いま発売中のビッグコミックオリジナル2025年8号が
いろいろ面白くて小ネタにできるんで買っちゃった、その2。

弘兼憲史の「黄昏流星群」は、主人公や設定を定めないオムニバス方式。そこで「SF」を描くのは、しょっちゅうではないがまれにはあることで、そんな大ニュースではないが、今回最終回になった、2,3話ほど続いたシリーズを読んでいると「これ、いわゆる『すこし・ふしぎ』だよな」と思ったのだ。
1時間後の未来を映像で予測できる能力を持つ女性。
このおかげですべての「危険」を回避できていたが、その結果としてとても地味で、消極的な選択をする人生になってしまった。
ところがもう本当に中年、50代半ばになって気になる男性が出現。ただ、離婚協議がもつれてこのままでは結婚できない・・・・・・
女性は今までやったことがない「未来予知能力を競馬に使う」ことを発案し・・・・・・・

みたいな話。ぶっちゃけ、なぜ「すこし・ふしぎ」を連想したかと言うと本家藤子・F・不二雄の「ポストの中の明日」を思い出したからだ。
これも、不完全ながら未来を予知する力を得た少年の物語。完全ではなく、不完全な予知がカギという所も似ている。
どっちが好きかといえばまちがいなく藤子・F・不二雄のほうで、弘兼作品はオチも含めてとても平凡で飛躍がないし、センス・オブ・ワンダー的なものは感じない。
新人作家がこのまま作品を編集部に持ち込みしたら「うーん…悪くは無いんだけどねぇ……あと、こういう路線は絶対ヒットしないとは言わないけど、最近の売れ筋とはちょっと離れててねぇ」みたいになる気がする。
この場合「はばかりながらこのヒロカネ、編集部の君がオギャーと生まれる前からペンを握って原稿用紙に向かっておった。その儂が、ひさびさにSFなぞを書いてみようかと思ってな、ふぉふぉふぉ」みたいな感じだったのかなあと(妄想)。
ただ、ちょっと嬉しみが残るのは、既に大大大大大御所となり、お話の根本のところではルーチン・ワークを繰り返すかのごとき「慣れ」「馴れ」を見せがちな弘兼憲史氏が、その奥底には、まだ「すこし・ふしぎ」をたまには描いてみたいな、
と考えたその「思い」「志」である。
もともと弘兼氏は、切れ味鋭い短編を描く新進気鋭の作家として知られていた。人生の悲哀、青春、正義感…なかには「ヒューマニズム短編集」と銘打たれた作品集もあったほどだ。
プロ野球OB(って、超売れっ子現役一軍選手だけどさ、現実には)が、まずユニホームを着てグラウンドにあがりたいと思う、その思いだけで、実際のプレーは関係ない……そんな目線で今回、ビッグコミックオリジナルに載ってる黄昏流星群SF回を読んだ、という話。
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