘南新宿ラインによって池袋や新宿から約1時間でいくことが出来る。
ところで、そういう海水浴場で目に付くのがビキニの水着です。
いや、偶然目に入るんですよ、自然に(笑)。

さて、この「ビキニ」ですが、なんでビキニというのか。グーグルさんにお尋ねする。
「ビキニ 語源」で検索

・・・・・・とまあ、こういうことなんでし。
これは私の発見ということではなく、おなじみ呉智英が…昔はどの本に何が書いてあるかすべてわかっていたんだがなあ。
たぶん「危険な思想家」に収録した一文で指摘している。
たしか、反戦団体が同じように原爆、水爆を「衝撃的だ、すごい破壊力だ」という意味で比喩として使った何かのCMに対して批判、撤回させたという話から、これを紹介したんだよな。
呉智英はこういうお話が大好きで、おりに触れ発見しては喜んでいる(笑)。

危険な思想家 (双葉文庫)

危険な思想家 (双葉文庫)

さて、それをなぜ紹介したかというと
「まるでAはB(非常に悪い事例、用語)のようだ」
という批判に対し
「Bというのは非常に重い事例であり用語。一緒くたに比喩として使うのが逆に失礼で冒涜的だ」
という反批判がある・・・・・・・という話題に、新たに参入したかったからだ(笑)。


「麻生太郎 ナチス」で検索


はてな村で今ホットな問題は、多方面に広がりすぎてるからキーワードを使おう。
ホロコースト
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%db%a5%ed%a5%b3%a1%bc%a5%b9%a5%c8
デスマーチ
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C7%A5%B9%A5%DE%A1%BC%A5%C1

ここ一ヶ月で、これに触れているエントリの多くは、比喩の問題について触れたものが多いようだ。
あと、今さっき読んでこの問題(が広がっていること)を知ったきっかけになったので
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20080821
を紹介しておく。



で、なんで同じような悲惨な歴史を持ちながら、扱いが違うのか。
結論としては
「なんか問題視される前に広まっちゃって、定着しちゃえば、論理的に考えると問題でもまあ許してもらえる」
という感じだ、としかいいようがないみたい。
ホロコーストナチス関連がいまだに飛びぬけてセンシティブなのは、実際の規模や特異さもあるし、相手がセンシティブだからセンシティブなのだ、ということもいえよう。
麻生だけでなく、亀井静香もかつて郵政解散の時、小泉純一郎ヒトラーに例えて、その比喩自体が不適切と批判されたことがある。

「亀井静香 ヒトラー 外国人特派員協会」で検索


多少の修正は効くようで、週刊プロレスは90年代初頭?に「ものすごい技」という意味で命名された「原爆固め」を「ジャーマンスープレックス」に修正した。ただ「原爆固め」が滅びたかというとそんなことはない。


個人的には「造反有理」ということばを、時々「いい意味」で使う人がいるのはすっごくまずいんじゃないか、と思うんだが。
あれも世界史上に名を残す悲劇と、独裁者によって広まった言葉だからね。

【追記】やっぱり一文は「危険な思想家」からでした。読みにくいかもしれませんが、写す時間が無いので写真をUPします。気合を入れれば読めるはず。(※あとからテキスト追加)


どうしてビキニなのか。「広辞苑」にこうある。
「ビキニ:南洋群島マーシャル諸島の北部に位置する小島。アメリカの原子爆弾水素爆弾の実験場 2:(着用時の効果は戯れに核爆発になぞらえての称)胸と腰だけを覆う形の婦人用水着」
露出度の高い水着をつけた時の注目効果がまるで原爆並みという意味で「ビキニ」なのである。ユーモアの気持ちを込めて原爆が使われているのである。かくして夏の季語のように「ビキニ」という言葉は商品化され、人々の耳目をそばだたせて今に至っている。しかし良識家の家誰一人としてこれを問題にしようとしない。
既成事実となれば勝ちなのだろうか。外国のことだから許されているのだろうか。
呉智英「危険な思想家」)

危険な思想家 (双葉文庫)

危険な思想家 (双葉文庫)