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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

三沢光晴、没15年。本日が「エメラルド忌」。

――(略)毎回、凄い攻防になって、取材しているマスコミの方が「これ以上、やったらヤバいよ!」って。


三沢  次のこと考えて戦ってないもんね。次のことを考えたら戦えないよ。明日のことを考えては戦えないよね。「これ終わったら、飲みにいくぞ!」っていうのはあるけどね(笑) 何気に飲んでると、痛みがやわらいでくるっていう。「このまま寝たらたぶん、次の日、 もっと痛いんだろうなあ」っていう。そん時はアルコールで意外と麻痺するの(苦笑)。


――丸藤戦も次のことを考えたらできない試合でしょう。

三沢  そうだね。でもほら「あん時、やっとけばよかった」って後悔したくない部分もあ るしね。それはやっぱり時間が戻せるなら.……巻き戻しできるなら人生も楽だけど、そうはいかないからね。逆に早送りもできないんだから、その場を一生懸命生きるしかないんだろうし。(後略)

この本より。

幼少期、アマレス時代、2代目タイガーマスク、超世代軍、三冠王者四天王プロレス……自然体でプロレスに心身を捧げた男の青春期。
関係者たちの貴重な証言を交えながら三沢光晴の強靭な心も解き明かす!
「本書は、純プロレスを貫き、プロレスファンを魅了した、三沢光晴を分析・検証するものである。それは〝三沢光晴〟というフィルターを通して、80年代、90年代の全日本プロレスを描くことでもある。また、三沢の一生涯を描くのではなく、あえて1998年5月1日の東京ドームにおける川田利明戦までに焦点を絞った。なぜかは最後まで読んでいただければご理解いただけると思う」(著者より)


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まさにここで語られている名言はそのまま「試合の危険さ、技の危険さ」に直結、あるいは隣接する話であり、その後の結末を知っている人間は無条件に「素晴らしい!」と、言い難い……だがそれでもなお、紹介したくなるのだ。

2009年6月13日に急逝した三沢光晴。あの日リング上で何が起きたのか? 7回忌の今だから語れるノンフィクション。

稀代の名レスラー・三沢光晴がリング上の事故で命を落とした2009年6月13日。当日、会場にいた選手、マスコミ、そして治療にあたった医師の証言から、あの日起こった出来事の真相に迫る。死因は即死とも思われる頸髄離断だったが、ICUでは一度心拍が再開していたという。広島大学病院の救命医があの日のICUでのことを初めて明かす。そして最後の対戦相手となった齋藤彰俊は事故から数カ月後、三沢が生前に残したメッセージを受け取っていた。「社長からのメッセージを受け取って、すべて受け止めて現役を続けるという自分の決断は間違っていないと思えました」という齋藤は「答えは自分で見つけろ」という三沢のメッセージを胸に今も歩み続けている。また、小橋建太、潮﨑豪、丸藤正道鈴木鼓太郎浅子覚、西永秀一ら深い関係を持つ人物たちにとって2009年6月13日からの三沢光晴はどう息づいているのか?