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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「ここは日本でぃ!外国語で対応なんかできねえぜ!」は頑固な料理店だけでなく、東大法学部でもそうだった、という話(爆笑)

この前、これが話題になったよね。ブクマもにぎわった。


togetter.com
b.hatena.ne.jp

この種の議論を聞くと「本多勝一節!なつかしいねぇ!」と思う層も、だんだん減ってきてるんかな。


それはともかく、この論を語ったのは、どこかにあるのみくい処のがんこなおやじさん(orおふくろさん)であるっぽいが(性自認はとりあえずの当てはめです、ゆるせ)、同じようなことを、赤門の学士や博士たちも言っておられる


その前提として、いま、雑誌「中央公論」で北岡伸一が、猛烈に面白い回想録を連載中(いま連載18回かな)なのだ。

平成期を通じて、アカデミシャンの分野から現代政治に影響を及ぼした”ラスプーチン”と言っちゃあ失礼か「黒衣の宰相」的な存在は何人かいるが、そのトップクラスに位置する人物(何しろ国連大使まで務めたのだ)。

一足先に回想記をひとまず完結させ、一足先に単行本にまとめた山口二郎の本も猛烈に面白いのだけど、政治的な立ち位置や理論とは別に、純粋に文才的には、北岡氏のほうが上であることはだいたい評価が一致するでしょう。

自民党に対抗する中道左派を築き、政権交代のある民主主義を作ろうとした政治学者は、政治に何を見、どう関わってきたか。昭和の終わりから安倍政権後まで、期待と挫折と試行錯誤が繰り返された三十余年を、いま率直に振り返る。自身の日記を織り交ぜて同時代政治をたどる回顧録オルタナティヴを見出す挑戦は終わらない。


山口氏の本にも、北岡氏の名前がちょっと出てきたりしてる。


ま、その話は大前提。機会が在ったら中央公論の連載の一読をどうぞ、ということを大前提として…

いま書店に並んでいる回の、本題前のちょっとした挿話が、まさに「東大の授業と英語」の話で、しかもまた展開がしょっぺぇ。

外国語科目の導入は難航

もう一つ、新しい科目について補足したい。東大本部から、「法学部で英語の授業をしたい」という要請があった。ところが法学部は断った。
日本の法律や政治が主な研究対象であり、英語でやる意義は乏しいというのが理由だった。また、「アメリカの大学では授業はすべて英語で行われ、外国語での授業などほとんどない。我々が外国語授業をする必要があるのか」とか、「英語だけでドイツ語やフランス語や中国語はやらないのか」など、形式的には一理あるが、実質的な効果を考慮しない反対論もあった。
しかし、他の学部には、日本の法律や政治を勉強したいという留学生がおり、国際化のためにも英語で行授業は絶対に必要である。そこで、2008年度から、藤原帰一、高原明生、飯田敬輔の各教授、それに私の4人が、「自発的な形」で英語の授業をすることになった。私は先に述べた現代日本外交の授業を英語で行うことにした。
この授業には、やや残念なことがあった。それは、学部、大学院(法学政治学研究科総合法政専攻)、公共政策大学院のいずれの学生も履習できるようにしていたのに、学部学生の参加が少なかったことである。しかも最初はともかく、徐々に人数が減っていったのである。それは、東大法学部の悪しき成績主義のせいだと、私は思っている。つまり、良い成績(優)を取る自信がないと、受講をやめてしまうのである。
法学部は国際化に消極的である。これが、最近の東大法学部の凋落の一因だと、私は思っている。すべての教員が一つは外国語の授業を持ち、またすべての学生がいくつかの外国語の授業を履修し、外国語で論文を書くことを必須とすれば、飛躍的に
国際化は進むのだが、まだ実現されていない。東大法学部以外でも、そうした方針を採用している大学や学部は少ない。残念なことである。

東大法学部で英語の授業を始めたら
東大法学部の英語授業


この話を聞いて、日本の知の総本山、日の本根本道場たる東大法学部でも「英語で授業してください。英語の授業を受けてください」となると、とたんに、しゅんと尻込みする人が多いんだろうなぁ、と。
というか、東大法学部の気鋭の学者たちで、「英語で授業をしない」のでなく「できない」人も多いんだろうなァ、と。



いや、できないとかできるのレベルが、これまたダンチなことは当然分かった上で言ってるが、そうよな、そうよな、と親近感を勝手に抱くよ(笑)。
実際、そうやって英語を自由自在にできない人が、母国語で最高の教育を受けているその現状こそ、日本がペリー来航以来紆余曲折の末に守り抜いた国家と文化の独立自尊、その偉大な成果である……みたいな論もしょっちゅう聞いて知っている。


北岡伸一は、単に自分が、国連大使が普通に務まるほどの英語レベルだから、その他大勢の教授らの気持ちがわかんねーだけだったんと違うの??



それもわかりつつ、
「東大法学部と英語」の関係がこのざまなんだから、のみくい処で英語が通じないこともゆるしてやれ、と(笑)


1990年代半ばから2000年代初頭にかけて、PRIDEや修斗の情報に飢え、桜庭和志佐藤ルミナの情報なら何でも知りたい、という外国人に、超ブロークンイングリッシュで積極的にゴン格やkamiproの最新情報やs画像をシェアしていた人間から見てもそう思うのですよ。



余談 今月号の北岡伸一回想録のメインは、それどころじゃない、「日韓歴史研究」なんだが…

東大法学部で英語の授業を始めたら


悪い予感がするのう


「英語で実際に大学の授業を教えてる人」のコメントが読めるのがわがブログながらすごい

Poet

実は他大学に頼まれて、英語による授業を週一回行っているのですが・・・。
少なくとも理系では、英語で授業できる人は、それなりの数いると思います。
でも大学に求められているのは、「英語で受講できる科目をひとつ作れ」ではなく、
「日本語を理解できない学生が、英語だけで卒業要件を満たせるようにせよ」
なんですよね。
そうすると、たかだか10人くらいかも知れない留学生のために必修科目の授業数
を一挙に2倍にしなければならないので、相当の負担になります。
専任教員の数を2倍にするわけにはいかないので、非常勤講師に頼ることになり
ますが、大学の非常勤講師手当って、マスター・キートン第一話に出てきた金額
(各自調べて)と、今でもあまり変わらないんですよ。
そうすると、誰が好き好んで英語で授業をするんだ?という話になります。
自分は、お世話になった人に頼まれて、仕方なくやっているけど、単純に3倍の
額払ってくれれば、やりたがる人が増えると思う。



gryphon
この記事を読んで、Poetさんはどんな反応や感想を持つかな、と思ったら「その経験がある」とまでは思わなかったですよ(笑)
東大だと、外部からは呼びたくないんですかね?



Poet
東大法学部の話は、全必修科目をという話ではないから、事情が違うかもですが、
一般論としては、国立大は教育の質が担保できないという理由で、やむを得ない
場合以外は非常勤を使うのを避けていました。
最近は、バイアウトという制度があって、外部からとってきた研究予算で、
非常勤を雇って授業をしてもらい、自分は研究に専念することもできるので、
逆に、お金持ちの東大の先生は、活用しているかも。
私立大はコスパを考えて、どんどん非常勤を使うから、非常勤講師控室にソファー
があって豪華だったりします。
平賀キートン太一はロイズの仕事を優先して平気で休講にするので、まさに教育の
質が損なわれてますよね。契約更新されなくて当然かと。
理系の研究者は、普段から英語論文を読んで、英語で論文を書いているから、
むしろ専門用語を日本語で何と言うか分からないくらいだし、経済学とかの研究者
もそうだと思うけど、法学はむしろ特殊分野なんでしょうね。