今日より正成出づ、という町風俗について。
これについては、10年ばかり前、84歳で亡くなられた菅楯彦画伯からきいた。
まだ江戸期のにおいをのこしていた明治10年代から20年代の大阪の下町でのことである。
「そういう貼り紙が、町々に出ます」
(略)
「町内に長屋々々がごわりますな、そういう町内に必ず一つは寄席がごわりましてな、左様でごわります、別に商売々々した寄席ではごわりまへんで、まあ道楽なひとが自分の家のふた間ほどを講釈師に貸します」
そういうのが、大阪の寄席であったらしい。1年なら1年、ずっと太平記を読み続けるのだという。いまでいえばテレビの連続ドラマのようなものである。
「なにぶん1年は長うごわりますから、途中だれてきて、客の集まりが悪うなって参ります。ところが読み進んで、いよいよ正成が出るというくだりにさしかかりますと、門口に”今日より正成出づ”という張り紙を出します。すると、どっと…」
以上、司馬遼太郎の著書より。
んで、タイミングよく紹介とはいかなかったが
前々回が「帝の挙兵」
前回が「楠木立つ」でした。
つまり、プロローグがおわり、”異形の王権”をかざす魔帝ゴダイゴが、鎌倉のアンシャンレジームについに牙をむいたのである。
ただ、順風満帆に討幕戦争は進んだわけではない。
21日放送は…
楠木立つとの情報を得た足利高氏(真田広之)は幕府が苦戦を強いられるだろうと感じる。一方、笠置山に入った楠木正成(武田鉄矢)は後醍醐帝(片岡孝夫)と対面し策を述べ下山、河内で挙兵した。不意をついた楠木軍は数日のうちに河内の北条軍を大混乱に陥れた。しかし持明院統の新帝を即位させた北条氏は後醍醐帝を先帝とし、帝(みかど)派から大義を奪うことに成功する…。
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国家はいかに「楠木正成」を作ったのか: 非常時日本の楠公崇拝
- 作者:博幸, 谷田
- 発売日: 2019/02/07
- メディア: 単行本