シュルトシュルトで思い出したんですが
ルール上引き分けになったけど、「2H2HANDLE」でシュルトさんに何度もタックルを決めて寝技で圧倒した、2m台の東欧のアマレスラーいたよね?
あの選手、今は何をやってるんでしょう。
ルール改正
後頭部に、振り下ろしてのパンチが解禁されたようなのでますますシュルトさんは磐石だ。
いや、調べたわけじゃないけど実際に認められてたんだから解禁になってるはずだ。
http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=30686678&area=tokyo
K1ワールドGP2005inJAPAN
野獣サップが日本トーナメントに殴り込み!!3戦全勝で制覇なるか天田・中迫・藤本・堀ら日本勢と全面対決!!▽大注目!韓国の巨人チェ・ホンマン参戦!(最大延長9・24まで、以降の番組繰り下げ)
◇広島グリーンアリーナで行われる大会の模様を紹介。9月開催の「K−1ワールドGP2005開幕戦」の出場権を懸け、8人がワンデートーナメントを繰り広げる。天田ヒロミ、中迫剛、堀啓ら日本人ファイターのほか、外国人招待選手としてボブ・サップも参戦。スーパーファイトにはベテランのレイ・セフォーや、3月の韓国大会で優勝したチェ・ホンマンらが登場する。司会・藤原紀香、長嶋一茂、解説・谷川貞治、実況・三宅正治ほか。
放送日時 6月14日(火)19:00〜20:54 フジテレビ Gコード(329511)
CSではもちろんフジ721chで、午後5時半からノーカットだ。
俺もその時間から観戦は出来ないだろうが、気が向けば結果ぐらいは中継するかも。
でもたった2時間半のディレイだから要らないか。
さてチェ・ホンマン、頑張れ。
勝ってタイトル通り、セーム・シュルトとの大巨人対決をGP一回戦でやっていただく、これしかないだろう視聴率的にも。
そういえば、「たかが190センチ台」の高山善廣との対戦は「摩天楼対決」とコピーされたが、ナレーションで
「天にそびえる、2塔のツインタワー!!崩れ落ちるのはどっちだ?」という、普通の状況なら単にかっこいい煽りだが2001年の秋という時期を考えればあまりにもやばい表現がなされていた。(同じ大会で、アメリカの選手は星条旗を追悼のため掲げていたのに・・・)
253 名前:実況厳禁@名無しの格闘家 :2005/06/15(水) 06:40:05 id:mkjijMHQ
おまいら盛り上がってるところ何だが開幕戦でシュルトさんは、
ホンマンともサップとも当たらないよ
開幕戦は去年のベスト8vs今年の地区予選&主催者枠って決まってるから
http://www.asahi.com/life/update/0609/007.html?t5
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050610-00000020-ryu-oki
などが概要。
コレに対し
http://eiji.txt-nifty.com/diary/
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2005/06/post_7670.html
http://88th-night.tea-nifty.com/nekojita/2005/06/post_e868.html
http://blog.livedoor.jp/ese_sinsi/archives/24815337.html
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/25115568.html
など、多くのブログで感想を述べられている。
たぶん、最近はてなダイアリー内で「ひめゆり」と書かれたブログはこの事件のことを語ってているはずだ。http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a4%d2%a4%e1%a4%e6%a4%ea
ただ、ざっと見る限りではあまり触れられていないが、この論争は、実に8年ほど前に類似の事件が発生していたのですよ。
まだ、ネットに散発的にしか書いていない時代に、自分が別のHNで書いた文章が残っている。あまりにも若書きで練られておらず、恥ずかしいので一部引用のみにとどめるが、概要は分かるので恥を忍んで紹介しよう
・・・唐突ながら最近個人的に考えてる問題をひとつ。
加藤典洋の「敗戦後論」や池沢夏樹「むくどり通信」(週刊朝日)などに取り上げられたのですが、とある大学生のグループが沖縄へ反戦なんたらの企画で旅行し、地元の「語りべ」から悲惨な地上戦の話をたっぷり聞かされたそうです。ところが学生たちは帰った後、「あの人、自分の話に酔ってたみたい」などと正直な感想を書いてしまい、それが大問題になった・・・というエピソードです。
なぜこの話が気になるか、というと、大月氏(註:発表したサイトに、大月隆寛氏が当時出入りしていた)は一貫して「天下国家を大文字で語るな、それを「いま・ここ」の自分の問題にひきつけろ」と語り続け、またナンシー関女史らの「突込み」を揺るがない自分の価値観を持つものとして高く評価していました。(語りべのスタイルへの違和感−ツッコみは何というか、「ナンシー的感覚」でしょ?)」
また浅羽(注:浅羽通明氏)氏も、「天使の王国」で いわゆる80年安保のサブカル(「気分はもう戦争」など)が、自分にとっていかに反核運動を批判する力となったかを回想しています。その点から単純に考えるに、涙ながらに悲惨な戦争体験を語る老婆を「自分に酔ってる」といいきれる視点は、いわゆる「戦後民主主義批判」の貴重な思想的遺産である・・・・・といっていいのでしょうか?
あるいはもっと別の、あるべき姿が何か存在するのでしょうか?それとも単純にマナーの問題としてとらえるべきなのか?
それへのレス
・・・その沖縄反戦云々のケースで言えば、語り部のもの言いに違和感が
あってツッコむのはもちろんいいのだけれども、でも、そのツッコんだ結
果、次の何か理解をめざせるという目算がないままだと、単なる無責任
な「お笑い」主義になってしまうのではないでしょうか。そして、それは
「情」をどこかに置き忘れたものにもなる。「芸」や「お笑い」の視点による「ツッコミ主義」が大衆化することに
よる「不人情」をどう乗り越えるか、ということなのではないでしょうか。
で、それは「芸」や「お笑い」の「質」という論理だけで制御できるもの
でもないように思います。
確かに今や「王様は裸だ!」とおおっぴらに言ってもよくなってきては
いますが、言った後どうするのか、裸の王様をもう一度ちゃんと王様を
やってもらうようにもってくのか、王様自体いらないと言うのか、だった
ら何が代案になるのか、などなど、みんながみんな考えなくてもいいに
せよ、どこかで誰かが考えないとまずい問題はぞろぞろ出てくる・・・・
「加藤典洋」「ひめゆり」で検索してみたら、
加藤氏批判の文脈で一連の事実関係を紹介して
いるサイトがあった。やや長めに渡るが引用させてもらう
http://www.h3.dion.ne.jp/~kuikui/hihyou.htm
加藤典洋氏の、「がんばれチヨジ、という場面」(「新沖縄文学」№九四、一九九二年)と題されたエッセーの内容についてである。それによると、数年前、沖縄に校外実習に来た、加藤氏の教え子の学生たちが発行した、その報告書が、沖縄の人々のひんしゅくを買うということがあったそうである。
それには、「(ひめゆり資料館では)被害者百パーセントの顔をして“さあどうだ”という感じでひけらかされたという感じが多少あった」とか、「(説明者に)不謹慎なことを言わせてもらえば“酔ってる”かもしれないと思った」といった水準の、表層のみしか受けとめられない、苦笑を誘うような幼い感想が寄せられていた。だが、率直である分、中には気になるようなものもあった。そういう本土の学生の感想の全分を掲げてみる。
「十一月二十五日(日)。ひめゆりの塔の平和祈念資料館を見た。これでもか、これでもかと押し寄せる女学生の顔、顔、顔。そして惨事を綴った手記。私はもう嫌だった。戦争の惨事は確かにこれでもかの砲撃だったのだ。それくらい分かっている。私はこの資料館の悪意が嫌なのだ。悪意と呼ぶには余りにも失礼なら死者とその生き残りの者、その同窓生の怨念が嫌だったのだ。何のための資料館か。戦争を二度と繰り返さないためのもののはずだ。これじゃ自己完結してしまいそうだ。泣いている人もいた。当時を思いだして、或いは想像力でもって。でも私は泣きたくなかった。実際は涙が出そうになったときもあったけど、今私が泣いたら、この涙は私にとってのカタルシスにすぎない」。
この一文は素直に書かれている分だけ、沖縄戦の、言葉にしがたいつらい体験をあえて沈黙の淵からたちあがらせ、伝えていこうとする者たちや、それらを、目をそらさず静かに受けとめて「共苦」していこうとする者らにとって、相当に刺激的な内容を含んでいたはずである。しかし、加藤氏はこの文に対して「応援したいと思った」とし、この文を書いた教え子の学生に対して「負けちゃだめだョ」と言ったそうである。なぜなら、その学生の文には、人が「異質な世界に接し、そこから何かを受け取ろうとする際の、しごくまっとうな態度が示されている」のであり、その文を書いた学生に対しては、「自分の最初の反応、唯一の考える足場を自分で守ってやれといいたかったのです」ということである。
しかし、私は・・・・・・・・
この前、「ミリオンダラー・ベイビー」を見たときに予告編が流れていたが、
この映画の舞台は今、21世紀の現在だよ_| ̄|○
ああ、蒸気と石炭と馬車とがある19世紀の世界に、宇宙からの侵略者が来るからあの作品は魅力的なんだよお。それに何より、シャーロック・ホームズやチャレンジャー博士が火星人と戦う余地が無いではないか