「真実としては、2018年の全米オープン以来、長い間、気分が落ち込むことがあって対処するのに本当に苦労した。テニスに関わるメディアはいつも私に親切だったが、私はもともと人前で話せる人間ではないし、世界中のメディアに向けて話す前にはいつも大きな不安の波に襲われる」と自身の状況について詳しく説明しました。
そして「私は今、少しの間コートから離れるつもりだが、今後ツアーと協力して選手や記者、ファンのために物事をよりよくする方法について話し合いたいと思っている」と記しています。
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そして声明
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この話でまっさきに思い出したのは、このクロアチアの蹴撃手。
彼(ミルコ・クロコップ)は極力、マスコミを避けてきたという印象がある。
「日本でやってた頃は、記者会見を拒否することができた。単純に嫌いだったからだ。あまりメディアに露出することが好きじゃない。なぜだろうな。多くの人がテレビに出てお金を稼ごうと夢見ていることは知っている。そして、それは私の義務でもある。私はUFCと契約した。だからプロモーションにも参加しないといけないのは理解できる。だが、もし私がそれを好んでやっているかといえば、イエスとは言いがたい。私が考えるに、有名になるということは、男の人生にトラブルしかもたらさない。個人的な意見だがね。一番良いのは、リッチになり、なおかつ誰もそれを知らないという状況だろう。アメリカのハリウッドスターやミュージシャンは、みんな不幸だと思う。周りは彼らを常に見張っているし、後を追いかけ続ける。パパラッチもいる。うっかりした発言をすることは許されないし、鼻の穴に指を突っ込むことすらできない。誰だってたまにすることなのにだ。いかんせん有名人は見張られている。そういったことが自分に起こって欲しいとは思ったことがない。私はいまの人生に幸せを感じている。2人の息子がいて、素晴らしい家族に囲まれている。一体誰がそれ以上のことを望むというのだ?」
場内を十分すぎるほどわかせたミルコだが、大会終了後の共同会見に姿を現さなかったため、米国の記者から「高いファイトマネーを支払っているのに、ここにこないことをどう思う?」など、ダナ・ホワイト社長に厳しい指摘が何度もとんだ。
「このスポーツの素晴らしいところは、選手たちが素晴らしい人格者であるということ。ただ、ボクシングには、そうでないファイターも多い。ファイターがすべきことは強さを見せることであって、みんながみんなランペイジのような(よく話をしていくれる)人間ではないんだ。色々な人間がいるから、そこまでは求めていない。ただ、プロモートする側の人間として言わせて貰うと、シリアスにファ○ン・フラストレーションが溜まるよ」とホワイト社長。
米国のプロフェッショナル・スポーツは、欧州や日本のそれと違い、物凄くファンを大切にし、プライベートを侵害しない代わりに、共同会見で記者とのコミュニケーションはしっかりとることが通例とされている。
実は米国人記者の中では、すでにミルコがファンの呼びかけに対し、「ノー・ピクチャー」と見向きもしなかったことが話題になっており、会見欠席で彼らの不満が顔を覗かせた次第だ。
これまでUFCで闘ってきたファイターは、UFCがあって自分があるということを心得ている。また、裏舞台ではプロとして厳しい要求をしているティト・オーティズなどスター選手も、会見場では常に多弁だ。愛想の悪さで有名だったヴィトー・ベウフォートもUFC出場時には、しっかりと記者やファンと対応をしていた。それが、UFCが根付くアメリカの文化だ。
ただ、ミルコは他の多くの選手と違いUFCあっての自分――ではなく、UFCが最も欲した選手だ。リング上で強さを見せて(かつファンの支持を集めて)いれば文句は誰もいえない。
日本にも似た、マスコミ(ズッファが成功を収めた以降)、プロモーション、ファイター――の中に共存共栄の意識が見え隠れたしたUFC、ミルコの出現はあらゆる面で波紋を呼ぶことになるかもしれない。
ちなみに、取材を断る、すっぽかすのは大相撲では日常茶飯事であります。
この前の場所だと、誰だったかな…高安とか遠藤だったかな。
遠藤は角界きっての寡黙な力士で、ふだんは取組後の取材にも、ほとんど応じることはない。話してもひと言、ふた言。
だが、この日のインタビューは違った。
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